6:二人の雁
プロペラから甲高い音を発するそのおぞましいセルリアンの腕は、あまりの恐怖に一寸も動けないマーブルに確実に近づく。
その顔は自身の翼のように青ざめ、強張り、いつもの輝くような笑顔の面影すらなかった。
が、次の瞬間鋭い打撃音。
同時に、セルリアンの体は何かに弾かれたように大きくゆらぐ。
地上の草は何かが爆発でもしたかのように八方へ引き千切れんばかりに薙ぎ払われ、その爆風はやがてかばん達のもとへと届く。
「うわっ、何この風…!」
「こんないきなり吹く風、感じたことないよ! さばんなちほーの風は吹く前に音で分かるのに、なんかいきなりそこにいた! みたいな…」
「ア、アララララ」
「ア、アワワワワ」
そう、この風は自然の風ではない。
八方に倒された草の中心に居たのは一人のフレンズ。
大きな木の枝を腰に付け、その白い交じり毛のある褐色の立派な翼を羽ばたかせ、人の身長分程の高さを浮遊していた。
「こいつに何か用か」
そのフレンズはセルリアンを睨み、そう放った。
冷静さの中に獰猛さを交えた、ドスの効いた声で。
「こいつは飯仲間だ。テメェにはかすり傷一つつけさせねェぞ」
九死に一生を得たマーブルは、突如現れた勇敢な背中を見上げる。
「あ…あの…あひがとふご…」
「腰が抜けてしまったか。とにかく逃げろ。がむしゃらでいい」
「ぁ…あ…」
マーブルはその言葉に従うことしかできず、風前の塵の如く逃げ出した。
「さて、仲間をああさせた以上、テメェをタダで帰すわけには行かねェな」
現れたフレンズは、木三本程自分の上空に留まるセルリアンをキッと睨みなおす。
[真雁 学名”Anser albifrons”]
[ 体長70cm、翼幅1.5 m 日本でも目撃される水辺に生息する大型の渡り鳥。
その美しい渡りの姿”雁行”は、古来より短歌や俳句などにも用いられ愛されている。
番犬と遜色無い程の警戒心、強い仲間意識、加えて高い知能を有する。
特に体力や警戒心に優れる個体は、リーダーとして群れの先頭を飛行する。このリーダーを、雁の統領と呼ぶものもいる。
幾千キロを渡る平均巡航速度は時速80km、渡り鳥の中でも高速な部類に入る。これはカモメやアホウドリに準ずる値だが、それらと異なり真雁は風に頼らず自らの羽ばたきで飛行を行う。
従って、真雁の飛行体力は鳥類の中でも屈指である。その筋力は強靭であり、猛禽類でさえも翼で叩かれると致命傷となり得る ]
「これ以上仲間の怯えた姿を見るのは御免だ」
そう言った瞬間、目の前のおぞましい黒い物体を睨む2つの目が純白の光を放つ。
早速の野生解放である。
地面の草が再び踊り、セルリアンの目前には突然大きく拳を振りかぶった怪鳥が現れる。その腕はユーラと同様、七色の輝きを放つ嘴を模した籠手が。
セルリアンはプロペラからけたたましく甲高い音を響かせ、混乱した素振りを見せながらも木の葉1枚ともいえる隙間で拳をかわす。
空を切る拳の後にはけものプラズムによる幻想的な虹色の軌跡が描かれる。
「小癪な」
その鳥のフレンズは苛烈な追撃を始める。
蹴り、拳、それらを避けた先に振り下ろす大枝。
それらをセルリアンは避け、弾き、反撃を繰り出す。
セルリアンの腕が髪の毛をかすめる。
しかし彼女も臆せず押し寄せる攻撃を避け、弾き、反撃する。
体を反らし、セルリアンの鋭利な腕を避ける。
その反動で回転し、振り向きざまに枝を振るう。
それを下方へ避けたセルリアンが放つ突きを、空いた腕の籠手で弾く。
少し後方へ飛ばされるが、想定範囲内。
追撃のため迫るセルリアン。
顔めがけて飛んできた鋭利な腕をかわし、それを掴んで後方へ投げ飛ばす。
体勢を崩したセルリアンへ、その翼で空気を殴りつけるようにして空を翔ける。
目で追うセルリアンの背後に広がる景色はめくるめく速さで流れ、空の薄群青、深緑の草木、そしてその境界が次々に回り移り変わってゆく。
激闘を演じる二人の周りは嵐のような暴風が吹き荒れ、いくつかの草が根こそぎ抜ける程のものであった。
「…聞いた通りすごく強いみたいだね…」
「ものすっごーい音と風だよね…」
微かな木漏れ日をかぶるバスから、かばんとサーバルはついに現れた鳥のフレンズとセルリアンとの戦いの音を聴いていた。
そして彼女らの間には、からくも逃げ切ったが未だ恐怖がさめやらぬマーブルが小刻みに震えていた。
「残…せつ…来て…れなかっ…ら…私…私」
「落ち着いて、マーブル!」
サーバルは心配そうに、青い鳥の体に寄りそう。触れたその体は、温もりを感じるにもかかわらず凍えているかのように震えていた。
その時、木々の間から風が押し寄せる。ざわざわとどよめく木々の間から、先ほどから戦っているあのフレンズに勝るとも劣らない、灰色と黒をまとった立派な翼が現れる。
「うわぁ、なになに!まだ鳥のフレンズが居たのかな?」
「ど、どなたですかぁ!?」
「あ…れ…? ユー…ラ…さん…?」
マーブルの表情が少しだけ和らぐ。
その翼の持ち主は、黒いラインの入った純白の髪をなびかせ、さっと着陸の姿勢を整えてバスの前に降り立つ。
「はじめまして。私はインドガンのユーラと申します。皆様を護衛しに参りました」
車内の一同を前に、彼女は穏やかに語り掛ける。
かばんとサーバルもそれに応じる。
「私はサーバルキャットのサーバル!今かばんちゃんと旅をしてるんだ! この子がかばんちゃん!」
「あっ、はじめまして。かばんです。ところで、護衛って…」
かばんは挨拶と共に疑問を投げかける。ユーラは明瞭だが穏やかな声で、起こっていることを話し始める。
「今あのセルリアンと戦っているのは残雪さん、私の群れの仲間です。一緒に食事に向かっているところ、そちらのマーブルさんが襲われているのを見つけました。そこで残雪はセルリアンとの戦闘を、私は万が一に備え、近場にいるあなた達の護衛を請け負ったのです。群れにはもう三人居るのですが、別区域を哨戒中です」
「すごいね! 私たちがいる事を知ってたの?」
サーバルは思わず驚きの声を上げる。
「もちろん。私たち鳥は目が効きますので。特に今戦っている残雪さんは勘が鋭く、おとといからあなた達の事を存じておりましたよ。本当はこれから皆で一緒にお食事したかったのですが、この森の様子が明らかにおかしく、マーブルさんが危険だったので…」
おとといと言えばかばんたちがジャパリまんの木を探していたころだ。あっさり見つかっていたようだ。
そして、この森の様子が変というのはどういうことだろうか。疑問に思ったかばんはユーラに問う。
「え? この森何か変なんですか?」
「昨日まで聞こえていた虫や鳥のさえずり、今聞こえますか?」
「あれ! 本当だ…何も聞こえないよ!? 私、耳には自信有るのに…」
サーバルの耳をもってしても、森から一切気配を感じないらしい。
試しにかばんも耳を澄ます。
本当だ、全く聞こえない。
あの距離からそんな異変に気付くなんて改めて凄いフレンズさんがいるんだなあ、と、かばんは心底驚嘆した。
ユーラは穏やかな声で続ける。
「恐らく、あのセルリアンが原因でしょう。かなり騒音を立てている上狂暴なので。ただ、安心してください。ヤツは必ず倒しますし、あなた方の事は必ず護りますので」
ユーラの芯の通った声は、かばんとサーバルをいくらか安心させる。
マーブルの体の震えも、その声のおかげか時間のおかげか少し収まりつつあった。
「とにかく、今はここで待機です。このバスも、何かあった時身を守るのに役立ちそうですしね。さて、ここで会ったのも何かのご縁ですし、何か聞きたいことはございますか?」
ユーラの問いかけに、サーバルが質問する。
「そういえば、群れってどうやってできたの?」
ユーラは少し考えて記憶を並べ、答え始める。
「元々はフレンズ化して間もない頃残雪さんに助けてもらって、丁度同じ雁だったので一緒に旅していました。セルリアンと出くわしたりもしましたが、残雪さんの機転で何とか乗り切っていましたね。ただ、どうしようもなく強いセルリアンが現れ、二人共かなり危なくなった時、ハクトウワシ、オオタカ、ハヤブサの3人の群れが助けてくれたのです」
ユーラは、群れができるまでの経緯を語った。
マーブルの口からも聞いた、猛禽三人衆。今戦っているあの残雪よりも、本当に更に強いらしい。ユーラは続ける。
「その3人はもっとたくさんのフレンズを救うため、より遠くまで飛べる方法を知りたがっていました。そこで助けられたお礼に、遠路を飛ぶ私たち渡り鳥の飛び方を伝えることにしたのです。それで今5人の群れとなっています」
群れの結成の経緯に、サーバルは感嘆する。
「ちゃんと助けられた恩返しをしたんだね!」
「恐縮です。後、マーブルさんはここのジャパリまんの木でのお食事仲間です。彼女の歌を聴くと、心なしかジャパリまんが美味しくなりますね。みんな、特に残雪さんは気に入ってますよ」
ユーラはマーブルの方へ穏やかな笑顔を向ける。その不安げな小鳥は、ユーラにすがるように問いかける。
「本当に大丈夫だよね? セルリアン、やっつけてくれるよね? またみんなで、ジャパリまん食べられるよね?」
ユーラはマーブルの目を見据え、優しくも真剣なまなざしで答える。
「大丈夫ですよ。残雪さんは必ず仲間を守る、雁の統領です。それに三人も、じきに気づいてやってきますよ」
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