19、儀式の準備開始



 塔の鐘がなるということは、私が『春姫』として仕事をする準備をしなければならないということらしい。元騎士でもあったレオさんは、しかめっ面でお腹をさすりながら説明してくれた。

 いや、あのさ、私は悪くないからね?


「俺が悪いのは分かっているが、こんな良いものをもらうとは予想できなかった」


「姫様は身体強化される恩寵を持ってますからねぇ」


 とりあえず朝食をとることにした私たちは、食堂で美味しいご飯を食べながら打ち合わせ?をしている。うん、今日もサラさんの作った料理は美味しい。

 焼いたベーコンの塩味を感じつつ咀嚼していたパンを飲み込んだ私は、ふと疑問を感じてジャスターさんに問う。


「やっぱり普通の人より腕力が上がったりするんですかね」


「そこまで変わることはないと思いますが、なにぶん姫様は異界の方ですから……この世界の人間の恩寵と違う部分があるかもしれません」


 サラさんは健康になるってことを言ってたけど、もしかしたら同じ恩寵でも人それぞれ違うのかな?

 ここで色々と検証したいけれど、今はそれよりも「お仕事」について聞かねばならない。


「さて、これから何をするか説明をお願いしてもいいですか? エロレオさん」


「筆頭は博識ですね。女性の敵ですが」


「いや、本当に悪かったって。変な名前で呼ばないでくれ姫さん。ジャスター、後でじっくりと訓練に付き合ってやるからな」


「ご遠慮いたします」


 困り顔のレオさんは紺色の髪をかき上げている。やけに様になっているその仕草は、確かに女性の敵っぽく感じる。

 サラさんは給仕に入っているので基本は無言だ。たまにレオさんを警戒するように見ているけど。


「それで、だ。四季を変更する儀式には、騎士が付き添うのが通例だが、傭兵が少なくとも二十人は必要だ」


「二十人ですか? 雇うということですよね? お金はどこから出るんですか?」


「国から金が出るから傭兵には金が入るぞ。それに魔獣と戦ったりするわけじゃなく楽な仕事だから、儀式の付き添いは人気だぞ」


「え、それなのに傭兵さんを雇うって何か意味があるんですか? 儀式の一部とか?」


「いや、ただの賑やかしだ」


「賑やかし……」


 レオさんが言うには、四季を変更する儀式の流れはこうだ。

 

 1、塔の鐘が鳴り、儀式の準備が始まると各国にも知らされる。儀式が行われる近隣の町や村にも知らせが入る。

 2、人や物(食料などの遠征に必要な物)の準備が終わると、塔の前に移動する魔法陣が現れる。関係者と物資のみが移動することができる。

 3、儀式が行われる場所までの道は、国が都度軍を派遣しているので安全だ。その道中で姫や騎士は、町や村で歓待を受けたり祭などに参加したりする。

 4、四季を変更する儀式をする。


「レオさん、三番目のやつは必要ないですよね?」


「まぁな。だが、それが通例となっているから我慢してやってくれ」


「こっそり行って、こっそり帰ればいいじゃないですか……レオさんたちはともかく、人前でなんかするなんて恥ずかしいです……」


「安心しろ、儀式の時は騎士だけしかいないから」


 なんでこんな羞恥プレイをせにゃならんのだ。くそう。解せぬ。

 国からお金が出るっていっても、それは税金だよね? 無駄遣いじゃないの? もっと他のことに使って欲しいんだけど。例えば紙とインクの安定供給とかのために、それを作ってる工場には補助金を出すとかさ。


「しょうがないですね。とりあえず傭兵の件は任せます。私が何かすることとかありますか?」


「姫さんは儀式の練習をしておいた方がいいと思うぞ。塔の中に部屋があったはずだ」


「練習する部屋?」


 すると食後のお茶を用意してくれているサラさんが口を開く。


「塔に姫様しか入れない部屋がございます。きっとそこのことでしょう。ご案内します」


「ありがとうサラさん」


 そうだよね。練習できるよね。一発本番とか勘弁して欲しいと思ってたから、すごくホッとしたよ。

 あとサラさんは有能だ。塔の中のことはほとんど網羅してそう。さすがだ。


「俺は傭兵の詰所に行ってくる。ジャスターには物資の用意をしてもらう。交渉は頼んだ」


「了解です」


「レオさんジャスターさん、よろしくお願いします」


 私が立ち上がって丁寧に一礼すると、二人も慌てて立ち上がる。


「姫さんがそんなことする必要ないんだ。これが騎士の仕事なんだから気にするな」


「私は二人がいないと何もできないから……」


「姫様はここにいらっしゃるだけで尊きお方なのですよ。頭を下げる必要はないんです」


「でも……」


 しゅんとうな垂れる私に、サラさんが優しく言ってくれる。


「姫様、女性に尽くしてこその男の幸せなんですよ。こき使ってやればやるほど喜ぶんですから、気にすることはないのですよ」


 いや、それはダメだろうと思いつつも、もしかしたら異世界だからそうなのかなとレオさんたちを見ると、コクコク頷いている。

 なぜか少し顔が引きつっているようにも見えるけど。


「分かりました。初めて尽くしですから、今は甘えさせてもらいますね」


「それがよろしいかと」


 うん。今は甘えるしかないんだ。

 ……実年齢を知って、ドン引きされたら泣いちゃうかもしれないけど。







 サラさんに案内された部屋のドアの前に立つと、額にある青い花のような痣から光が飛び出す。青い光に包まれたかと思うと気づくと私はその部屋の中にいた。


「えーと、大きな黒い箱?」


 小さな体育館ほどの広さがある部屋に、私は一人で立っていた。目の前にあるのは三メートル四方の大きな黒い箱。


「どうすればいいんだろう。とりあえず触ってみるか」


 黒色の艶やかな素材を使っているらしき箱の表面に指先を滑らせると、下の方で何か倒れた音がする。四角くくり抜かれた箱が、椅子のようになっている。


「座ってみればいいのかな?」


 恐る恐る座ってみると、目の前にあるものが何かを連想させる。そうか。これは……。


「ピアノかな?」


 そう思ったのと同時に、蓋のようになっている部分が分かってくる。指をそっと入れると組み立てられたブロックのようにそれはピアノの形になっていった。蓋を開ければ、白と黒の鍵盤が見える。


「おお。触るのは久しぶりだけど……私、そんなにピアノが得意ってわけじゃなかったんだよね」


 中学まではピアノを習っていた。簡単な曲なら弾けるが、それで大丈夫なのか不安しかない。


「やってみるしか、ないよね」


 私は背筋を伸ばして坐り直すと、鍵盤に向き合い柔らかく両手を前に置いた。

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