第5話

 イベント当日。

 世界フェスタは悠人が想像していたよりも盛り上がっていた。今までボランティアの人しか見てこなかったけれど、イベントの運営者、伝統工芸や飲食物を出展している外国人スタッフを合わせると、人数は二倍程になった。それに加え、来場者がスタッフの何倍もいた。

 雰囲気は学祭と同種なものを感じるけれど、弾けるような明るさと雑さが無く、元気さと丁寧さを感じた。社会の行事と学校行事の差だろう。運営者の年齢の違いが表れているのだと思った。

 悠人は一度にこれほどの外国人を見るのは初めてだった。飲食ブースでは見慣れない異国の料理がたくさん並んでいた。

 初めての臭いに食指をそそられ、悠人はインド料理屋のチキンカレーとアメリカ料理屋のスペアリブを食べた。両方とも美味しく、他のものも食べたくなったが、お腹はいっぱいで諦めた。

 自由時間も思っていたより多かった。飲食物のゴミ捨て場と地球を模した塗り絵に数名いれば、班の仕事は果たせた。

 東子との約束は反故にした。謝罪をして、後で埋め合わせることを約束した。

 朝は一緒に来たけれど、こういう時間まで一緒にいるのはもう違う気がした。それに、もう一緒にいることは東子にとって危険なことだった。あの夜以降、帰りはずっと、一人で帰っている。

 東子にあの晩のことは話していない。話すような間柄ではないのだし、きっと東子は困ってしまう。彼女は面倒見のいい性格なのだ。

 飲食店ブースから離れ、伝統工芸を出品しているブースに行こうとした時、悠人を呼び止める声があった。

「あ、悠人君。ちょっといい?」

 振り向くと、三原さんの姿があった。

「はい。……仕事ですか?」

「いや、それはまだいいんだけど……」

 三原さんは少し言いづらそうにして続けた。

「喧嘩したとかならおせっかいかもしれないけど、違うなら、東子ちゃんの所に行ってあげてくれないかな?」

「? ……どうしてですか?」

 悠人が事情を知らないことを見取って、三原さんは、はっきり続けた。

「東子ちゃん。今、泣いているんだ」

 ――――。

「……分かりました。ありがとうございます。あとで行ってみます」

 淡々とした声が漏れた。

 足がひとりでに動いてその場を後にする。適当に暗い方へ向かって、角を曲がったところで、足が痙攣するように、ばたばたと撥ねだした。トイレに入って、個室に入って。

「うっ……あ……」

 便器の蓋を握りしめて便座に腕を押し付けて、膝は屈していた。便器の蓋を掻き抱くように引っ張って、内側で狂うものに耐えた。約束を交わした時の東子の笑顔が首をギリギリと締め付けた。涙が落ちるのが嫌で、時節、目元を腕に押し付けた。

 押し殺した慟哭は暫くの間続いた。


  ***


 ひとしきり泣き終えると、心の表層は軽くなった。問題は何も解決していないけれど。

 もうすぐ交代の時間だった。東子に会ってしまうかもしれない。自分の目は腫れていないだろうか。トイレの個室を出たら鏡の前で見てみよう。

 とりあえず、時間いっぱいまで個室で座っていることにする。

 何をするでもなく待っていると、携帯が震えた。見てみるとメールが来ていた。あの金髪の男からだった。

『明日午後五時、赤江橋の下に集合。三万円持参してネ』

 想像していたことだ。気落ちすることは無い。あとはどれだけたかられるのか。そっちの解決もちゃんとしないといけなかった。

 直後にまた一通メールが来る。

 清嗣さん主催の、学校のボランティア参加者を集めた打ち上げの連絡だった。

『明日八月十日、青葉中学校のボランティア参加者で打ち上げを行います。十三時にインド料理店「アルジュナ」集合です。地図は添付しました。参加者は私までメールをください』

 アルジュナはさっき悠人が食べたチキンカレーを出していたお店だ。今日初めて会っただろうに、行動力がすごいなとつくづく感心する。

 どっちにも行ける時間だけれど悠人は前者だけを選択した。

 東子はいるか分からないけれど、清嗣にも合わせる顔がなかった。

 間もなく交代の時間が来て、悠人は個室から出る。

 鏡を見ると、目元の腫れは無かった。


  ***


 ボランティアは無事終了した。最後は皆笑顔だった。

 山下さんの作った地球の塗り絵は子供たちにカラフルに塗られてしまった。地球のサイズ感や各国の位置、大きさを知ってもらおうというお題目は果たせたか分からないけれど、楽しんでくれた様子だけは伝わってきた。

 推移表も完成度が高く、壊さないで取っておこうと言う話になった。来年以降の士気を高める材料にはなるかもしれない。

 最後、閉会式でスタッフ全員が集められた時、東子に会った。特に言葉は口にせず、彼女は笑顔で手を振った。泣いて、心が晴れたのだろう。同じ体験は先ほどした。

 帰りも一人で帰った。

 夜。風呂から上がると清嗣さんからメールが来ていた。

『明日の打ち上げ、来れないのか?』

 清嗣さんはこんな自分にもまだ仲間として接してくれた。今の自分を知らないから、当然かもしれないけれど。

『すみません。明日は用事があって行けません。ボランティア、誘ってくれてありがとうございました。とてもいい経験になりました』

 そう送ると、すぐに返信は来た。

『分かった。また会おう』

 悠人は携帯を置くと、明日の準備をする。引き出しを開けて三万円を抜き取り、財布に入れた。

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