白い敵が現れる日10

 戦闘に関する国民に対しての説明としては幕僚部の池羽大佐が即日のテレビ会見で対応した。鷲田大将は夏頃に一線を退くという言葉を残して子飼いの池羽大佐を後任に据えたきり隠遁して表舞台に出てこなくなっていた。後任というのはもちろん軍事的な役職のことではなくて、メディア向けの体面である。公の発表では西軍は経済や市民の安全を脅かすものといって散々なテロリスト扱いを受けているが、向こうの事情もきちんと流れてくるわけだから、中央も嘘は言わない。結局、軍隊は世論を敵に回さないようにおっかなびっくり戦い続けるし、人々は戦争は嫌だと言いながら経済を貪るし、マスコミは世論の味方をしながら戦を食っている。池羽大佐の会見だって当日いくら見飽きていても十一時の枠を占領しているし、同じネタで一週間は引っ張った。そんな世の中に対して批判的になる灘見の気持ちは正論ではあったのだと思う。

 赤石の戦闘に参加したオペレータのうち、僕と一緒に基地に戻ってきた二人は早々に復帰して、病院で手当てを受けた四人からも一人が経過観察の制限で基地に戻っている。

 月末までには僕の処分にも決着がついた。十日ほど溝ヶ瀬から聞き取りを受けた後、十一月の終わりに市ヶ谷で処遇の言い渡しがあった。簡単な裁判みたいなものだ。そこでは結果は予め決められていて、僕の態度や話に問題がなければそれがそのまま宣言される。そんなものだろうと思っていた。しかし違った。溝ヶ瀬の尋問はどんなにつまらなくても僕を相手にしていたが、法廷はそうではなかった。僕が語るべきことなど何もなかった。検察と弁護人の間に議題としての僕があるだけであって、両者の言葉は僕にぶつかることなく左右に飛び交っていた。僕は言論のアーケードの下でとても退屈で窮屈な思いをした。僕の中では僕が灘見を殺したという事実がとっくにきっちり固まっていたのに、彼ら言論者はそれでは不十分だと言うみたいに動機や経緯を詳細に確定したがった。彼らにとって僕と灘見の比較は正義と悪の秤の上で行われるのであって、生者と死者がもはや同じ重さの分銅ではないということをまるで理解していなかった。裁判長はせめて簡潔に灘見の死を背負って生きていくようにと僕を諭すべきだった。あまり長い議論の後ではそんな言葉も全然重みがなくなってしまって、妙に灘見に悪いという気が起った。

 最終的にその場を閉じた裁判長の言葉は次のようであった。本日以後三ヶ月の間、戦闘およびそれに類する演習への不参加を命ずる。また期間中の経過観察を行うものとする。これは第三駆陸団司令からの命令と同等の効力を持つものである。

 僕は晴れて壁の厚い裁判所から解放され、川蝉や蜂鳥よりも軽快な気分でバイクに乗った。風の冷たさがこの上なく気持ちよかった。

 その日の夜、僕は三堂と佳折と三人で食事に行った。国立まで行って中華料理のファミレスでいつものボックス席を取った。席順は決めていないけど、店に入った順番でそのまま奥に詰めていくのが暗黙のルールになっていた。店の人間にはとっても合理主義なグループだと思われているかもしれない。この日は僕と佳折が並んで、三堂の横に三人分の荷物を集めていた。メニュを広げてそれぞれ料理を注文する。僕と三堂が酢豚の定食、佳折がユーリンチの単品。

「そういえばだね」三堂が突然指を鳴らした。「諏訪野くん、君に頼まなきゃならないことがあったんだ」

 三堂は前に頼もうとしていたことで機会を改めただけなのだけれど、僕は灘見を殺した日の夜のことなんかすっかり忘れてしまっていてぴんとこなかった。

 三堂はチャップリンみたいな手つきで荷物から白い包みを取り出した。化粧品やアクセサリに特有の高級さを濃縮した感じがあって、少なくとも厨房から油の跳ねる音が聞こえてくる場所には似つかわしくなかった。

「嫌だなあ、もうすぐ冴ちゃんの誕生日じゃないか。それだっていうのに、どうしてそんな不審そうな顔をするのかね」

「ああ」と佳折が先に納得した。

「そうか、冴の誕生日か」

「え? まさか妹の誕生日も憶えてないのかよ」

「いやいや、日付は知ってるよ。ただ、もうそんな時期かって」

「とにかく、送ってくれよな」

「どうして僕が。自分で送れよ」

「僕だってそうしてやりたいのは山々さ。だけどそうもいかないんだよね。どうしてだか、司馬さんわかる?」

「さあ、どうしてかしら」

「それがね、住所を教えてもらえないんだよね。諏訪野くんはさ、教えたりしたら僕がこっそりラブレターなんかどっさり送りつけるんじゃないかって心配なんだよ」

「意外と了見が狭いんだね」佳折はにこにこして僕をからかうのに加勢した。

「そうなんだよ。シスコンなんだよ」

「わかったよ。貰うから」僕は小包を自分の方へ引き寄せた。メニュは回収済みなのでテーブルの上は綺麗になっている。

「で、何を買ったの?」佳折は興味津々に訊いた。彼女は箱の大きさからしてイヤリングかブレスレットであると見当をつけていたんじゃないだろうか。

 三堂はまた自信たっぷりに指を鳴らした。鞄から丸まったカタログを出して、角を折ったページを開いてこれこれと指差す。

 彼はたぶん佳折の感嘆を期待していたのだけれど、実際の反応は「冴ちゃん、ピアス開けてるの?」だった。しかもそれは彼ではなく僕に向けられた疑問だった。

「向こうに行ってから開けてなきゃ、ないと思うけど」

 佳折はゆっくり三堂に向き直って視線で僕の答えを中継した。「もう少し良く見せて」

「うん…」三堂は小さな声で答えてすっかり消し炭みたいに真っ白になった手を佳折の方へ伸ばした。彼女はカタログを受け取ってしばらく眺めていたが、すぐに支えていられなくなってテーブルの上に戻すと口と脇腹を手で押さえて俯いて震えだした。笑い声を必死で堪える耳たぶが感心するくらい真っ赤になった。僕はそこで実に珍妙な二相系の目前に居合わせるのを自覚した。

 料理を運んできたウェイタも困惑した。まともに動けるのが僕だけだったのでてきぱき皿を受け取った。佳折は酷い痙攣の間から「ごめんなさい」と何度か絞り出したが、自分の声に笑いを誘われるる始末だった。

「私が貰ってあげようか」と顔を上げられる程度に回復した佳折が提案した。頬はまだ紅潮して息も荒い。手櫛を額や首筋に当てて髪を直している。

「いいよ。いつかピアスしたらつけてもらうんだもん」三堂はおしぼりで鼻まで覆って完全に拗ねている。

「でも、下手したら親御さんに嫌われてしまうわよ。娘の体に穴開けろなんていう男」

「そこは大丈夫じゃないかな。僕もちゃんと言ってあげるよ。三堂はお馬鹿さんだからこんなの買ってしまいましたって」

「それじゃあどっちにしたって何の取り柄もない男じゃないか」

「そんなことないわ。誕生日のプレゼントって、やっぱり気持ちだもの。ああ、彼はこういうのつけてほしいんだ、私のイメージはこんなふうなんだって女の子には結構効果の大きいものだと思う。ね、高かったのよね? だから無駄にするわけいかない」

 三堂は無言で肯いた。「十六ってのは、特別なんだよ」

「合法的に子供産めるから?」

「僕らが初めて肢闘に乗る歳だからさ。本物の戦闘用のさ」

「……でも冴ちゃんは違うじゃない?」

「もちろんそうだけども、僕らの認識の上では一つの区切りってことさ。これで一人前なんだ、死神はもう手加減してこないんだ、って」

 三堂は前線の兵曹らしいからっとした口調だったが、佳折は複雑な含みを感じたかもしれない。彼女は同情を封じて微笑し、僕と三堂に一回ずつの目配せをした。それから窓側のトレイに入った箸を配り、「さ、食べましょ」と狭い穴から抜け出した。

「三堂くんとこは一人なの?」

「そうさ。贋の養家は基本的に一人っ子だ。諏訪野のケースの方がむしろ珍しいんだ。あれ、これって知らないかな。僕が贋だから詳しいだけ? そりゃあ基地に居れば自然と教えられることだけどね、心理学者が制度にいろいろ口出ししたのさ。軍人が世論を言い包めるために口出しさせたって方が正しいかな」

「それは知ってるわ。いわゆるかぐや姫システムでしょう、反対派の言葉を借りればね。でも知ったのは、そういう、あくまで知識としてね。大学の講義だったと思うけど」

 僕も思い返してみる。あまり意識したことがないの正確なところはわからない。既に子供がある家庭に二番目以降に入るのはだめとか、他の子供が新しく家庭に入る場合には歳は同じかそれ以下と決まっている。普通の人間の養子縁組だって簡単にはいかないが、贋を迎える場合にはもっと狭き門になる。

「そう、だからこそ冴ちゃんは貴重なのさ。僕らみんなの妹みたいな感じでさ、当の諏訪野くんが一番可愛がらないんだから」

「三堂くんは冴ちゃんと親しいのね?」

「うん、そりゃあね。諏訪野の親父さんが転勤になる前はちょくちょくお食事してたから。司馬さんは面識ないんだっけ?」

「ええ。声と文字だけ」

「何て?」

「会ったことはないの。電話で話したことと、手紙の遣り取りをしたことはあるわ。でもあんまりよくは知らない。諏訪野くんが好んで話すわけでもなし」

「じゃあ、顔は知らないんだ」

 三堂は自分のタブラに冴の顔写真を映して佳折に見せた。どっから探し出してきたのか知らないが、去年の夏に熱海へ行った時のだ。

「あら、鼻の形なんてよく似ているじゃない。兄弟って顔立ちはあんまり似ないものだと思っていたけど」

「そりゃあね、僕たちは養子なんだから」

「そうよね、確かに」佳折はなんだか真剣になった。「ああ、十六かあ。私も何か贈りもの考えなきゃ。十二月六日ってことはあと九日でしょ? ああ、もう、どうしてもっと早く言ってくれなかったの」

「だから、日付の感覚がなかったんだって」

「それはわかるけど…」僕の答えは彼女を傷つけたみたいだった。

「どうしたらいいかな。葉書と違うから、ハルビンに届くまで中四日見て……でもそんなにするする動いて行くとも思えないしな。当日に電話か電報を入れて、荷物が届くのはそのあとでもいいと思うけど」僕は計算が面倒なのもあってそういう提案をした。

「妥当だわ」佳折は肯定した。

「それなら追加でラヴレターを書く余裕ができたってことだ」三堂は言った。

「それよりイヤリング」「先に弁明をしろって」佳折と僕が矢継ぎ早に返すので彼は一周回ってくすくす笑った。

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