第5話 え、森……? 森!?

 一ヶ月以内にここから脱出しなければならない。


 この雲の上の世界から元の世界に帰ることは、私達三人の目標であることには違いないのだけど、それでも、一ヶ月というタイムリミットがついてしまったのは、間違いなく自分のせいだった。

 そう思うと、胃がキリキリと悲鳴を上げ始めるが、胃薬を飲んでいた手前、なんとか耐えることができた。痛みのあまりうずくまって動くことができなくなったりしたら、それはもう、目も当てられない状況になっていただろう。

 制限時間を設けさせ、その上、足を引っ張るだけの人間にはなりたくなかった。

 そういうこともあって、私は率先してわたさんに質問をした。


「それで、積乱塔にはどういう風に行くのかしら?」

「あ、大丈夫ですよ。私が責任をもってあなたたち三人を連れて行きますから」


 そう行ってくれるのはありがたかったが、私としては、行き先をある程度イメージしておきたかった。それは、不慮の際に打開策を考えやすくなるというものもあったけれど、もう一つ、意地汚い理由があった。

 それは、このメンバーの役割を見てみれば、一目瞭然。火を見るよりも明らかな理由がある。

 天空あまそらつばささん――少女。かわいい。天使。チームを引っ張ってくれる。

 わたさん――私よりも背が高い女の子。雲人。道案内をしてくれる。この人がいなければ脱出できないだろう。

 鎌田かまだきょう――男の子。前髪から除く目が私達を見る時だけ、ギラギラしていて少し怖い。でも、男の子だから強そう。

 私――愛嬌なし。土地勘なし。力なし。胃薬あり。なお、胃薬が尽きるといろいろと終わる。


 ……この私が三人に勝てる要素ある? 役割分担した時、ただのお荷物なのがバレちゃう!?


 絶対に、役立たずでしょ私。その上、無駄に制限時間をもうけさせちゃったし。

 などと、私が暗い気持ちになっていると、三人とお荷物一人の一行の前に新緑の森が広がった。

 森。それも、雲の上の森である。


「え、どういうことなの? どうして、雲の上に木が……?」


 私以外の二人も疑問だったらしく、首を傾げた。

 鎌田さんも、「美少女パーティー最高! 異世界最高!」とか先程まで叫んでいたのが、嘘かのように静かになった。

 三人の沈黙を裏腹に、わたさんはあまりにも当然のことなのか、むしろどこが不思議なんだろうといった風に質問してきた。


「あれ? あなたたちはもしかして、森というものを知らないんですか? 呼吸していたから、知っているものとばかり思っていましたが」

「あ、いえ。流石に森は知っているのだけど。でも、その……」

「えーっと。雲の上に木があるのが不思議なんです」

「それな!」


 言っている最中に、なんて説明すればいいのか迷子になっていた時に、天使から救いの手がさしのべられた。鎌田さんの便乗付きで。

 わたさんは天空さんの意見で得心したのか、数度頷いてから説明を始めた。


「そうなんですか。でも、私達にとっては普通の光景ですからね。水分がたっぷり含まれた雲に木が根を張るのは当たり前だと思うんですよね。でも、あなたたちにとって不思議なら、もしかしたら木の種類が少し違うのかも知れませんね」


 種類が違うと言われても、地上にある木々とそれらはあまり変わらないように思えた。もしかしたら、アレかも知れない。と私はある実験を頭の中に思い浮かべた。


「小学校の時にやったインゲン豆の発芽の実験覚えているかしら? あれの原理で生えているんじゃない? ほら、あの脱脂綿で発芽させたやつ」


 私がそう言うと、二人は少し納得したように数度頷いた。

 わたさんはというと、


「あ、ということはあなたたちの世界も魔物で大変なんですね。説明する暇が省けてよかったです」


 と笑顔で言った。

 え、ちょっと待って。魔物? ねえ、わたさん。あなた今魔物って言った? 絶対違う種類の木でしょ! 


「じゃあ、行きますよ!」


 私達三人は、一人で早合点して歩き始めたわたさんを必死で止めた。こんなぐだぐだなまま森に入っても、わたさんのいう魔物とやらに食い殺される未来しか見えない。


「ちょ、待って。魔物についてkwsk!」


 あまりの出来事に、鎌田さんの口調が少し怪しくなる。……ねえ、母国語かなにか出てない?


「え、でも。森があるって言うなら、魔物も普通いるんじゃ……?」

「どんな森よ、それ」

「ちょっと聞いたことないですね」

「そーだ、そーだ」


 はにかみながらそう言った天使に、またしても便乗する鎌田さん。天使の威をかる男子中学生の姿がそこにはあった。


 ともあれ、こうして私達はわたさんを引き留めることに成功した。森の中には少しだけ入ってしまったが、出ようと思えば出られる距離である。

 私達は必死に森と魔物の関連性を聞いた。できれば、私たちで言うところの動物が、彼女達が言うところの魔物であることを願って。


 しかし。


「え? 魔物と動物は全く違いますよ? 魔物は動物から変化するんです。ほら、木って食べると大きくなるじゃないですか。そういう成分があるじゃないですか。……え、ない? え、でも、そういう成分を微量ながら飛ばしても……あ、いない。じゃあ、そういう巨大化させる成分があるんです。で、動物がそれを食べて巨大化したものを魔物という訳です。あ、ほら、私がみなさんよりも身長が高い理由もこれですよ」


 思わぬところでわたさんの身長が高い理由を知ることができたけれど、魔物の具体的な説明を聞いて私はひどく恐怖した。


「ああ、よかったあ。変な魔法とか使ってくるタイプのやつだと思ったぜ。まあ、動物なら倒すことは無理でも、逃げることはできるだろう」


 その反面で、鎌田さんは安心していたのだけど、大丈夫なのかこの子。


 動物の巨大化。というと、鎌田さん……鎌田のようにあまり危機感を覚えない人がいるようだけど、それは本質的に動物を舐め腐っているからだと思う。鎌田レベルではなくとも、魔物と巨大動物では後者の方を侮ってしまうのが世の常だろう。

 でも、ことはそう簡単ではない。

 小学校の頃に飼育していた兎に噛まれ、ばい菌が入って右手がひどくグロテスクな状態になったという経験を持つ私は、その楽観的な考えを否定する。

 遠足の時に見て気を失いかけた熊の魔物なんかに出会ったら、一発アウトであるのはもちろんのこと。

 可愛らしい兎ですら、巨大化すれば人を容易に踏みつぶすだろう。その上、俊敏だから私達が逃げ切ることは難しい。

 登下校の時にやたら吠えてきたような犬なんかもダメだ。会った瞬間、殺されるに決まっている。

 いち早くその危険性を身近なものとして感じた私は、仲間に警鐘けいしょうを鳴らすべく声を上げた。


「まずいわね。早く森をでなくちゃ!」


 けれども、それはあまりにも遅すぎた。

 森の入り口にはすでに大きな影が存在していた。

 私は頬が引きつって痙攣けいれんする感覚を実感する。

 ふさふさな毛並みは光沢があるのか、所々金色に輝いている。視線を私達に合わせて外さないその瞳はさながらスナイパーのようだ。それは、自らを弾丸のように地面を蹴るモーションを数度した。


 それ――つまり、入り口をふさいでいたのは巨大なイノシシであった。


 血が引いていき、顔が青ざめていくのを自覚しながら、しかし、心の中にあったのは妙な納得だった。先程、やけに小学校の時の回想が流れてくるなと思ったら、なんてことはない。ただの走馬燈だったのだ。

 走馬燈はやがて、中学高校と来て現在に辿り着いた。

 その瞬間を見計らっていたように、イノシシが解き放たれた。


 私達は無我夢中で逃げた。阿鼻叫喚というのはこういうことかもしれないという程、悲鳴が上がった。

 その九割以上が私であることは言うまでもない。


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