9:勝利?

「すまねェ、作戦変更だ! お前らはハヤブサと共にソイツから離れろ!」


 オオタカは作戦変更に一瞬困惑した。

 しかしセルリアンの石を見つめなおし、やはり急降下による一撃では倒しきれないと改めて感じていた。彼女は新たな作戦を信じることにした。


「キャプテン! 聞こえたわね!」

「イェス! アナタ達の作戦はいつも完璧、撤退準備よ!」


 やがて再び遥か高い空から風切音が聞こえる。

 今度は間違いない、空気を切り裂く独特の音、向かってくる速度。

 それは紛れもなく、彼女だ。


[隼 学名” Falco peregrinus”]

[ 体長40cm、翼幅1mの猛禽。意外にも、祖先はタカやワシではなく、インコやスズメの仲間であると言われている。

 最大の武器はその急降下速度であり、ある実験では最大速度時速387kmを記録している。

 この値はオオグンカンドリと並び、全生物中最速のツートップに君臨する。

 この急降下から繰り出される蹴りは、自分より大型の鳥をも一撃で戦闘不能にする程の威力を誇る ]


 限界で戦うセルリアンの横を、眩い雷光が通過する。

 同時にオオタカ、ハクトウワシのどの一撃をも遥かに上回る衝撃がセルリアンを襲う。

 もはや姿勢を立て直すどころの話ではなく、セルリアンの体は甲高い音を立てる自身の羽のように目にも止まらぬ速度で回転する。

 雷光の後に続く烈風を、オオタカとハクトウワシはその立派な翼で受け止め、既に遥か先にいる親友の背を追い、池の上空から離脱する。


「完璧だ、野郎ども」


 残雪は池に身を浮かせ、ハヤブサの風を感じながら呟いた。

 すると空から何やら黒い物が落ちてきた。それは死にかけの羽虫のように弱弱しくプロペラを震わせる、恨めしいあの黒い物体の足の一本だった。

 やがてそれは音もなく水面に落下し、力なく浮かんだ。

 もはや暴れる力も無く微かな音とさざ波をたてるのみで、羽の中心の石はあの怪しげな輝きを忘れ黒ずんでいた。


「…ここまで頼んでねェよあの韋駄天野郎」


 やがて烈風が収まり、3人の姿も池から離れた。


「さぁて、仕上げだ。オォラ゛ァ!」


 地響きがするかのような掛け声と共に目を輝かせ、水に浸かった腕を振り上げる。

 いまだ振り回されているセルリアンのもとへ、突如壮観な水柱がそびえ立つ。

 大量の水を浴びたセルリアンの体の回転は収まり、早速その場を離れようともがく。しかし羽の一つは体の一部と共に脱落し、水を浴びた羽も、瞬く間に不協和音を生じ全く言うことを聞かない。


 けものプラズムの光を反射しキラキラと輝く水柱に乗って、一つの影がセルリアンを捉える。その影は何やら長い棒のような物を振りかぶっていた。


「やっぱりな。お前、大量の水がかかると動きが鈍りやがる」


 残雪は独り言を呟いて心を落ち着け、目の前の怪物に狙いを定める。


「…アイツ、やっぱ凄ェな…本当に足一本根こそぎへし折ってやがる…」


 やがて残雪の腕はありったけのけものプラズムを纏い、七色の輝きに包まれる。


「これで終わりだ。このクソデカ虫野郎」


 爆音と共に池の上に立った水柱の中心が、まるで破裂したかのように横真っ二つに裂ける。


...


「あっ…」


 バスの一同との会話の中、ユーラは不意に、何かを察するような声を漏らす。


「え、どうかしたの?」

「何かありましたか?」


 サーバルとかばんが口々に心配の声をかける。


「え、ええ、何でもありません」


 ユーラはすぐに我に返るが、その声にはかすかに動揺が混じっていた。

(残雪さん…もしや何か? いえ、気のせいですよね…きっと)


...


 飛び散った池の水が、あたりの草原を濡らす。

 水柱が裂けた場所には、未だに漂うけものプラズムと砕けたセルリアンの石の輝き、太陽の光が辺りの水滴を照らし、荘厳な虹を映し出してゆく。

 やがて消えゆく水柱の中から、満身創痍のセルリアンと粉々に砕けた大枝、そして激戦を終えた勇猛な褐色の翼の持ち主が現れた。

 その姿は眩しい太陽光に照らされ、未だに空中を漂う霧に雄大な影となって映る。

 やがて彼女は静かに地表へと舞い降り、他の戦士達も池の上空を囲む虹のアーチをくぐるようにその着地地点へと向かう。


「エクセレントゥ! やっぱりミンナ最高よ!」


 最初に残雪へと声をかけたのは、群れのキャプテン、ハクトウワシだった。

 続けてオオタカ、ハヤブサが口を開く。


「猛禽の爪持たずしてその戦い、その判断力。私たちも見習わなくちゃね」

「あの時の作戦変更がなければ私はきっと動けなかった。その、なんだ、ありがとう」


 仲間の声を聴きおもむろに振り返る残雪。

その表情は護るべきものを護った、充実した勇者のそれだった。


「あぁ、何とか、上手くいったみてェだな…」


 残雪が安堵の口を開く。が、その声はどこか弱弱しく。


「ヘイ! 勝負あったのよ! もう少し喜んでも良いんじゃない? 確かにもうヘトヘトだけどネ」

「喜んでるさ。やっぱ猛禽様は凄ェや…私が歯が立たなかったあの化物を…」

「いや、お前の活躍も…おい、何だその黒い…な…」


 ハヤブサは残雪の異変に気付く。

 残雪の脇腹には、何やらどす黒い棒状、いや、薄く細長い葉のようなものが見えた。


「おい、お前こんなの持ってなかっただろ!?」

「うるせェな、大したこと無ェって…ウッ」

「残雪!」


 そんな中、オオタカは青い顔をして、池に浮かんでいる黒い物体に気付く。


「ちょっと待って。それ、あそこにある…」


 それは最後の一撃の直前に残雪が目撃した、ハヤブサが叩き切ったセルリアンの足の一本だった。

 もはや何の力も宿さない抜け殻となったそれは、かつて甲高い音をたてていたプロペラを止め、力なく水面を漂っていた。


 その回転をやめたプロペラは、オオタカの悪寒を裏付けるかの如く、薄く、細長く、残雪の脇腹に見えるものと瓜二つであった。

 オオタカは急いで残雪の脇腹と、その葉のような物体が重なる点を確認する。

 やはり、どう見てもそのプロペラらしきものは、残雪の体を貫いていた。


 残雪の最後の一撃の瞬間、石と共に砕けた幾つかのプロペラは、高速回転していた勢いを保ったまま辺りに飛散した。

 そのプロペラは鳥や虫のものと異なり、硬く、鋭く、フレンズの体を貫くのに十分であった。


「あなた、これ、」

「ハハ…嫌な予感…当たっちまったなァ」


 刹那、聞こえてはならない筈の音が彼女らの耳を貫く。

 異質、不快、絶望、それら最悪を寄せ集めたような甲高い音。

 そしてその瞬間、突き刺さっていた鋭利な物が突如七色に輝き、何者かに引き抜かれるようにして、おぞましい音の発する方へ草を切り裂いて飛ぶ。

 痛々しく穿たれていた脇腹からはまるで栓を抜かれたかの如く、辺りにサンドスターの七色の輝きが飛び散る。


「な˝ッ!?ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ…ぁ…ぁ」


 残雪の、悲鳴と断末魔を混ぜたような声が響き渡る。

 口々に彼女にかけられる友らの声は、悪夢のようなプロペラの音と彼女自身の叫び声にかき消される。

 やがて羽の飛んで行った先から轟音を伴う地響きと共に、サンドスター・ロウ赤黒い旋風が巻き起こる。

 裂かれた草の破片が風に乗って彼女たちのもとへ届き、不気味な嵐の中心に見えるその姿はけたたましい音をたて、草むらの上に浮遊していた。

 プロペラと中心の石は二つだけ生き残っていた。

 先の戦いで入った亀裂や欠けた箇所が何やら真っ赤な物質で修復され、張り巡らされた木の根のような禍々しい模様を作り出していた。


 しかし先ほど戦った時と決定的に異なったのは、


 親友を庇う彼女らに深い絶望を与えたのは、


 砕き落とした腕の部分から生えている、どす黒い翼であった。


 毒々しい赤色の筋が描かれるその黒い翼の形は、眼下に横たわる、傷ついた親友の物にそっくりだった。


「嘘…あれ、残雪の翼じゃない…」

「バカな…何が起こっているんだ…こんなの聞いたことないぞ…」


 オオタカとハヤブサは思わず驚きを言葉にする。

 二人の目は絶望の光を灯し、蒼白な顔で茫然とそれを眺める他無かった。


 しかし、更なる未知、異質を極めたその物体へ、渾身の力を籠め突進する者が一人。

 やがて横たわる戦友を介抱する二人の眼前に閃光の花が咲き、凄まじい衝撃音と共に色とりどりに輝くけものプラズムが花吹雪の如く当たりを駆け巡る。


「…アナタ。仲間を、ここまで、弄ばれたのは、初めてよ」


 光の乱舞が幾分収まった先には、奪った翼で身を守るセルリアンと、今まで見せたことがないような血気迫る表情でそれを蹴りつけるハクトウワシであった。

 黒い翼と金色に輝く脚の重なる点からは、七色と赤黒の火花が膨大なエネルギーを纏い弾ける。


「オオタカ。ハヤブサ。アナタ達は残雪を安全な場所に移して。コイツは、ワタシ一人で、片付けるわ」


 いつもよりも静かな、しかし今までで最も迫力のあるキャプテンの言葉に我に返る二人。先に口を開いたのはハヤブサだった。


「何言ってる! 気は確かか!?」


 ハヤブサは声を荒げる。同時にその鋭い翼を広げ、心を蝕む絶望を一旦無視し、目の前の敵へ迫ろうとする。

 しかしまさに飛び立つその直前、一本の腕がハヤブサを制止する。


「ダメよ、ハヤブサ。あなたは残雪を安全な所に運んで。このセルリアンはキャプテンと私で始末するわ」


 その腕はオオタカのものだった。


「ちょっと待て…! 何故! 二人共もうサンドスターが!」

「サンドスターを消費したのはあなたも同じでしょう?それにあなたの急降下で倒せたとして、それまで残雪を放っておいたら本当に元の動物に戻ってしまうわ。しかもさっきのキャプテンの攻撃も、あの翼で防がれてる。二度同じ作戦が通用する保証は無い。一人残雪の保護に充ててヤツを二人でくい止めるには、私とキャプテンが組むしかないわ」


 そう告げるオオタカの目は野生解放で輝いていたが、希望の光は灯っていなかった。


「くっ」


 そしてオオタカの冷静かつ残酷な分析にハヤブサは反論できなかった。

 それしかないことは薄々自分でも理解していることだったからだ。


「とにかく逃げて。ユーラとあなたなら、私たちが戦っている間にマーブルや、護るべきあの子たちを安全な所へ逃がせる。猛禽として、群れの仲間として、あなたと組めたことを誇りに思うわ」

「あっ、待っ」


 ハヤブサの言葉を待たずオオタカの姿が一瞬ぶれ、目の前のおぞましいセルリアンの元に再び閃光が走る。

 友を傷つけられ、挙句の果てに不愉快な真似事をされた二人の凄まじい怒りは、復活したセルリアンへぶつけられる。


「オオタカ。キャプテンの、命令ニ、背いたのは、今日が、初めてね」

「ええ、今回ばかりは謀反を起こさせてもらうわ」

「オゥ、シィット。 後で、厳重注意よ!」


 しかし新たな翼を授かったセルリアンは、凄まじい力でその翼を振るう。

 赤黒い烈風が大地を薙ぎ、オオタカとハクトウワシは容赦なく地面に叩きつけられる。もはやサンドスターを使い切ったハヤブサ一人が太刀打ちできる相手ではなかった。

 凄まじい咆哮をあげるセルリアンは、血走った眼をハヤブサへと向け、猛然と迫る。


「ぁ…あ、ぁ…」


 心の葛藤を、恐怖が踏み潰す。

 ハヤブサの体は、無意識にオオタカの指示に従う。

 戦場に背を向け、残雪を抱えて全力でセルリアンから離れる。


 しかしいくら最速の翼とはいえ、サンドスターを使い切った上に一人抱えた状態で、復活したセルリアンを振り払えるはずもなかった。

 必死で残雪を運ぶハヤブサへ、追いついた悪魔の鎌のような腕が振り上げられる。


「「させるかぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」」


 凄まじい怒号、閃光とともに、セルリアンを二人同時の強烈な蹴りが襲う。

 ガードする間もなく、セルリアンは遥か後方へ吹き飛ぶ。

 ハヤブサの背後には、目も眩むほどの、凄まじい虹色の輝きをまとう二人の猛禽。その姿を見てハヤブサは声を荒げる。


「なっ、その量…やめろ、フレンズでいられなくなる!!」


 二人の野生解放は異常な量のサンドスターを消費していた。

 サンドスターが枯渇している今の状態でそれをすることは、フレンズの体を捨てることを意味していた。


「ふざけんな! 特攻なんて認めないぞ!! 今すぐ…!」


 しかし、ハヤブサの叫びに二人は応じない。顔を見せようともしない。やがて二人は背を向けたまま、ハヤブサに静かに告げる。


「それじゃあ、グッドラック、ハヤブサ。 またジャパリまん食べましょう」

「この困ったキャプテンは必ず生きて帰すわ。あなたも残雪をよろしくね」


 その直後、後方へ弾き飛ばされたセルリアンを烈火の如く追う、覚悟を決めた二人の猛禽。

 彼女らの激突は爆発を生み、戦いながら瞬く間に地を駆け、空を駆け、辺りの草木を薙ぎ倒し、やがて遥か遠き山の尾根の向こう側に消える。


 シン、と草原は静まり返り、穏やかな自然の風の音が耳に入る。

 悪魔が夜の間に暴れまわった森では、草木以外の命の気配はなく、やはり不気味なほど静まり返っている。


 先ほどの激闘を忘れたかのような大地の上を、一人のフレンズが息も絶え絶えな親友を抱いて飛ぶ。

 その飛行は速やかだが、どこか力なく、おぼつかないところがあった。


 やがて


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 怒り、悲しみ、悔しさ、無力感、喪失感。あらゆる激情を、ハヤブサは虚空へとぶちまけた。


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