20、儀式の練習



 ピアノを弾くのって、いつぶりだろう。実家を出てから触ってないから十年ぶりくらいかな。

 長い間、放置されていた割には埃がついていない。部屋の壁も床も石造りで、少し冷んやりとした室温になっていた。指を置いた鍵盤も冷んやりとしている。


「冬じゃなくて良かった。極寒でのピアノ練習は苦行だからなぁ」


 塔の周りの気候は春で安定している。他の塔は各季節の気候になっているらしいけど、塔の中は過ごしやすい状態に保たれていて、さすが『神が創った』だけあるなぁと思う。

 それでもこの部屋だけは、なぜか冷んやりとしているのは私の気分がそうさせているのか。


「まずは指を慣らさないと……」


 かろうじて覚えているハノン(指の準備運動するための教本)の最初の方を弾いてみる。恐ろしいくらいに響くピアノの音は、初めてグランドピアノを弾いた時のような感動を覚える。


「音が綺麗。もしかして調律も神様がやってるとか? 神の調律なんて、なんか格好良いかも」


 一人でブツブツ呟きながら両手で同じ音階を強めに弾いていく。手の甲から肘にかけて溜まっていく筋肉の疲れを覚悟しているけど、なかなかこない。これは……。


「そうか。『身体能力強化』の恩寵があるから、疲れないんだ」


 いつも弾くのが嫌だった指の運動も難なくこなしてしまう。いくら弾いても疲れないなんて、これも学生時代に欲しかった能力だ。

 覚えている曲は少ない。有名なクラシックを数曲弾いて、間違えたりつまづいたりしながらも何とか最後まで弾く。曲を弾き始めたら絶対に最後まで弾くようにと、幼い頃から散々注意されていたことが染み付いているせいだ。


「忘れてたと思っていても、憶えているんだよね……こんな細かいことまで……」


 苦笑していると、本来なら楽譜を置くだろう場所に小さな光が落ちている。いや、落ちているんじゃないな。鍵盤を隠していた蓋の裏から光がひとつ流れて、鍵盤まで辿り着くと何度か点滅して消えた。

 また同じように光が流れる。そしてさっきと同じ所の鍵盤に当たると、何度か点滅して消えた。


「なんだろう、これ……弾いてみればいいのかな?」


 なぜか自分のスマホにはいっていた音楽のゲームを思い出す。

 また光が鍵盤に流れ、私はそれに合わせて指を置いた。


 ポォーン……


「うわっ!? 何? さっきより音の響きが全然違うんですけど!?」


 指慣らしの練習していた時は普通にピアノを弾いている感覚だったけど、今のは違う。なんというか、塔の全体が響いているような感じがした。


「な、なるほど、これがきっと正解なのかも」


 光が流れる度に鍵盤に指を置いていく。それを続けていくうちにメロディーになり、左手の伴奏が加わり、ひとつの曲になっていった。

 知らない曲だ。でも、どこか懐かしい曲だ。


「この世界の曲かな?」


 数分で終わるその曲を、何度も繰り返し弾いてみる。流れる光は同じ曲を繰り返してくれてて、合わせて弾く度に光が散ったり強まったりと面白い。それに合わせて強弱をつけたら、部屋の中が心なしか暖かくなったように感じる。


「ふぅ……こんな感じかな」


 疲れないとはいえ少し休むかなーと部屋の外に出ると、ドアの前にジャスターさんが立っていた。

 背の高い彼を見上げると、なぜか頬を染めてメガネ越しにも目を潤ませているのが分かる。少し乱れた銀髪と綺麗な紫の瞳、さらに美形な男性に見つめられる私は一体どうしたら良いのでしょうか。ドキドキするんであまり見ないで欲しいんですけど。


「ああ、姫君……とても素晴らしかったです……」


「え? あ、儀式の練習ですか?」


「春の儀式とは、このように素晴らしき音色を奏でられるのですね。町に出かけている筆頭にも届いたことでしょう」


「レオさん町に出てるんですね。え? 町まで届く? いやいやピアノの音はそこまでは届かないと思いますよ?」


「最初は小さな音だったのですが、あの『始まりの歌』になった時、塔から奏でられていました。町までは確実に届いていますよ」


「ええええ!? そんなぁ……恥ずかしいぃ……」


 すごく久しぶりに弾いたピアノを聴かれちゃうとか! すんごい恥ずかしいんですけど!

 顔が赤くなっているのが自分でも分かる。そんな私を見たジャスターさんもなぜか目を逸らしている。うう、すみません。美形の方にこんなチンチクリンの見苦しい顔をお見せしてしまい猛省。


「他の塔では毎日のように聴こえますからね。儀式に向けての練習は必要ですからね」


「でも、下手くそだから……」


「そうでしたか? 音の重なりが美しく素晴らしかったですよ。初めて聴く音でしたが」


「初めて?」


「ええ、とても感動しました。このような楽器があるのですね。姫君の故郷には」


 なるほど。この世界にはピアノが無いのか。……ん? 他の姫たちも儀式で楽器を使うんだよね?


「あの、他にどんな楽器があるんですか?」


「秋姫様は横笛ですね。冬姫様はリュートで夏姫様はタムという叩いて鳴らす楽器を使われます」


 リュートって弦楽器だよね。タムは太鼓で、横笛はフルートみたいなやつかな? 竹をくりぬいたやつならかなり素朴な音になるけど……いや、きっとそれらも神王様とやらが『創った』んだろうから、きっとまた別のものかもしれない。


「そうだ。ジャスターさんはどうしてここにいたんですか?」


「護衛です」


「護衛? 塔の中ですよ?」


「塔の中は安全ですか? どこかの野獣が部屋を突然開けたりするかもしれませんよ」


「ふおぉぉぉぉ……」


 朝の諸々を思い出し、再び顔が熱くなる私。そしてまた目をそらすジャスターさん。


「姫君、あの、あまりそのような愛らしい顔をされると、これから騎士になる者たちの目の毒になっていまいます。なるべく控えていただけるとありがたいのですが」


「はい?」


 私はジャスターさんに「メガネを変えるべきだ」とアドバイスしたら、ものすごく変な顔をされました。

 なんでだ?



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