第一話 傷痍軍人の賛歌

【傷痍軍人の賛歌】




 ゾート、ニアー・マールは、傷痍軍人の治療施設で目を覚ました。彼は五体満足ではあったものの、戦が終わってもずっと起動出来ないままだったため傷痍軍人と見なされた。最早「役立たず」。早い話、そういうことだ。


 彼は国同士の戦争で戦った兵士だった。そして、彼の国は敗北した。敗戦国の貧しさで、この治療施設もほとんど機能はしていなかった。ただ、何かを失った兵士たちが集められ、詰め込まれているだけだった。







 五体満足な彼は、足りない治療士の手伝いを頼まれた。そこで四肢や機能が欠けたメートやゾートを数多く目にした。呻きながら延々と呪詛を唱えるものもいれば、絶望に染まった瞳で虚空を見続けるもの、心が壊れてしまったものもいた。

 ニアー・マールは戦争の悲惨さを、その爪痕を、まざまざと思い知り、やりきれない気持ちになった。これが命をかけて戦った自分達へ、国が与える報いなのかと。


 しかしそんな中に、妙に快活な男がいた。利き手を失ったそのメートは、ある部隊で隊長を務めていたのだという。




「ははは、俺は死に損なっちまったのさ! 守れなかった部下達にゃ、とても顔向けが出来ねえ……だから、ちいとばかし、長く生きてな。残った片腕と両足で、なんか出来ればと思うんだけどなぁ!」




 隻腕の男の周りの兵士は、不思議と明るかった。隻腕の男はニアー・マールにもよく話しかけてきたが、彼にはこの男の明朗さが理解できなかった。男はニアー・マールを親しげに「ニア」と呼び、それがいつの間にか施設での彼の愛称として定着していった。







 隻腕の男は自主的に、懸命にリハビリをし、やがて「ニア」の隣で皆の治療にあたるようになった。

 片腕での作業は決して簡単なものではなかったが、それでも男は明るかった。

 次第に傷痍軍人達は男に胸の内を打ち明けたり、或いは罵声をぶつけたりしたが、男はいつもそれを真っ直ぐに受け止めていた。施設に嗚咽が溢れ、慟哭が響き、しかし少しずつ笑顔も、ほんの少しずつだが、表れるようになりはじめた。


 ニアは彼がかつて「英雄」と呼ばれていたのだと知ったが、今更そんなものが何になろう。ニアにとって隻腕の男はただ出来の悪い助手に過ぎなかった。

 無愛想で口の汚い、しかし献身的に治療にあたるニアを、隻腕の男はよく褒めた。


「ニア、お前も兵士だろ。お前だって辛い思いをしたろうに、よく頑張るなぁ」

「……俺は五体満足だ。出来るやつが出来ることをやる。当たり前の事だろうが」

「ははは、そうだな! しかしそれが出来る奴ぁ、そうそういねえんだぜ」




 治療のための道具もろくに届かない中で、しかし傷痍軍人のゾート達は工夫して道具をこしらえはじめた。隻腕の男は、彼らに可能であれば「楽器」を作ってくれないかと頼んだ。しかし、そんな余裕は無い、と誰もが返すのみだ。それでも、男は折れずに声をかけ続ける。


 ニアは、不意に彼を試したいと思った。その明るさが翳るところを見たいと。ニアにとって戦争とは惨たらしいもので、自分たちはその道具でしかない。男の持つ希望の光が、ニアには何だか許せなかったのだ。







「俺もゾートだ。俺が楽器を作ってやってもいい。ただ、分かってるだろうがここには余分な材料が無え。……『これ』を除いてな」


 隻腕の男とニアは、施設で死んでいった傷痍軍人達、その弔うことも出来ないままの遺体が無数に放置された荒れ地に立つ。


「もう動かなくなったメートとゾートの体。こればっかりは腐るほどある。楽器だって作れるだろう……お前にそれを奏でる覚悟があるんならな」


 すると、隻腕の男はその場に崩れ落ちて、泣き叫んだ。明朗だった男の慟哭に、ニアは沈黙する。男は「すまねえ、すまねえ」と何度も呟いていた。しかし、しばらくすると、涙と鼻水を片腕で拭って、ニアを見た。


「頼む、ニア。こいつらを楽器にしてやってくれ。それが弔いになる。俺が弔いにしてみせる」







 ニアは遺体から弦楽器を作った。打楽器も作った。職人の作る楽器と比べればおそまつなものではあったが、それでも音は鳴る。充分だ、と男はまた明るく笑った。


 男はニアの手を借りて、施設の廊下を歩きながら、隻腕で楽器を奏で、大声で歌った。朗々と歌った。雄々しく戦った戦士を讃える歌を。戦場に散っていった兵士を誇る歌を。遺されたものの生を祈る歌を。毎日のように、廊下を歩く度に、歌い続けた。




 メートが生み出す「音楽」には力がある。ニアはそれが真実であることを認めざるを得なかった。




 傷痍軍人達は皆、男の歌を聞きたがった。歩けるものは扉の方へ向かい、歩けないものの為に歩けるメート達はそれを覚えて自分達も歌ってみせた。




「讃えよう、俺達はよく戦った! 誇ろう、お前達もよく戦った! 生きよう、彼らのその生までも!」




 単純な歌詞、声が大きいばかりで上手くはない歌、つたない曲。しかし、音楽の力は、施設に響き渡った。そしてメート達は、自分たちも楽器が欲しいと言い出した。


「この楽器は、死んでいった奴らから出来ているんだぜ。それでもいいのかよ」


 ニアは再度試すように言ったが、メート達は弔うことも出来なかった彼らを、こうした形で弔えるのなら、きっと彼らも許してくれると言う。ゾート達も、楽器作りに意欲を示した。


 こうして絶望が支配し続ける筈の傷痍軍人の治療施設に、毎日様々な音楽と歌が鳴り響くようになった。







 ある日、国から通達が来た。そこには国の財政が苦しく、施設に送ることの出来る資金を減らさざるを得ない、と書いてあった。


 治療士からそれを伝えられたニアは憤りを覚えた。国のために戦い、傷ついた者たちへの処遇がこれなのかと。役に立たなくなった兵士は、所詮使い途のない道具なのかと!

 しかし、仲間達は笑っていた。


「ニア、そうカッカすんな。少しでも動ける連中がここを出ていけばなんとかなる」

「そうさ、ニア。俺達はもう動けるんだ。ここを出てもやっていけるさ」

「俺は、同じような施設を回って、歌を歌おうと思ってる。この歌の力を分けてやりたいんだ」

「そりゃあいい! 俺も一緒に行くぜ」


 皆、腕や足が無かったり、もう物を見ることも出来ない、そんな兵士達だった。しかし彼らの目は未来を見ていた。そこには確かに、輝きがあった。光が宿っていた。


「俺も出るぞ」


 ニアは唸りながら言った。


「元々、俺は何も失っちゃいないんだ。だから、俺が一番に出ていく。へっ、これで、てめえらの世話から解放されて、せいせいするってもんだ!」


 素直じゃない言葉だったが、そこには確かに「優しさ」があることを、もう彼の仲間達は知っている。


「もう二度と兵士なんかやらねえ。俺は、世界に出るぞ。お前らにない足で。お前らにない腕で。お前らにない全部で、世界に出ていって、そんで必ず意地の悪ぃこの世を見返してやらあ!」


 その宣言を聞いて、皆がニアをもみくちゃにした。元気でやれよ、お前なら出来る、それでこそ俺らのニアだ、と口々に言い、笑いあった。




 隻腕の男はニアに、自分にはもう振るうことの出来ない愛用の剣を贈った。


「楽器のお礼だ。ずいぶん遅れちまったが、受け取ってくれ」


 他の仲間達もニアに何か餞別をと思ったが、ニアが断った。それは彼らがこれから活かせばいい。


 ただ、ニアは荒れ地の遺体の中から、一人のメートが巻いていた黒いマフラーをもらうことにした。数日前に安らかに死んだそのメートはけっこうな洒落者で、ニアは密かに彼の「オシャレ」のファンだった。


 施設を出るニアの後ろで、音楽が鳴っている。皆がニアの門出を祝福してくれている。




「……讃えよう、俺達はよく戦った! 誇ろう、お前達もよく戦った! 生きよう、彼らのその生までも!」




 初めてニアも歌った。振り返らぬまま。ひときわ大きな歓声を背に、ニアはまだ見ぬ世界へと、その一歩を踏み出したのだった。

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