白い敵が現れる日12

 鹿屋は駐車場を通過して駐機場まで出た。窓枠に肘を置いて、訳ありの軍師みたいに「予想通り」と呟いた。

 雲の層に縁取られてはいるが立川の空はよく晴れていた。誘導路に区切られた芝生は寒さに怯えてすっかり色彩を失っていた。そこでアコースティックギターを抱えた司馬佳折が十人くらいの子供を引き連れて童謡を歌っていた。ギターの音はよく通るが、子供たちの声がめちゃくちゃなので残念ながらメロディラインが聞こえてこない。

 僕は車から降りて、鹿屋が勧めるので右前輪のフェンダに寄りかかって子供たちの姿を眺めた。人間でいえば幼稚園生くらいの大きさの子供たちだ。つまり、彼らは贋だ。贋の子供だ。

 鹿屋は笑顔でこそなかったけれど、なんとなく満足そうな顔をして運転席から子供たちを眺めていた。

「戻れそうにないな」僕は子供たちのはしゃぎように呆れて言った。

「失ったんじゃなくて、得られなかったのかもしれないな。今までも、これからも」

 僕は鹿屋に顔を向けた。どういう意味なのか訊いたつもりだった。すると彼は「司馬さん、子供みたいだな」と言って顔に皺をつくって笑った。

 鹿屋は深い考えなしに言ったみたいだったけれど、確かにその通りだと思った。佳折は子供ではないのだ。子供ではないが、でも子供を演じることはできるのだ。彼女は贋の運命をきちんと把握している。鹿屋も佳折も、僕らの運命を知った上で毅然と接するところに変わりはないのだけれど、贋としての自覚の薄い小さな子供の前にしゃがんで目線を合わせてやれるのは佳折だった。もしかしたら、鹿屋はそれを指して自分にはできないことだと言ったのかもしれない。

 こちらに気付いた佳折は『サウンド・オブ・ミュージック』ごっこのまま駆け寄ってきて子供たちを二列に並ばせると、ギターのボディで拍子をとってから「もみじ」の合唱を始めた。子供たちのうち左手の半分が先発で右の半分が後発、なんとなくハーモニーも聞こえる。なんとフルコーラスで、佳折は二番の入りは手拍子に変えて、弦に指を戻しつつ「谷の流れに――」と歌い出しを促した。

 鹿屋は歌の間にそっと運転席から降りて鑑賞の態勢をとった。僕らがささやかな拍手を贈ると、数の少ない女の子たちがスーパーの袋に集めたもみじを上空にばら撒いて、それを合図みたいに全員が散り散りになった。

「遠くへ行っちゃだめだからね。すぐバスが来るからね」佳折はどの方向ともつかずに叫ぶ。アップにまとめた髪や肩に降りかかる落ち葉を払い、ストラップ頼りにギターを背中に回す。キルトの黒いダウンに暖色のショールを首に巻いて、下はベージュのチノだ。

「御苦労さま」鹿屋が言った。

「いやいや、楽しんでいるのは私の方ですよ」

 それならありがたいんだけどさ、と鹿屋は頷く。

「これGT‐Rだぜ、すっげー。ボンネットでけー」「えー、だって父ちゃんのGT‐Rと違うんだけど」「バカ、古いやつなんだよ。このテールランプはGT‐Rだろ。ほら、四つあるじゃんか」「えー、でも赤だぜ」鹿屋のR32の陰から沈めたつもりの話し声が聞こえてくる。

「こら、べたべた触るな。悪口も許さん」鹿屋はポケットに手を突っ込んで怪獣みたいに首を突き出して肩を揺らしながらリア側に歩いていった。

「うわ、来た」「逃げろ」

「おーい、エンジン音聞かせてやるから戻ってこいよ」

 佳折は鹿屋の姿を見て小さく笑いながら「やっぱり男の子ってああいうのよね。お歌じゃ満足しないところもあるわよね」と言った。

 僕らは少し鹿屋のR32から離れて全体を見渡せるような場所を選んだ。

「いつもこんなふうに?」

「うん。土曜日は私にも子供たちにも時間があるから」

「本当に子供が好きなんだ」

「あら、あなたたちだってとってもお幸せそうな顔してたじゃない?」

「そうかな」

「そうよ」彼女は立ったまま脚を組んだ。それからおなかに手をやった。この人は本当に妊娠願望が強いんだな。僕は感心もしていたが呆れてもいた。お米を買う時だってカートに乗せないで、十キロなら双子だとか言いながら抱き抱えているものだから、僕が持たせているみたいで肩身が狭い。おそらくそれは僕へのアピールであって、一人や親子の時はそんなふうに遊んだりしないのだろうけど。

 格納庫の陰から太いクラクションの音が響いた。送りのバスが来たみたいだ。

 佳折は脚に力が入らなかったのか少しよろけてから走り出し、子供たちを集めて駐車場へ連れて行った。大半は鹿屋の所で愛車自慢と蘊蓄を聞いていた。僕も歩いてバスのところまで行き、中に乗った子供たちに手を振った。

 鹿屋は子供たちから解放されるとR32に寄りかかって煙草を吸っていた。革靴の爪先で灰を蹴る。もみじの葉はすっかり風に掃かれて、白いコンクリートの上に黒い灰だけが残った。

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