第8話 夜空

 離ればなれになった私達が合流するにあたって、私がかなりの辱めを受けたのは言うまでもない。しかし、思えばこれが自分が最も役に立った瞬間だった。

 その嬉しさから何とか恥ずかしさをあまり感じずに済んだのだけど、時間が経ってしまえばそんなまやかしは消えてしまう。消えてしまった後に残るのは、身を焦

がす程の羞恥心だった。


「はあ、死にたい……」


 そのため、私は現在足を抱えて部屋の隅でうずくまっている。

 胃薬はしっかりと服用済みだから、痛みはないはずだ。でも、幻痛とでも言えばいいのだろうか。痛くなるはずもない胃から、時々痛みを感じた。




 あの後、合流した私達はそのまま森を抜けて、街にまで辿り着いた。そこは、やはりというかなんというか、ふわふわとした真っ白な建物が連なっていた。正直、災害が起ったら全て消失してしまうこと請け合いなしな物件ばかりだと思う。

 森があるんなら、その木を使って家でも何でも作ればいいのに。とも思ったのだけど、よくよく思い出してみれば、あの木には変な効用があった。おそらくはそれを嫌ってあんな材質で家を建てているのだろう。

 街に着いた私達はそのまま、わたさんに言われるがまま、ある家に辿り着いた。わたさんは、そこを自宅ですと言って私達を招き入れた。どうも、今日はここで泊まるらしかった。

 私はこれに賛成だったが、鎌田は異を唱えた。


「でも、ここで泊まっても大丈夫なのか? ほら、時間はかなりの速度で進んでいるって言うし。できるだけ進んだ方がいいんじゃないか?」


 その意見は、なるほど至極真っ当なものだったのだけれど、でも、したいかしたくないかの問題以前に私はできないと思った。


「多分、それは無理よ。わたさんもそこの事情は踏まえているだろうし、それでも、ここに連れてきたということは、おそらくこの近くには他の街や村がないということなのだと思うわ」

「? それの、どこがまずいんだ? ご飯食べて、少しゆっくりしてからここを出て次の街に行けばよくないか?」

「ダメに決まっているわ。ここに来てから、時計というものを見なかったし、そもそも見慣れた土地じゃないから時間感覚がかなり狂っていたけれど、私が意識を失ったのは正午に近かった。そして、その後森を抜けたのよ? もうそろそろ夜が始まってもいい時間じゃない?」


 私がそこまで言って、鎌田は納得したように言った。


「つまり、今行けば野宿して、美少女三人と眠れるって訳か!」

「その時は、あなたが夜警として見張りになってもらうわ。でも、その前にね――」


 私は呆れるような鎌田の返答をいなし、耳を掴んでたぐり寄せた。耳を掴んだのはたまたま手の近くにあったからであって、別に効果的に鎌田にダメージを与えようとしているわけではもちろんない。


「――あの、天使に野宿させようとするの、あなたは? それでも、男なの?」

「…………」


 少しトゲがある言葉かなあと思ったけれど、むしろ彼にはここまで言っておかなければならないような気もした。彼の視線は今、どこを向いているのだろう。私と同じだとすれば、わたさんと仲睦なかむつまじく笑い合っている天使の姿が映っているはずだ。彼もやはり何か思うところがあったのだろう。その光景を前に黙った。

 しばらくして耳を解放すると、彼は思い出したように耳を押さえた。


 それにしてもと、私は彼の発言に対する苛立ちを隠せない。

 どうして野宿するときに、あめさんも呼んでいるのだと。

 美少女三人とは、間違いなく天空さん、わたさん、あめさんのこの三人だろう。そして、野宿する際は見張りが当然一人以上は必要になってくるから、私が見張り番をしなくてはならない。

 男なんだから、と言って押しつける気はさらさらないけれど、むしろ、一番役立たずな私が真っ先に見張り役を志願しなければならないけれど、でも、さらっと押しつけてくるのはよくないと思った。

 もう少し筋を通して、せめて相手に確認するくらいはしなければならないだろう。


「はぁ」


 そこまで考えて、私は酷く思い溜息を吐いた。役立たずな自分が何を一丁前なことを言っているのだと思ったのだ。自分が酷く傲慢な存在に思えてならない。

 私は三人を背に用意された自分の部屋に行こうとした。これまたふわふわした階段を上ったあたりで、後ろからボソッと鎌田の声が聞こえた。


「あーあ。この三人で寝れると思ったのになぁ」


 思わず足を止めた。心臓がキュッと何かに捕まれたような感触が走る。

 鈍感ではない私はその言葉で、自分の勘違いを理解した。

 『あの』ではなく『この』。たった一文字だけれど、それだけでどの三人を指すのかは明白になる。


 初めて言われた美少女という甘い響きに、思わず小躍りしてしまいそうになったけれど、これ以上恥を晒すわけにはいかない。私はそう思い一歩踏み出したけれど、いつもの踏み慣れた階段よりも幾分柔らかすぎるためか、踏み損なってしまった。


「きゃっ!」


 という声が喉を突いて出てしまい、三人の注目を一斉に集めながら私は階段に転がった。幸い、まだ二段しか進んでいなかったので、怪我はなかったけれど、身体が少しだけ痛んだ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 天使の声が聞こえた。私は、自分の情けなさに涙してしまいそうになった。しかし、まさか彼女の前で泣くわけにはいかないと思いとどまる。


「だ、大丈夫よ。少し、目測を誤っただけだから! ちょっと、疲れているみたいだから、少しだけ眠ってくるわね!」


 そう、まくし立てるように言って、私は自室に今度こそ向かった。後ろからは、心配そうにこちらを見つめる視線があったが、その心配をほぐす術を私は持っていなかった。




 そんなことがあって冒頭につながり、私は現在引きこもっていると言うわけである。感覚的には、もうそろそろご飯の時間のような気がするけれど、毛布で顔を隠しているため正確な時間は分からない。

 皆の元に戻ろうにも戻れないというのが正直なところだった。どんな顔をして戻れというのだろうか。私の知っている知人が、こんな場面に出くわしたら間違いなく引きこもるに違いなかった。

 そう考えていると、肩を叩かれた。

 思わず、ビクッとして悲鳴を上げた。でも、その声はあまりの高さゆえに超音波の域に達してしまったらしく、叩いた手はさほど大きなリアクションをとらなかった。


「急に引きこもったみたいですけど、どうかしたんですか?」


 その高い位置から降りてくる優しく落ち着いた声は、間違いなくわたさんのものだった。

 一瞬、どうして足音もなしに近づけたのだろうかと思い、特殊部隊を連想してしまった私だったけれど、よくよく考えてみれば、ふわふわなこの床では音も何もするはずがなかった。


「ど、どうしたの? ご飯なのかしら?」

「ふふふ。それを伝えに来たのもありますけれど、もう一つあなたに見せたいものがあるんです」


 そう言ってわたさんは、私の顔から毛布を取った。光で目がくらくらするのではないかと構えたけれど、夜の帳が降りていたと言うこともあって、危惧した展開にはならなかった。

 わたさんは私の肩を抱いてそのまま、窓際に連れて行った。


「あの子から聞いたんですけど、元の世界はここまでの夜空はないのだとか」


 あの子というのは十中八九、天空さんのことだろう。

 窓の外から見える夜空は、圧巻の一言に尽きた。街の光が遮らなければ、夜空はこんなにも美しくなるのかと息を呑む。

 まるで宝石を宙にばらまいたようだと言えば伝わるだろうか。いや、きっとそんな言葉ではこの現物は表せそうにはないだろう。

 ダイヤモンドに、お砂糖、それから友情。そんな美しくて甘くて、私の大好きなものが一つになって空に浮かんでいるように思えた。――ああ、ダメだ。きっとこれじゃあ、何も伝わらない。この光景を見た者にしか、きっとわかり合えない。


「きれい……」


 だから、私は一言そう言った。


「ええ、綺麗でしょう? 私はこの光景が大好きなんです。確かにいつも見る光景ではありますが、それでも私の目を引きつけては放さないんです」


 その後、私達は無言でその光景を見つめ、わたさんが、


「あ、スープが冷えちゃう!」


 という言葉が出るまで、静かな時間を過ごした。

 無言の空間は総じて辛いものだと思っていたけれど、その時だけはたいへん心地がよかった。



 不安な気持ちが残るのか、私達が一階に行くとしかし、そこには誰もいなかった。


「こっちですよ」


 微笑んでいるわたさんにつれられて外に行くと、そこには大きな丸い机があった。そこにあるのは色とりどりの料理。そして、あの二人の姿。


「おーい。そろそろ喰おうぜ。ご飯が冷めてしまう」

「雫さん、大丈夫ですか? 一緒にご飯でも食べましょう!」


 私はいつもの二人の言葉に乗せられ、安心して食事をした。料理は少しだけ醒めていたようだけれど、三人と話していたらそんなのが気にならないぐらい温かく思えた。

 私達は夜空を見ながら、いろいろなことを語らいあった。


 そんな光景を見ながら、この世界から脱出した時のことを思って、少しだけ心が痛んだ。四人でいられる時間が案外少ないことを自覚した。


「どうか、しましたか?」


 わたさんがそんな私の微妙な変化に気がついて、こっそりと訊いてきた。

 でも、そんなのはあまり問題ではない。


「いえ、何でもないわ。大丈夫よ」


 私は夜空を見て、それから三人の顔を見た。

 そう、大丈夫なのだ。私達四人は同じ空を見たのだから。この空を分かるのは誰でもない、私達だけの記憶。私達だけのつながり。

 そう思うと、先程まで感じていた寂しさを忘れることができた。

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