第10話 雲の切れ目

 かみなり姉ちゃんの住む、積乱塔までは案外近い距離にあるのだという話を聞いて、私は羞恥心に悶えた。というのも、私はわたさんの言動から勝手に、積乱塔はまだまだ先の方にあるのだと推測した挙げ句、それを理由に鎌田に強くあたってしまったからだ。

 恥ずかしくない訳がなかった。

 穴があったら入りたいし、雲の上から身投げしてでもこの場から立ち去りたいという羞恥心に駆られる。


「――っ!」


 胃に違和を感じたので、私は急いで薬を飲んだ。効果がでるまではまだ時間がかかるはずなのに、痛みがすぅっと消える。こういうのを、プラシーボ効果というのだろうか?

 幸い、私の痛がる様は誰も見ていなかったらしく、三人は楽しそうに食事を続けていた。

 この雰囲気は壊しちゃいけないなあ、と思いつつ、スープを飲んだ。

 それから一時間後、各部屋で準備を整えた私達はわたさんの家の前に集まった。


「では、今から積乱塔に行きます! みなさん、着いてきてくださいね!」

「「「はーい」」」


 まるで小学校の遠足のような雰囲気のもと、私達は歩き出した。明らかにわたさんのテンションが上がっているような気もするけれど、それはお姉ちゃんに会えるからなのだろうと思った。

 あ、いえ。これは私が勝手にそう思っただけで、別に断定はしていない。……こ、これが正解だなんて一つも思ってないんだから! そういう思い込みが激しくて、胃の弱い女はすぐにでも、この雲から飛び降りてしまえばいいんだから!

 と、似非ツンデレ口調で罵倒しながら、しかし、私達の旅路はたいへん安定したものだった。


 まるで坂道を石が転がっていくかのように順調だった。でも、『だった』というだけあって、もちろんどこかで障害にぶつかるわけだけど。

 それは、視界に白く、高い塔が見え始めてしばらく歩いた時だった。わたさんが、


「あ、ここ危ないですから、気をつけてくださいね」


 とだけ言って、大きくジャンプした。本人は軽々しく跳んだだけのようだけど、その距離は目測でも五、六メートルはあったんじゃないかと思われる。

 ふわりと跳ぶことによって、目の前に広がる雲の切れ目という障害をくぐり抜けたのだった。


 ……って、は?

 いやいや、待って。待ってちょうだい! どういう運動神経していたら、助走もなしにそんなに跳べると言うの!? 魔法、魔法なの!?


 私がそう取り乱すほど、わたさんの身体能力は凄まじかった。

 天空さんの方を見ると、彼女も驚きのあまり目を見開いていたけれど、すぐさまその瞳がキラキラと輝きだした。


「えー! すっごいです!」


 反対に鎌田はというと、わたさんならできるよね、といった感じで苦笑いを浮かべていた。まるで、わたさんの脅威の身体能力の片鱗を見たことがあるかのような、反応である。

 三者三様の反応をその一身に受けたわたさんは、別段何もなかったかのように平然としている。どころか、首を傾げて私達の反応を不思議がっていた。


「何しているんですか? 早く来て下さいよぅ! かみなりお姉ちゃんのところまで、……じゃなくて、積乱塔まで行きましょうよ!」


 わたさんの本音が微妙に見え隠れする中、私達三人は作戦を練った。


「おいおい、あれどうしろってんだよ? いくら何でもあんなには跳べねえって」

「でも、考えるしかないでしょ? 何とかしてあそこを渡らなくちゃならないんだから」

「わたさんに担いでもらうとか……? あ、でも、それはわたさんが可哀想だね」


 正直、もっとも簡単な回答はわたさんに連れて行ってもらうなのだと思うのだけど、でも、それは誤答なのではないかと睨んでいる。というのも、人一人を担いで跳ぶというのは酷く難しい行為なのだから。まともに跳べたものではない。


「なあ、天空さん。跳ね出して俺達を運んでくんない?」


 案がなかなか出ず、行き詰まっていた頃、鎌田は唐突にそう言った。

 何をバカなことを言っているんだコイツは、と私が呆れる中、天空さんは、


「分かりました! やってみますね!」


 そう言って、目を固く瞑って力みだした。

 その時の彼女の可愛らしいこと、可愛らしいこと! 頑張っている天空さんには悪いのだけれど、思わず鎌田にグッジョブとサムズアップを送ってしまいそうになった。


「ううう、ダメでした……」

「大丈夫よ、ダメもとだったんだから、気負う必要は全くないわ」


 本当に全くない。微塵もない。むしろ、天使として私達をいやしてくれたのだから、そこは誇れるところなんじゃないかと思う。

 しかし、これで完全に手詰まりになったのも事実だった。私は雲の切れ目まで近づいてみた。得られる情報は皆無だと思ったけれど、でも、予想していなかった何かがあるかも知れない。踏んだら、向こう岸まで飛ばしてくれる装置みたいなものとか。


 もちろん、そんなものは全くもってなかったのだが。

 でも、どうしてこんなところに雲の切れ目なんかが、と思った時、私は朝のことを思い出した。


 ――思い込みが激しくて、胃の弱い女はすぐにでも、この雲から飛び降りてしまえばいいんだから!


 あれ? この台詞は誰のものだろう? 言うまでもない私の台詞である。

 え、つまり、これってそういうことなの? 飛び込んで消えてしまえということなの!? 私が心の中であんな茶番じみたことをやっていたばかりに、神様が気を利かせて誂え向きなところを用意してくれたというの!? などと言って、心中で勝手に盛り上がっていたところ、お腹に誰かの腕の感触があった。


「きゃっ」


 私の悲鳴を聞いて、いつの間にかこっちまで戻ってきていたわたさんは笑った。


「みなさんが、あんまりにも遅いものだから、もう、私が連れて行ってあげますね!」


 彼女はそう言うが早いか、ジャンプした。流石に、先程のように助走なしという訳にはいかなかったようだけれど、それでも、かなり軽く跳んでいた。

 ふわーという数秒にも思える一瞬の後、私達は余裕を持って向こうに降り立っていた。

 そんな出来事を前に、私は自分の想像力や推測の頼りなさを嘆きつつも、わたさんスゲえと思うのであった。


「さあ、積乱塔まではもう少しです! 張り切って行きましょう!」

「「「お、おー」」」

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