パリ滅びろ!

       皇紀2679年7月11日―いわゆる西暦2019年7月11日

       そして安興あんきょう2年7月11日


 今日は、予備役へと編入された兵士たちの訓練日であったのだが、そこで妙な言葉を耳にした。


     『パリ滅びろ!』、『パリ死ね!』

 

 的を狙い引き金を絞るごとに、かつての愛機に搭乗する際に、使い終わった装備を分解整備する折に、誰も彼も似たようなフレーズを口にしながらこの訓練に臨んでいた。


 無論、パリとはこの場合パリに存在するあの忌まわしき強奪犯―ユネスコを示しているのであろうし、加えてあの腐った文化委託政策に寄りかかるハイエナどもを示唆しているのであろう

 

 皆、皆、今日この場に募った一人残らずが未だに未だに文化簒奪者共の愚行に怒り、そしてただの集金装置に貶められた我らの文化を悼み、復讐の気炎をあげている。


 これをどうみるべきか。


 良い事だと言えるだろうか?


 それとも懸念すべきだと嘆くべきか?


 約一年ほど前だっただろうか、臨時招集された国会で軍事再編で兵の多く、それも年少者と高齢者を中核に予備役へと放り込まれ、軍隊での経験を生かして民間企業へと就職する運びとなった。


 何せ“産業の振興を図ろうと思いますが労働者がいません、どうにかしてもらわないと国が潰れます”という身も蓋もない調査結果が出てしまったのだから仕方がなかった。


 予備役編入に駄々をこねてテロ行為を企てるという奇想天外な手段を講じようとしたバカもいたがそれも即座に露見して未然に防がれた。


 この件で問題なのは、愛国無罪を主張した馬鹿がその辺にポコジャカ湧き出たことであったが、過激な言動が問題となって、国民全体で国を思うことの意義が論議されたのはやや右傾化しすぎた皇国にはいい薬になったと思いたい。


 ―閑話休題、今日の一件に話を戻そう


 まず、考えなければいけないのことはこの言葉がなぜこうまで唱えられるのか、であろう。


 単純に、恨みつらみが口を出たというのなら、それはそれでどうかと思わないでもないが気持ちはわかる。たかだか30年も経っていないうちにあらゆることが起きすぎた。

 

 国家として文化や誇りを簒奪されたとかそんなレベルの話だけではない。国民の多くは家族や友人、恋人を失った。自分の身体を亡くし、機械へと置換し終わらぬ幻肢痛に苛まれるものもいる。


 心に傷を受けてもはや憎しみを燃やすことでしか生きていけぬものもいれば、戦争が粗方終結をみたころに自らの命を絶った者もいる。


 何もかも時代が悪かったのだ、と開き直れるほど人は強くはない。

 

 生きていくために何者かに悪徳を求めて、その結果、目標が『パリ』に固定されたのであればそれこそ時代が悪かったのだとフランス政府とパリ市民には諦めてもらうよりほかはない。


 もっとも、国連職員とその賛同者どもはその命を持って償うべきであるし、血祭りにあげてやりたいとは個人的に思う。


 次に考えるべきは、戦意が薄れかけていることだろう。


 中ロがごねて停戦・終戦の合意はなしてはいないが、この国に流れている空気はもはや戦中ではなく戦後だ。


 多くの人が血と泥にまみれた戦場の空気を振り払い新しい日常の空気を醸し出そうと努力を重ねている。


 そも、これを政府としては率先して行っているわけではあるし、軍においてもなるべく戦火の匂いを消して日々を過ごしている。


 どこかで皆、期待をしているのであろう、“誰の目からも明らかな復興を果たせば連中もあきらめて全てを返還してくれるのではないか”、と。


 だが、それ以上に、人間とは過去の憎しみと怒りの身を糧にして争いの身に生きる事は出来ず、凄惨な過去に縛られず、前を向いて平和な未来へと生きていくのではないか。


 そんな戯言を私は思ったりもするのだ。


 空想的で夢想でしかないというものも多いだろうが、しかし、実際に部下隊員にも恋人ができ、家族となり、家族が増えたものも多く出はじめ、そして昔のように俯くではなく笑顔が見えるようにもなった。


 戦後戦闘ストレス反応CSR心的外傷後ストレス障害PTSDに陥り入院していた者たちも催眠療法やストレスケアによって回復の兆しを見せ始め、多くが社会復帰を果たしている。


 もう誰もが、本当は戦争を望んでいないのかもしれない。


 だからこそ、予備役として訓練参集した彼らは叫んだのではないか?自らを奮い立たせるため、闘志を滾らせるために『パリ死ね』、『パリ滅びろ』、と。


 だとするならば、『パリ死ね!』、『パリ滅びろ!』とは―字面は無視して―なんと残酷で希望に溢れているのだろうか。


 戦争に備えつつも平和を望む。


 これこそが、民主国家における人民のあるべき心構えではないだろうか


 誰しもが自らの生活に平穏を願い、それを破ろうとする外敵には牙を剥く、そしてそのために牙を研ぎ続ける。


 いまだ恒久的な世界平和など望むべくもないこの世界に、我々は自らの意思で生き抜いていくのだという覚悟すら感じられる。


 だとするならば、私は、私の運命から、いや違う、境遇から逃げ続けてはいけないのだろう。

 

 進むにしても戻るにしても、私も自らの意志で決めていかなければならない


 パリよ死ね!パリよ滅びろ!しかして、パリよどうか平和に包まれてあれ!


 余りにも矛盾しているが、これも私の在り様だろう。

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