第2話
本番一月前の休日の朝。顔合わせと言うことで清嗣たちはボランティア会場に集まっていた。集合場所は会場となるホールの入り口前。空は気持ちよく晴れ渡り、代わりに直射日光が体を焼く。辺りでは日焼け止めを何重にも重ねている様子が見て取れた。
総勢八十名程度。社会人や大学生ぐらいの人ばかりで中学生は清嗣の連れてきた一行しかいない。大人に囲まれた少年少女は緊張気味で、清嗣の周りにギュッと固まっていた。
「おはようございます。清嗣さん」
「おはようございます」
少年と少女が清嗣の元へ来て挨拶する。
「おはよう。悠人。東子」
清嗣が挨拶を返す。悠人と東子の間には妙な距離があって、どこかよそよそしかった。
「二人は……ああ、二人ともエコ班か。班は違うけれど、いつでも力になるぞ。困ったことがあったら遠慮なく相談してくれ。因みに俺はステージ班だ」
「はい、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人は礼をすると清嗣から少し離れた所に移動した。
「おーい清嗣。団長が来てるぞー」
秀人に呼ばれて清嗣が振り向くと、ボランティアの団長の姿があった。
「おはよう。清嗣君」
手を振りながら、会長が近づく。
「おはようございます。団長」
見る人に柔和な印象を与える、二十代中盤ぐらいの青年だった。彼は清嗣の周りにいる人たちを振り向いて言う。
「いやすごいね。ちゃんと話し合った通りの人数を集めてくるなんて。中学生だけじゃなく、大人もいるんでしょ?」
「はい。本当はもっと呼びたかったですけど」
「ははは、すごいなぁ。来年も出てくれるならもっと規模を拡大した構想も練ってみようかな」
「是非。お願いします」
清嗣の呼びかけで集まった参加者は三十名程度。年齢もバラバラで高校生や大人も少数いた。ボランティア参加者が総勢八十名と考えればその割合はかなり大きい。
清嗣は勧誘前に会長と話をして、各年齢層が何人くらい受け入れ可能かを相談していた。学内活動とは違う、社会人が軸となる活動である。スタッフが中学生ばかりというわけにもいかなかった。加えて、人数が多すぎてもやることが無くなってしまう。規模を拡大する準備もなく、例年から逸脱した人数は受け入れたくないという話を受け、清嗣は声をかける人数をセーブしていた。
団長は清嗣の連れてきた人たちに向かって言う。
「じゃあ皆、本番まで力を合わせて、頑張って行こうね!」
「「はい」」
学生たちの快活な返答に満足げに頷くと、団長はステージのある方へ消えて行った。
「お前、エコ班になったの?」
悠人が前を向いたまま、後ろにいる東子に話かけた。
「……うん」
「……まあいいけど。よろしく」
「……よろしく」
快晴の空は心を軽くし、その心に刃向うように、悠人は強く沈んだ声を重ねた。
***
昼の休憩時間。悠人は一人で昼食を食べていた。ホール内にある人通りの少ないベンチで、来るときに買ったサンドイッチとオレンジジュースを隣に置いている。
午前中は会長の挨拶と全体説明が終わった後、各班に分かれての自己紹介と大まかな活動の内容について説明があった。エコ班は当日ゴミステーションに立ち、出店などで出たゴミの分別を支持する役割が主な仕事となる。だがその他にも、地球環境保全に繋がる何かしらの出し物を毎年しているようだった。午後からはその例年の出し物の紹介と、今年は何をするかについて、話し合うことになっている。
一人で淡々と食べていると、自然と色々な思いや記憶が頭の中を巡る。
東子はどうしているだろう。しょんぼりした顔でご飯を食べる、東子の姿が浮んだ。
見てもいないのに、自分から距離を開けて、何を考えているのか。払拭しようとサンドイッチに被りつく。その直前、自覚した感情は心配だった。
――人の心配なんて、していられるような人間か?
考えることを止め、不快な感情とだけ向き合って、精神を固く安定させる。口に入れたものの味を、味わうことなく認識して、嚥下した。
「隣、いいか?」
声のした方へ目を向ける。気付けば、清嗣がすぐ傍に立っていた。
「! あ、はいっ」
悠人はその姿を認めると、今し方食べ終わった昼食のゴミを反対側に置く。体も詰めて、場所を開けた。
「ありがとう」
清嗣は空けられた席に座った。
しばし、無言になる。何か用事があって来たのだろう。どんな用事だろうか。悠人はどぎまぎと清嗣の言葉を待った。
「浮かない顔をしているが、何かあったか?」
清嗣は悠人を心配して来てくれたようだ。悠人は気にかけてくれたことに、嬉しさと申し訳なさがこみ上げた。誘ってくれたにも関わらず初日から辛気臭い顔をしていたことも含め、謝罪する。
「せっかく誘って頂いたのに、すみません。気まで遣わせてしまって」
「いいよ。そんなのは」
清嗣の言葉はすんなりと悠人の心に入った。彼の言葉はいつも綺麗だった。自己顕示や献身といった、相手の弱さに自分の価値を見出そうとするような打算がない。だから信頼できる。人の心を震わせる。
悠人は清嗣の器の大きさに甘え、図々しいと思いつつ問いを投げる。
「清嗣さん。どうしたら、清嗣さんみたいに強くなれますか?」
口にして、悠人は抽象的な問いだったと認識して恥じた。そもそも強さは『強くなろう』と意識して鍛えるものだろうか。しかし、何か秘訣があるなら、是非聞きたい。悠人は自分の中で問いの評価を改めた。
悠人が清嗣に憧れる理由は、その強さだ。成績優秀で運動神経が良く、行動力があり、カリスマ性がある。威風堂々とし、一片の穢れもない誠実さをもつ。悠人にとって『強さ』から連想される要素全てをもった人だった。
だが、清嗣からの返答は悠人にとって意外なものとなった。
「俺はそんなに強くないぞ?」
意識はしていなくとも自覚はある。悠人は当然のようにそう思っていた。しかし、今の言葉にも打算的な響きは無くて、嘘偽りはないと分かった。同時に、混乱する。
「強いですよ! 運動神経は良いし、成績もいい。いつも堂々としていて、皆付いて行くじゃないですか」
動揺と期待する答えが得られなかったことに語気が強まる。清嗣は平静で、悠人はそれだと言ってやりたくなる。
「成績は良いだろう。だが秀人には及ばない。運動神経も良い。だが運動部と相手の土俵で勝負したら負ける。堂々としている人も沢山いるだろう」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。確かに部分的に言えば、清嗣より勝っている人間は同学年に限ってもいる。なら何をもって強さとするか、『総合力』とすぐに思い浮かぶ。だけれど価値基準が曖昧で、悠人が勝手に定義するにしても、どの要素にどのぐらいの価値があると、明確に表現することはできなかった。確かな言葉を探し、たどたどしくも言葉を紡ぐ。
「……でも、皆清嗣さんに付いて行きます。今日のボランティアだって、清嗣さんの呼びかけだから皆来たんだと思います。それは強いから、皆を惹き付けているんじゃないですか?」
「逆だよ。皆がいるから強く見える」
清嗣は即答した。
悠人にとって納得のいかない答えだった。しかし、清嗣が続ける。
「俺も常々強くなろうとしているよ。そして正直、年の割には強いと思う。さっきの悠人の問いに対する答えと矛盾していると思うだろうが、悠人が言っているのは個人の能力で見た強さだろう? だが、俺の考える強さというのは自分の目の前にある、やるべきことを達成する力だ」
清嗣の考える強さは、悠人の考える強さとは違うと言う。
「結果を残さなければならない。でも達成の手段は問わない。そういう場合、俺一人の力ではどうにもならないことがいくらでもある。だから俺は人に頼る。人の力を借りて達成する。だが頼るためには、自分も相手に頼られるような存在でなければならない。だから俺は頼られた時に必ず応える。力が及ばなければ別の誰かに頼る。そうやって力のトレードをさせている。個人の強さで言うのなら、俺の磨いているのは『人と繋がる力』だ」
その強さは、悠人の考えていた強さとは遠く、しかし、包括していた。
悠人が求め、考えていた強さが、弱さがなく自信を持っている姿であるのに対し、清嗣の考える強さは、集団で挑み、得意な人間をあてがう力だ。それは一見ズルのようで、よく考えれば楽ではない。
『頼るためには頼られる存在でなければならない』それは個人の特定の能力が、他者に需要のあるレベルで強くなければならないということだ。自己の評価を他者に置く、妥協を許さない厳しさがあった。
悠人は同時に考える。自分と相手だけではなく、自分を中心に他者を繋ぐとはどういうことか。
他者と繋がることを価値と考えていない人たちに、価値があることだと思わせなければならない。そのためには望まれている力を提供して結果を残し、信頼される必要があるだろう。そうして清嗣が育んできた関係の、その規模は――。核心をかすめて、悠人は身震いした。
悠人の様子に理解を感じ取り、清嗣は続けた。
「人の強さはできないことで決まるのではなく、できることで決まる。できないことは悲観せず、できることを誇ればいい」
清嗣は前に向けていた視線を悠人に向けた。
「そしてその強さを肯定するなら、人と繋がれ」
悠人の顔を見て、清嗣は立ち上がった。
「今回のボランティアは『強くなる会』だ。俺と一緒に強くなろう」
「はい」
清嗣は悠人の返事に頷くと去って行った。
悠人は清嗣の言葉を何度も反芻し、噛みしめる。
憧れたものとは異なる新しい強さ。より尊くなったそれは、より近くもなった。
暗い顔は消え、瞳は光を帯びる。
緊張を解いて、背もたれに体を預けた。
ふと気づけば、暗いと思っていたこの場所からも日の光が差し込んでいる。遠くでは昼寝を誘うように芝生が輝き、他方では黒いモニュメントが光に照らされている。そのモニュメントの球形部分が反射して輝くさまに、共感を覚えた。
まずは、東子と話そう。そう心に決めて、悠人は東子がいるであろう、午後の会場に向かった。
***
エコ班で出すものは大きなビニールボールを使った地球の塗り絵と森林伐採の推移表になった。
「今後の活動日は追って連絡します。来られる日だけで良いですが、前日と当日だけは全員出席でお願いします。それではみなさん、お疲れ様でした」
班長の号令で解散となる。班長は黒髪で眼鏡をかけた、妙齢の女性だった。
時刻は現在十七時。
悠人は視線を時計から人へ移す。各々の行動を目で追っていく。そのまま一人で出ていく人、友達と出ていく人。残って会話をしている人達。
清嗣さんだったら、たくさんの人と話して行くんだろうな、と思った。悠人も皆と話した方がいいと心の中で思っていても、今日会ったばかりの大人へ話に行く勇気は出なかった。
それに、今日に限っては、何よりも優先しないといけないことがある。
「……悠人?」
東子が笑顔で、しかし遠慮気味に声をかけた。
「一緒に帰らない?」
悠人は昼、東子と話をした。先週、班分けの話で怒鳴ったことと今朝の態度が悪かったことについて謝罪した。対して東子も「気に障るようなこと言ってごめんなさい」と謝り、そこで和解はできた。
遠慮気味なのは、また前と同じような温度で接していいか、迷っているのだろう。
東子から見れば、昼に突然心変わりして謝罪されたのだ。清嗣と話したことさえ知らない彼女には、悠人の怒りの琴線が変わったことなど知る由もなかった。
「うん。帰ろう」
誘いに対して、他意のない笑顔を悠人が返した。
東子は安心した様子で、すぐに隣へ並んだ。
清嗣に『強さ』を教えられ、悠人は素直に謝ることができた。
『人の強さはできないことで決まるのではなく、できることで決まる。できないことは悲観せず、できることを誇ればいい』
まだできることはそれほどないけれど、できないことを悲観しなくていいという言葉は、絡まった心を解いてくれた。
悠人は少しだけ緊張しながら、東子に声をかける。
「……ここからだと駅までの間にクレープ屋がある。……寄ってくか? 今日なら奢るぞ」
「……うん。……行く。ぜったい行く!」
最初は驚いていた東子の顔が、言葉を理解すると喜色にはじけた。
「一番高いの、頼んじゃうからね!」
悠人のそっけないその言葉から、東子はちゃんと意図を汲んだようで、ここぞとばかりに我が儘を言った。
「いいよ。好きなの頼んで、…………一つだけな?」
「ああっ! 二つって考えもあったのか。じゃあ二つ! 高い順、一番と二番で!」
「一つだ一つ! ……っていうか夕飯食べられなくなるぞ。お前の母さん、怒るだろ」
「あ、うぅ。確かに」
悠人はその他愛のない会話を心地よくできていた。
隣で東子がコロコロと表情を変える。印象的なその笑顔に、夕刻という時間が口惜しく感じる程、幸せを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます