1、詰んだ私の事情



 派遣の契約が完了との連絡が入ったのは、まだ寒い真冬の時期だった。

 契約完了ということは、次の仕事を探さなければならない。

 仕事が終わっての帰宅途中、スマホのメール画面を見て私はため息を吐く。


「寒い。心も懐も寒い。寒すぎる」


 この時期に「一ヶ月後には無職ですよ」という通達はキツイものがある。しかも特に資格などを持っているわけでもない「平々凡々以下」な私では、次の仕事がすぐには見つからないだろう。


「やっぱり、ちゃんと就職するべきだったのかな……」


 漫画家になりたいと言ったら家族に大反対され縁を切るとまで言われた私は、高校を卒業するとともに家を飛び出した。

 そこからはバイトしながら漫画の原稿を描き、出版社に持ち込んだり投稿したり、寝る間も惜しんでガムシャラに頑張った。

 きっと若いから出来たんだろうな。今やれって言われても体がついていかないし、あの生活はもう無理だろう。


 バイト生活が苦しくなった時に、友達から高時給な派遣の仕事を紹介してもらってから数年。気がつけば三十代半ば。漫画家になるという「夢」は同人誌を描いたりするくらいの「趣味」になってしまった。

 それでも漫画を描くことは楽しくて、作品をネットの無料サイトに投稿したり、それで閲覧者から反応をもらったりと毎日が充実している。


 漫画はいい。自分の世界とキャラクターを動かして、人を楽しませることができる素晴らしい文化だ。

 しかし、その漫画を描き続けるためには働かねばならぬ。できれば働かずに漫画だけを描いて生きていきたいでござるよ。


「貯金もあまり無いし、社員として就職したいけど……とりあえずバイト探すか」


 はぁっと吐いた息は真っ白で、それがなんだか無性に悲しくてじんわり涙ぐむ。いかんいかん。前向きにならないとダークゾーンに入ってしまうな。闇堕ちダメ、絶対。

 温かいお茶でも飲んで落ち着くかと喫茶店に向かおうとして、ふとその隣にある文具店に目がいく。


「ワゴンセールしてる……うわ、懐かしいなこれ」


 ワゴンには『初心者漫画セット』なるものがセール品として置かれている。原稿用紙にインクとペンがセットになっているものだ。私も昔お世話になったなぁ。


「久しぶりに、アナログで描くのも楽しいかも」


 今はパソコンで絵画用ソフトを使って描くのが当たり前になってしまった。事務仕事の契約が終わったことでしばらくは時間が出来るから、アナログで描いてみるのも楽しいかもとウキウキした気分で購入を決める。

 レジに持って行くと店員さんが「これ、オマケです」と何か入れてくれた。売れ残りだとは分かっているけど少し得した気分になる。


「ついでに本屋に寄ろう」


 貯金はあまりないけど数ヶ月はなんとかなるだろう。アナログで漫画を描くためという言い訳をしながら、気分を盛り上げようと昔大好きだった少女漫画の豪華版を買ってしまう。反省はするけど後悔はしない。

 満足した私は、いつになく前向きな気持ちで家に帰った。







「んー?」


 やけに部屋が明るくて目が開けられない。電気つけっぱなしにしてたかなと目を開けると、真っ白な布に囲まれている。


「んあ? なんでシーツが?」


 起き上がると、やけに布団がフワフワしている。すごく良いつくりのベッドで寝ていたみたいだけど……あれ?


「え、何でベッド……アパートにベッドは置いてないのに?」


 声に出して確認するのは不安だからだ。

 おかしい。確かに家に帰ったはずなのに。

 ひとつずつ思い出そう。仕事の契約がきれて、落ち込んで、漫画セット買って、オマケもらって……。


「そうだ。オマケだ」


 オマケにもらったのは、綺麗な青いインクとガラスペン。試し書き用の紙が入っていて、点線をなぞっていくと綺麗な模様が出来上がったんだ。

 寝ていた私はいつも着ているスエットの上下という格好だ。寝心地の良かった枕の右側には、買った『初心者漫画セット』と少女漫画が転がっている。左を見るとガラスペンと青いインク瓶、

そして模様の描かれた紙が……サラサラと砂になっていく。


「えええ!? ちょっとどうなってんのこれ!!」


 慌てて起き上がった私の勘が告げている。この紙が今の状況に陥っている原因だと。

 せめて模様だけでも写したかったけど、あっという間に砂になってしまった。インクと同じ青色の砂がシーツの上に残っている。なんてことだ……。


「失礼いたします」


 突然響く女性の声に驚いた私が声に返せないでいると、ドアを開ける音とガラガラと何か台車を動かすような音が聞こえる。白い布の向こうが少し透けていて、女性が食器を並べているのが見える。

 声をかけたということは、私がいるのは分かっているんだろう。コーンスープみたいな香りもするし、食事の準備は私のためにしてくれているに違いない。ここは勇気を出さねば。


「……あのー」


「ひぃっ!?」


 飛び上がって驚いた女性が、慌てたようにしゃがみこむ。このままじゃ失礼だろうと、ベッドに掛かっている天蓋の布を開けようとする私を女性が手伝ってくれる。外国映画に出てきそうな優しい感じの白人女性は、私より十歳は年上のように見えた。


「すみません、あの、ここはどこですか?」


「…………」


「教えていただけると、ありがたいんですけど……」


「……こ、ここは、春姫様の塔で、ござい、ます」


「塔?」


 大きなベッドから抜け出して足をおろそうとすると、女性がスリッパのようなフワフワなものを出してくれた。石の床と石の壁で造られた灰色の部屋を見回す。大きな窓には鉄格子がはめられていて「牢屋?」と思うけど、近くまで寄れば分かった。この部屋は何階建てか分からないけど、やけに高いところにあるみたいだ。


「この鉄格子は、落下防止?」


「え、ええ。まぁ、そうです」


 なるほどと、やっと私は現状を把握できたような気がする。

 窓から見える景色を見て納得したのもある。

 遠くまで広がる緑、流れる川は遠くに見える湖に繋がっていて、視界を移せばアルプスのような山々も見える。


 そして、やけに大きい鳥。

 とにかく大きい鳥が数羽飛んでいるんだよね。バッサバッサと。

 どれくらいかっていえば小さな飛行機くらいかな。

 うん。大きいね。

 すごいね。


「あの、ここはなんという国なんですか?」


「塔はどの国にも属さないので……伝説では神王様が建てたそうで、各国が連盟で管理しています」


「しんのうさま?」


「この世界『フィアテルエ』を造られたという神様です」


 ああ……テレビの撮影だと思いたい。認めたくない。


「それで貴女様は異界より召喚された、今代の『春姫様』となりますが……」


 まぁ、そうだよね。外国の人みたいな女性がペラペラ日本語話しているんだもん。もんもん。

 ん? 今なんて言った?

 私は困ったような笑顔を浮かべる目の前の女性に、小首を傾げて問いかける。


「何ですかその『春姫』って」


「貴女様のことです」


「はぁ!?」


 思いっきり叫んでしまう。無理。これは無理だ。

 やだよやだよ。姫って何それ。無理無理。

 

 三十半ばで姫とかって、恥ずかしすぎるんですけどー!!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る