白い敵が現れる日16

 真黒の空に灯篭の光の色。そこは光の滝が流れ込む峡谷。和太鼓の振動。交通規制を詫びる市内放送のくぐもった声。首筋にねっとりぶら下がった熱気。誰が呼んだのでもないのにこんなにたくさんの人間が密集しているのは馬鹿馬鹿しいと僕は思った。自宅がその大通りに面したペントハウスにでもあれば煙草を吹かしつつ見物を決め込むこともできたのだろうけれど、残念ながら僕の肉体は人海の波間に揉まれて今にもぺしゃんこにされそうだった。高踏な心がヘリウム風船みたいに実際の肉体から乖離しかけている。

 立川では八月の終わりに諏訪神社の例大祭に伴ってお祭りが開催される。それも駅南の大通りを貸し切った一大事だ。通りを参道に見立てて山車や行列が通るので、道を空けておくために張られたテープと警備員に押し込められて歩道近くに人がぎゅう詰めになっていた。僕は早いところゆっくり見物できる場所へ落ち着きたいのに、三堂が気になる屋台を見つける度に立ち止まって呼び止めるのでなかなかそうもいかなかった。息継ぎみたいに目を上げる度に提灯や裸電球の光に幻惑された。

 神社の境内は参道から外れるとずっと静かだった。僕は三堂に夕飯を買いに行かせて細い石畳の脇に立って少しずつラムネを飲んでいた。表の尋常じゃない明るさが反対に暗く静かな場所の影をいっそう濃くしていた。賑やかさを避けてきた野鳥や獣が近くの茂みに眠っているような気配を感じた。子供を遊ばせている夫婦や小声で話すために散歩するカップルなんかが時折僕の近くを通ったり居座ったりした。

 そのうち三堂が僕を呼んでいるのに気付いた。たぶん金が足りなくなったのだろう、明るいところから手を振を振っていた。声は全然聞こえない。僕は彼の努力に溜息を捧げた。それが周りの視線を集めるのでもうじっとしていられない。自分から歩いていく。

 僕が人混みに突っ込むのと入れ違いで白狐の面を額にした子供が出ていく。白地に青か緑、寒色系の細い模様がついた甚平の襟首に窩の蓋が覗いたのを僕は見逃さない。その子は屋台の列の裏に出たところで辺りを必死で見回した。僕はその様子を人の流れに呑まれないように踏ん張って見守っていた。誰が見ても迷子だ。贋の子なら基地に関係がある。僕も無関係ではない。他の人間に見つかったらまずいかもしれない。贋が幼い時にはタブラにあまり触れさせない方針というのは知っていたけど、タリスはこういう時も手を貸さないのだろうか。危機的状況ではないという判断だろうか。やっとこさ近づいてきた三堂が肩を掴んだのを振り切ってその子を捕まえに走った。

 僕が追いつくと彼は絶望的な表情で斜めに身構えたが、目線を合わせてこちらの首筋を見せてやると少し落ち着いた。まだ混乱しているので「兄ちゃんのこと知らないか? 同じ基地に通っているはずなんだけどな。大丈夫、探してやるよ。だから、誰とはぐれたのか教えてくれよ」とできるだけ優しく訊いた。すると彼は精一杯の毅然さで立川基地所属だと名乗った。

 彼の話すところによると、先生に連れられてきて、はぐれた時の集合場所が決められているのだけど、そこへどうやっていったらいいのかわからなくなってしまった、ということのようだった。僕は彼の持っていた手拭いを窩が見えないように首にかけてやって手を引いて先を歩いた。なぜって、立川は地元だし、去年も家族と来たから勝手がわかっていた。三堂の方は常連で、今年は冴が居ないのを頻りに悔しがっていた。彼もあとを追ってきてすぐ事情を理解した。迷子を楽しませようというつもりなのか変顔をやってすごく怪しまれていた。

 灯篭の立ったちょっとした広場に司馬佳折が二三人の子供を連れて待っていた。人数的には、おそらく別の保母さんが仕切る本隊があって、捜索のための分隊といった感じだった。隊員の一人が「あ、来た!」と叫ぶのを聞いて僕の連れてきた子は手を離して走り出した。僕は立ち止まった。自分の役目が終わったような気がしたからだ。その子は走っていって佳折にしがみつくと、彼女がしゃがむのを待って浴衣の胸元に顔を埋めてしばらくぎゅーっとした。

 彼女の浴衣はもみじ柄だった。白地に紺のもみじと短冊。彼女と子供たちはいずれも白っぽい和装で、一様にして狐のお面をつけていた。それがどうも仲間の目印であるらしい。被ったり額にしたり、あるいは帯に巻いているのもあった。

「あ、諏訪野くん?」佳折はそう言って下駄を鳴らして歩いてくると頭を下げた。この時僕らはまだ親密な関係ではなかった。保育課でイベントがある時に贋の先輩として呼ばれて顔を合わせていたくらいのものだった。

 彼女のもみじの柄の薄い褄、胸元。僕はそれから自分の手を見下ろす。僕の与えられる温かさはほんのささやかなものなのだ。

「拾ってくれたのが諏訪野くんと三堂くんでほんとによかった」

「贋だってわかったから捕まえてきたんだよね」三堂が言った。

「さ、ちゃんとお礼を言ってごらん」佳折は少々大儀そうにさっきの子を僕の前に押し出した。

 僕がしゃがんで目線を合わせてやると、その子は素直に「ありがとう」と言った。自分でもなぜ抵抗を感じなかったか不思議に思うけれど、僕はその子の頭をよく撫でてやった。少し汗をかいた柔らかい髪。誰かの頭をどれくらいぶりに撫でてやったのだろうか。僕にもまだそんな権利が残っていたのか。

 佳折は浴衣の裾を合わせてしゃがみ、まっすぐ僕を見た。彼女はお面を斜めに頭につけていて、その影が顔の半分を暗くしていた。明るい方の半分が僕をどきりとさせた。穏やかで凛としていて。

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