紅葉と紺色の狐19
僕の乗った鍵鮫は当面第三駆陸団が管理する取り決めになっていて、行きに空で引いてきた長物用の貨車を一両宛がって分解しないまま搭載して、機関車に客車が一両と貨車が二両の計四両で立川に戻った。オペレータ二人、三堂とボックス席で向かい合って座るのが順当なのだろうけれど、彼が早々に横になって眠ってしまうので、空いているボックスに移動して靴を脱いで向かいの座席に足を上げて一人で占領していた。
そこに鹿屋が来て通路側の手摺に寄りかかり、まず僕に時間があるかどうか確かめた。僕は足を下ろして深く座り直した。靴は履かなかった。鹿屋は向かいの通路側の席に腰を下ろして窓側まで横伝いに来ると、懐からタブラを出して窓の張り出しに立て掛けた。背中の青い大判のタブラだ。そこにタリスのブラウザを呼び出し、脚を組んで爪先が僕の脛に当たらないように斜めに蹴り出した。肩の重くなる背広は置いてきて、崩したワイシャツの上に外套を腕を通さず羽織っている。開いた襟から黒いインナが見えた。
彼はショコネットの亡霊についていくつか疑問を投げかけた。タリスには投影器を介して触れてきた存在の記憶を蓄積して自分の中に再現する能力があって、それがいわば現実の本人から離れてショコネットを徘徊する亡霊なのだが、ショコネットに接続できる僕が彼らから何か聞き出すことはできないだろうか、という。
僕は鹿屋の論を突飛で受け入れがたいものに感じた。そもそも潜った時にタリス以外の他者と接触した試しがない。僕はいつも一人で広々としている。
「悪いですけど、タリスは僕らの記憶をそのままの状態で知ることはできません。それは、だって、投影器というのはそういう限界のある機械ですよ。あくまでも身体感覚を通すのであって、脳内の情報までやり取りできるわけではない。データとして記憶が取り出せても、暗号としては全く解読不可能なものじゃないですか。本人による言語的な出力がないといけない。つまり、口で説明しないと伝わらないです」
「しかし、記憶の生成過程なら再現できる。おまえが経験した事実をタリスは客観的に知ることができる。おまえならどう考えるか、主観も理解している。理屈がどうかという話をしたいんじゃない。実際がどうなのかだ。おまえが亡霊に会ったことがあるのか」
「それはどうですかね。本物か亡霊か簡単にわかるくらいなら再現できたとはいえないと思うけど」
「死んだ人間だったらどうだ? 現実に口を閉ざした奴を問い詰めることは」
僕はちょっと鳥肌が立った。既に死んだ人間を生きているように再現してしまう。それは怖ろしいことだ。だから亡霊というのか。
「僕だったらタリスとよく話すから、タリスも僕の性格はよくわかっていると思う。だけどあんまりタリスと喋らない奴もいた。灘見のことはタリスでもきっと理解できない。理解されないように努めていたから。そういう奴の亡霊はないんじゃないかな。もし居たとしても、結局重要な質問には答えられない
それに、主観を理解すると言ったって、理性的で言論的な側面を取り出したものに過ぎない。経験から推測するというのはそういうことです。肢闘の戦闘シミュレータがやっているのと同じことだ。過去なんか関係なしに、僕らがその場で瞬間的にどんな判断をするかをコンピュータが予測できないから、だから僕らが戦争に必要なんでしょう。亡霊に考えはあっても心は無いんじゃないかな」
「鹿屋さん」とタリスは呼んだ。鹿屋は顔を上げた。「残念ながらユウの言ったとおりですよ。例えば私はサキについてのレポートもまとめましたが、レポートというのはつまり書物です。私の考察を叙述したものです。サキを演じるための台本ではありません。仮に私がサキについての台本を書いたとしても、本人の再現に関してはあなたの書いた台本には劣るのではないですか」
僕はタリスの説明ではっきりとあの書架の並んだ聖堂をイメージした。僕はその中でサキについての資料を探したこともあった。けれどタリスの中へ潜っていくことのできない鹿屋には、僕と同じイメージを想像することも理解することもできなかった。
「おまえは変わったよ」と鹿屋は言った。
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