紅葉と紺色の狐21
佳折はそれから年が明けるまで基地に来なかった。無断欠勤を続けていた。僕はそれを知らないで様子見に保育課の建物に入ってみたのだが、逆に僕が捕まって彼女はどうして来ないのだろうかと訊かれてしまった。それをダシにして本人に訊いてみると、「あなたの手がどうしても必要なのよって先輩方の誰かが懇願しに来てくれた時はね、そりゃあ大人しく応じようと思うのよ。でもその時私は自分の正当性についてはもう一度冷静に説明してみるつもりだし、今の仕事を嫌いにならないためには、そういう解決の仕方でないといけないと思う」と佳折は答えた。僕はその間も変わらず彼女の家に通っていたし、僕らの関係はこれといって変化していなかった。彼女が数学の専門書や雑誌を僕の前でも読むようになったくらいのことでしかない。彼女は仕事で関わる大人たちを嫌ってはいなかった。あるいは少なくとも嫌いたくないと思っていた。自発的に職場に戻るのでは、そういった大人たちを彼女の嫌いな形のままで受け入れたことになってしまう。それを避けたかった。佳折の心を代わりに説明すれば、こういうことなのだろう。
だから彼女はお正月恒例のサッカー大会にも副長の身内という肩書で参加した。試合にも出たし、男女まぜこぜのチームで結構な活躍もした。僕は前半のさらに半ばでベンチに戻ったので観客席の方も観察していたが、保育課の面々も応援専科で出てきていた。よく聞いていると声援の中に「佳折ちゃん」というのもあって危うく笑いそうになった。件の麻生さんという最年長のおばさんも居たので僕から事情を話してみることにした。
「まあ、いいでしょう。でも親御さんというのは難しいものですよ。特に贋の子を育てる方に関しては拘りを持ってらっしゃる方が多いからね」
「その拘りが子供にとっては窮屈ということもあるんでしょう。親だって窮屈な思いをさせたいわけではないのに」
「まあ、そうでしょうね。それは仕方が無い。親の性、子の性といいますか……」麻生さんは肘を抱えるようにして腕を組んだ。丈の長いダウンで、その布地の擦れる音がした。「あなたにも何か心当たりのことがあったの?」
「いくつかはあります。確かに親は自分が子供だった時の親の振舞いを参考にして親をやっている。自分の親がケチだったから、自分の子には勉強の苦労はさせない、とか。参考にできるものが自分の親しかないからですよ。子供と向き合うというのは、いわばそういう一回きりの守り、一回きりの攻めだから、失敗は避けられないのかもしれない。しかも、自分の子供に関する失敗ほど重たいものはない……のですかね」
僕は最後の部分でどうしても失速した。自分の子供が居ないからだ。麻生さんはそこを見抜いて軽く笑った。「見通しが良いのね」
「自分で考えたことじゃありません。彼女から聞かされたことです。彼女にはたぶん、他人の子にだけでなく、その親にも教えたいものがあるのだと思います。あとで深い後悔をしたくないなら、少しくらいプライドを捨ててでも若い人の意見を聞くのが良い。彼女は自分がその立場になった時に他人を認められる柔軟性も持った人ですよ」
麻生さんは何度も頷いて「わかりました。私からちゃんと言ってみます」と了解してくれた。
僕は後半が始まるとまたピッチに戻された。ポジション的に前半の時よりも忙しくなってしまったけれど、それでも意識してベンチ兼観客席の方をちらちら見遣った。入れ替わり休みに入った佳折と麻生さんたち教育課が一緒に居るのが見えた。しばらくすると内輪の話は終わって応援に戻っていた。佳折は正月明けからまた仕事をしに基地に来るようになった。
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