白い敵が現れる日7
調査官は
彼は部屋の明かりを点けると僕の識別票を取り上げて
溝ヶ瀬は部屋を変えずに話を始めた。まず戦闘の進行から。僕の方もいい加減頭の中で整理がついていて滑らかに話すことができた。彼は僕の話したことが事実と相違ないかカルトンの向こうでチェックをつけた。僕はその間に六回もあくびをした。眠かったのは本音で、我慢しないのはわざとだった。溝ヶ瀬は僕の態度を手引き通りに評価して、これから一通りの調査を行うと言った。灘見の弓狐は相模原の工場に運んで徹底的に検査する。僕と鹿屋は明日戦場に飛んで実況検分をする。それから僕に対しては精神鑑定と、自宅立ち入りおよび借出図書の追跡を含む思想鑑定を行う。後ろの二つは灘見が生きていたなら彼に対しても同様に行われたことだろう。自宅調査の方はすでに憲兵が入ってやっていると鹿屋が言っていた。僕と灘見は生死の違いさえなければ平等なのだった。なぜ生きているものを尊重しないのだろうか。
僕は時々人間がなぜそこにこだわるのかわからないと思うことがあった。そういうものが目に入った時、できれば目を背けたかった。そうでなければできるだけ小さく見えるように、自分に影響がないように遠ざけておきたかった。けれどほとんどの場合、嫌だな、と感じる時、その原因はとっくに足元で蹲っている。
たぶん、そんな気持ちになることがわかっていたから僕は佳折を先に帰したのだ。知らぬ間に彼女を傷つけ、そのせいでタリスから冷たいことを言われるのは嫌だった。
ザクロの実のようにぐじょぐじょした心の膿を帰り道の夜風に雪いで僕は家に帰る。駐輪場にバイクを駐め、玄関先のモクレンの枝振りを見上げる。自分の息が白い。水分のせいで鼻が凍りそうだった。玄関の引き戸を静かに開ける。下宿式のアパートで、広い共同玄関の先に広い廊下とその半分を区切って上り階段がある。タイルの土間に運動靴が二足と共用のサンダルが一足、端に寄せられている。僕はそれを見て少し意外だった。僕の予想ではエナメルのヒールと革靴が一足ずつあるはずだった。とにかく、僕はブーツを脱いで端の列に加える。
少々建てつけの危なっかしい階段を上る。一階の床も二階の床も、飴焼きのように黒い板張りに疎らな電球の影が映る。扉に付いた擦り硝子の小窓から確認できるのだが、隣人の部屋に明かりが灯っていなかった。物音もしない。そこにはロシアから来た娼婦が住んでいて朝によく顔を合わせるのだけど。
自室を開錠する。僕の部屋には何もない。立方体に廊下がついていて、玄関があって、キッチンがあって、浴室、押し入れ、硝子戸とベランダ、あと照明とか細かいもの。それくらい。ベッドがある。机がある。箪笥がある。ごみ箱に入った弁当のブリスタがある。決して散らかってはいない。むしろ綺麗に纏められている。娯楽に使うのは箪笥の上のステレオと幾枚のCDくらいだ。本なら基地の資料室や近所の図書室に行けばいくらでもあった。
窓に寄ってカーテンを細く開く。裏手の砂利の駐車場にR32型スカイラインが見えた。
上着を脱ぎ、シャワーを浴びて舌の根まで丁寧に歯磨きする。羽毛布団の上に倒れ、枕をはたいてふかふかに戻した。髪を乾かすのに少しストーブのお世話になろうかと迷ったあと、点けたまま寝てしまっては困るなと思ってやめておいた。電気ストーブで、電熱器が水平に三連。風邪を引いたみたいにぼんやりと灯るやつだ。今は冷たく澄ました感じで佇んで静かに僕を誘惑していた。
布団を被り直す。僕は一人になったつもりでいて、全然外の世界に向かって開かれていた。誰かが水を使う度に壁の中の水道管がきゅうきゅう鳴った。遠くからは中央線のレールの隙間を渡る音や発車ベルがうっすら聞こえた。窓硝子の縁に小さな露が集まって街や月の光を散らかしていた。
台所の方へ顔を上げて、少しだけ佳折が料理をしている姿を想像してから目を瞑った。また同じ夢を見る予感があった。
サキは人間で、肢闘が生まれるよりも昔から生きていて、僕などといった贋を不完全な存在だと嫌って滅ぼそうとする。そして僕は最後の一人になってしまう。僕はサキと一対一を演じなければならない。しかし僕は捧げることを選ぶ。
僕はずっと同じ夢を見続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます