31、始まりを祝福する歌
「これより『春姫』ハナ・トーノは季節を改変する『春の奏で』を始める!」
少し声が震えてしまったけど、頑張って叫んだ私の足元から青色に光る図形と幾何学模様が地面に広がっていく。一見塔にある移動の魔法陣と同じように見えるが、それとはまた違うものだというのは分かる。
文字のように見えるけど読めないのは、私の恩寵『言語理解能力』が効いていないということだ。
儀式用のフリルがたくさんついた青いドレスを、魔法陣の中でうず巻く風がなぶる。薄手のドレスだったため外套の下に着てきたんだけど、儀式を始める前に服を脱ぎ始めたらレオさんとジャスターさんをギョッとさせたのは申し訳なかったかも。これは要改善だね。
「おお、なんかすごい」
魔法陣の中(?)からは大きな黒い箱のようなものが、目の前でゆっくりと上がってくる。
「塔の中にあった、儀式の練習室のピアノと同じかな?」
黒い箱の前面にある窪みに指をかけて引き出せば椅子になり、そこに座ると蓋があるのが見える。持ち上げれば鍵盤が現れた。
ここまでは練習の時と同じでホッとする。問題は、どんな曲が出てくるのか……である。
「初見で弾くのは苦手なんだよね……」
「姫さん、何度やってもいい! 気負わずにな!」
「ゆっくりでいいですよ! 野営もできますからね!」
野営という言葉に思わず吹き出す。そこまで待たせたらダメだよね。
すると魔法陣の中だけに、空から青い光がゆっくりと落ちてくる。幻想的な風景に見惚れていると、その光の一つがピアノの蓋に落ちてきた。
スーッと滑るように蓋から鍵盤へと落ちるそのタイミングで、私は光の示す音に指をそっと置く。
「これ、塔で練習した曲に似てるけど、少し違う……」
きっとこの世界ではメジャーなのだろうけど私には分からないし、基本的に知らない曲だ。そこで私は重大なミスに気づいた。
「音楽……この世界の音楽を事前に習っておけば良かったんじゃ……」
悔やんでも遅い。儀式はもう始まってしまっている。
塔で練習した『始まりの歌』に似たその曲は、そこまで複雑で難しいものではなかった。それでも音は合ってもリズムに乗れなかったり、強弱も上手く表現できなかった。
「強い音は大きな光、弱い音は小さな光、音をのばす時は光が尾を引いてるやつ」
数回弾いたところで、やはり合格はもらえない。曲の肝となっている部分を掴んでいないからだろう。
ピアノを習っていた時、新しい曲はまず譜面を読み込む。その時に見本とする演奏を聴くのが重要だ。先生が一度だけ弾いてくれているから、それをできる限り脳内の残しつつ譜面を繰り返し読むのだ。
鍵盤に指を置くのはそれからで、今回のようにぶっつけ本番にしている私が明らかに準備不足だった。
「……ごめんなさい。一度儀式を中断しても大丈夫ですか?」
「魔法陣から出なければ基本何をしてても自由だ。俺たちは魔法陣の中に入れないが、何か食べたいものがあれば手渡せるぞ」
「ありがとうレオさん。あの、私が弾いていた曲って知ってます?」
「知ってるぞ。この世界では有名な『始まりを祝う歌』だ。騎士学校の入学式で歌わされた」
「姫君が塔で弾いていた『始まりの歌』を歌った者に対し『始まりを祝う歌』を歌うんですよ」
なるほど。有名な曲だということは分かった。
椅子から立ち上がった私は、魔法陣の中でゆっくりと頭を下げる。
「レオさん、ジャスターさん、どうか私に力をください」
「ど、どうした姫さん! 俺たちは姫さんの、姫さんだけの騎士だ! 何でも言ってくれ!」
「姫君どうしたのです!? そんなに震えておいたわしい……」
慌てる二人に申し訳ないと思いつつも、私は願いを口にした。
神は季節を 我らに与えたもうた
見よ すべての水は 清らに流れ
天より来たれり 沢巡る 神気は
風を呼び 落雷より火をもたらす
皆祝え 山よ 大地よ 人の子よ
レオさんのよく響く低い声に、ジャスターさんが少し高い音を出してハーモニーを奏でていく。しっかりフルコーラス歌いきってもらって、私はスタンディングオベーションで拍手をした。ブラボー!!
歌い終えたオッサン騎士二人の顔は赤い。ものすごく赤い。
正直、すまんかった。
「だいぶ感じを掴めてきました! 次こそいけますよ!」
「頑張ってくれよ。めちゃくちゃ恥ずかしかったんだからな」
「こういう機会は、なかなかないですね」
未だ頬を染めているオッサン二人に、もう一度ぺこりと頭を下げると私は儀式を再開させる。
音、リズム、強弱をしっかり合わせないと『春の奏で』として音が広がらない。塔の時は音の広がりが近くの山まで達したというから、あの時みたいに演奏すればなんとかなるはずだ。
「神王はこの世界に季節をもたらし、最後に火を人間に与えた……みたいな内容だったよね」
私は鍵盤にそっと指を置くと、落ちる光に合わせて演奏していく。
歌を聴いたせいか、先ほどとはまったく違う音の広がり方をしている。ありがとう照れ屋なオッサンたちよ。
「これで間違えないように上手く弾けば、儀式は成功できるはず!」
光る青が落ちるたびに、私は指を滑らせて合わせていく。
強く、弱く、テンポはゆっくりだから慌てず合わせれば大丈夫。
こうして私は、何とか青い光に合わせることに成功し、一音も外さず弾き終えたのだった。
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