紅葉と紺色の狐18
そのまま司馬宅で朝食を採り、恰好を改めてバイクで基地に向かった。佳折はデイトナ675Rが初めてなので僕の理解を超えるくらいわくわくしていた。乗り心地が良くなったね、と喜んでいたけれど、新しい車での二人乗りに慣れていない僕がまだ慎重な運転をするのでそう感じるだけだ。じきに前のバイクでは感じられなかった加速度を思い知ることになると思う。
基地に到着したところで鹿屋に報告がてら「かりんとうまんじゅう」を渡しに行った。お土産についてはずいぶん喜んだけれど、別の部署の高官と話をしていたので先に待たされたし、昨日横須賀の業務課に嫌疑をかけられた件についても、そこまで気が回らないといったふうでほとんど追及されなかった。僕が部屋を追い出されたのだって電話がかかってきたせいで、我々の話は尻切れ蜻蛉だった。お土産の紙袋を置いていく時に見えたけど、デスクに洗っていないままのマグカップがいくつも並んでいた。
またバルコニで煙草を吸ってから格納庫へ行ってみると、どういうわけか僕が使っていた弓狐が床にうつ伏せに寝かされて整備士がたくさん取り付いていた。肢闘がうつ伏せになって整備といったらこれはもう一大事で、胴体フレームの不具合でもなければオーバーホールくらいしか考えられない。オーバーホールというのは機体を部品レベルまで分解する最も大規模な整備作業のことである。そこで作業の指揮を執っている長狭機付長に訊いて了解した。これはもう僕の弓狐ではないというのだ。ある試験にこの機体を提供することになって、普通の人間の神経でも扱えるよう機体制御用電算機を丸ごと載せ換える作業中だという。神経信号的なノイズを打ち消して無駄な動きをなくすためのプロセッサを追加すればいいだけの話なのだが、弓狐は内部構造のモジュール化が高度なので、纏まって余っている空間があまりない。追加ではなく交換なのはそういうわけで、パソコンを二台に増やすよりはCPUを性能の良いものに取り換えた方がコンパクトに収まるという具合と同じだった。
加えて訊かなくても見ればわかることだったが、コクピット回りも全般的に改装するみたいだ。内側の衝撃吸収ゲルシートが一式剥がされて硬そうなフレームが露わになっていた。僕はその様子と長狭の話から鷲田大将のことを容易に連想した。あの老人はこの弓狐を使って戦場に出るつもりなのだ。そしてこの弓狐を道連れに死ぬつもりなのだ。僕は頭部に回って電磁波吸収簡易塗装の冷たい外装を撫でてやった。深い悲しみの中でそれでも受け入れるべき運命を待っているのが伝わってきた。それは懐かしいという感情に似ていた。状況を受け入れるためにもう少し時間が欲しかったけれど、長狭が僕の名前を呼んだ。作業着に着替えて作業を手伝わなければならなかった。
昼休みは食事を早く済ませて資料室に籠って冴に宛てた手紙のまとめを書いて推敲と校正をした。校正を三日ほど続け、基地の窓口で封をせずに軍事郵便扱いで料金を払った。
あえて書けば手紙の締め括りは次のようになっている。
「贋は十六歳になるまでにとても多くのことを学びます。けれど、学校で習ったことなんて社会で全然役に立たないじゃないかと多くの人間が憤慨するのと同じに、たとえ贋としてどれだけ高貴な心を持っていたとしても、その時点で世界のことを知っていることにはならないのです。人間たちのことも同じです。だから世界や世界と人間の関わりはある部分では全く純粋にとても美しいものに見えるのです。またその反対に、間違いや汚れてしまった部分にもきちんと正しい疑問を抱くことができるのです」
坂本千加子から普通郵便で葉書が届いた。通信面の左半分が梅とツグミの日本画で占められていて、ポストから出して部屋に入るまでに読み切れるほど文面も短かった。
「キランさんの手術は無事に終わりました。最後の仕事をあなたと一緒にできることを心から楽しみにしているみたいです。私も元気です。約束通りあなたの実家にもお邪魔しました。とてもいい所ですね。車もあってびっくり。折角だから庭に花を植えてもいいですか?」
僕のものだった弓狐は改装が終わり、左肩に鮮やかな黄色で雷のマークが描き入れられた。工期は二週間くらいだろうか。十二月も半ばを過ぎて空気はすっかり冷たくなり、木々の葉はいい加減諦めをつけて地面に降り、空は低く分厚い灰色になることが多くなり、十六時前にはそれがもう黄色がかって一日の終わりをぐいぐい連れてこようとするようになった。
僕はその間に二人乗りの腕を上げて、一度佳折を相模原の実家まで連れて行った。運よく坂本にも会えて以前よりも幾分明るい感じであるのを確認することができた。僕はお互いのことはきちんと伝えてあったので、佳折は恭しく、坂本がそれをはぐらかそうとする具合だった。三人で庭の草刈りや剪定などをやって、軍関係の話をしている間はまだいいのだけど、僕がどうのこうのという共通の話題になると耳を塞ぎたい気分で、タリスに愚痴を言って気を紛らわせていた。何より坂本が元気でよかった。
軍の監査団を九木崎が受け入れ拒否したという問題は九木崎が独自に調査チームを立ち上げてやるという方向性でなんとか収まりがつきつつあった。
それから、弓狐の調整が終わらないうちに千歳から例の鍵鮫が届いた。基地には寄らずに試験地の東富士演習場まで鉄道コンテナで直に運び、立川からは三堂の弓狐を別便で運んで持っていった。僕もその列車に便乗して現地に向かった。
到着してみると鍵鮫は胴体をクレーンに吊られて腰関節に接合されようとしているところだった。まだ左腕が肩から外れたままだ。いくら生産数の少ない鍵鮫だって列車輸送はきちんと考慮されていて、機体幅・奥行きは列車寸法に収まるように造られている。いわゆる「三メートルの壁」というやつで、普通は固定用のワイヤか、幌を被せるだけで済まされる。しかし今回のような長距離輸送となると、雨や雹などの落下物や沿線の目に対して心許なかったのだろう。そういう場合にはコンテナも使う。物流会社に名前を貸してもらえれば塗るだけの偽装はとっても簡単である。
「ひゅう!」と上から声がした。三堂だ。自分の弓狐を自走させてきて正座姿勢で主機を落としたところで、コクピットハッチを上半分開いて肩まで乗り出している。
「あれがキツネの親御さんとはびっくりだね。全然似てないや」
「確かに同じメーカの製品とは思えない」
弓狐は比較的角張ったデザインをしている。それに対して鍵鮫は丸みを帯びている。ノミで削り出したか、耐水ペーパで磨いたか、そういったくらいの違いがある。弓狐の胴体は我々オペレータが肩を収めるのにぎりぎりくらいの胴体幅しか持たないが、それに比べたら鍵鮫の胴体は平べったく、腕が細く撫で肩に見える。電探も戦闘機のように尖ったレドームに収まっている。脚は大腿部の付け根が太い。塗装色は暗い灰色で弓狐よりは明るい色合いだ。僕の目が正しければオホーツク戦役後に全国で駆陸団の再編が行われた時の正式塗装である。北海道方面の規定の変遷には僕は詳しくないし、規定が変わっても塗り分けや色味の変更程度なら現場の裁量で再塗装しないこともある。こちらに回してもらったということは千歳守備隊の予備機か試験集団の手持ち品だと予想したが、胸に書かれた基地コードが少し色の違う塗料で潰されていて確認できなかった。
「当社が過去に陸軍への情報開示を条件にして試験用に受領した機体です。ほどなくして押収され、丙二型相当に改装されて当分の間は守備隊で使われていました。それが余ったので今度の催しに回されることになったようです」タリスはそう説明した。
「数奇なもんだ」
「ええ、まったく。…しかし、サキの鍵鮫と同型の丙二型は十五機が確認されるのみです。現役を除いてはこの機が最も稼働状態に近かったのではありませんか」
「北海道にまだミズチ装備の部隊があるってのが驚きだよね」三堂が弓狐の背中や踵を伝って下りてきて僕の横に立った。「平和な北国で油なんか売ってないでこっちへ出向いてきてさ、ミズチのプロならミズチのプロらしくあいつの倒し方をちょいっと考えてくれればいいのにな」
「ミズチに詳しいからって、サキを知っていることにはならないだろ」僕の胸の中にはサキは僕の獲物だという思いが強くあった。鍵鮫に触れられるのは貴重な機会だし嬉しいことだけど、ここへ来てから、そんなことをするよりも三堂に鍵鮫に乗ってもらって、僕が弓狐で鍵鮫を敵にした練習をする方が価値があるのではないかという気さえした。僕は敵として向かい合った時の鍵鮫の姿や相貌に深く複雑な感情を抱いている。三堂ではサキの代役にはならないとしても、自分の気持ちに慣れておきたいのだ。
僕は一人で歩いていって鍵鮫の膝の外装に触れた。僕のことを待っていて、でもどう接したらいいのかわからなくてそわそわ迷っているような感じがした。
鍵鮫のコクピットは弓狐のそれと大差ない。シートの角度がもっと俯いていて座っているというよりはテーブルに伏せているような感覚である。だから、オペレータが上体を外に晒す時には普通に立っているような姿勢になった。胴体側のシートにぴったりと体をつけてハッチを閉める。稼働機に接続するのはほとんど一ヶ月ぶりだった。生きている心地がする。目を瞑り、接続。サキの気配を感じる。
主機通電、外部電源認識、四肢認識・制御とも異常なし。バイオスの文字が黒い背景にスクロールし、視界が開ける。黄緑の帯を作業着の腕に巻いた九木崎の担当員が目下に見えた。僕と鍵鮫の間にトラブルがあった場合に備えて、外部コントローラになる小さなパソコンを襷掛けにしている。視線表示灯が環形になったのを認めて彼がにかっとピースサインをするので僕も左手で同じように返した。機体は僕の思い通りに動くけれども、反応は少し鈍い。弓狐に比べればタイムラグがあって、生身より大きなものを動かしているのだという実感が強い。弓狐が全身の関節に電気式のリニアプランジャを使っているのに対して、鍵鮫は油圧との複合式である。プランジャ自体は小型で力も大きいが、仕組みが複雑なのは弊害である。
誘導員が「立ち上がれ」の指示するので周囲に他に人が居ないのを目視で確認してから実行した。三堂の弓狐が先に歩き出して土と枯れ草の演習場に進んでいる。高機動車に乗った鹿屋が無線のテストを吹き込む。僕と三堂が「聞こえてますよ」と返す。鹿屋の指示に従って単純な走行性能の比較から縦列横列で編隊を組んだ具合など簡単なテストをどんどんこなしていった。富士山が壁のように、しかも自分の立っている地面からその麓、山頂へと地面が一続きになっているのが不思議で時々そちらを眺めていられるくらい簡単だった。だから僕は少し他のことも考えていた。
「ねえ、タリス」
「はい?」
「鷲田大将が戦場に出るのは三月以降だろうか」
「謹慎期間の心配をしているのですね。それは無用ではありませんか。彼があなたを戦場に連れて行きたいと言っているのですから、特例が認められるでしょう」
「そう、それならいいんだ。きっと大きな戦闘になるだろうね。向こうも鷲田大将のことは掴んでくるだろうし」
「それは同感です。中央としても彼の最後の願いのためというのでは建前に不足がありますからね。お膳立てをする必要があります」
「サキも出てくるだろうか」
「なぜ、そうなるのです?」タリスは不可解な一撃を不意に食らったという感じだった。
「そんな気がしてならないんだよ。確信がある。鷲田大将が死ぬのは九木崎にとっても大きな損失じゃないか。サキが九木崎と対立しているならこの機会を逃すわけがない」
「それも筋というものですが、だとしてもあなたと同じ戦場に現れるとは限らないのでは?」
「それはどうかな」タリスの共感が無くても僕の確信は揺らがなかった。
一時間動いて充電のための休憩に戻り、そこからもっと実際的なテストに入った。竜胆四十ミリ機関砲を模した赤外線レーザ銃を手保持から肩拘束具での固定に切り替え、火器管制装置を「演習」に設定する。近接戦闘で無駄に怪我をしないように接近警報だけでなく回避機動も自動になる。命中判定はデジタル射撃と同じ原理だ。銃にはスピーカが付いていて発射音がする仕組になっている。
僕は鍵鮫のクセを把握しながら三堂の弓狐を追い詰め、結論としてはかなり意味のある経験になったと思う。へとへとになった三堂に「脅かしてただろう」と言われた。
「戦いってのは恐いもんだよ」
「そうじゃなくて、君の動き方だよ、僕はちゃんとわかってるんだからな。シミュレータでやってみた白いミズチの動きとそっくりだったぜ、君のやり方」
僕はそれを聞いて愕然としたというか気を揉んだ。自分ではサキの戦い方を真似ているつもりなど毛頭なかったからだ。
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