第2話 ここ、天国……? あ、違う
カッカッカッと、チョークが黒板にこすれて砕ける音が鳴った。
その音をBGMとして私は青い空を眺めていた。水色をバックに白い雲が浮かんでいるその光景は、授業を真面目に受けなければならない私の視線を奪ったのだ。
そんな自分に嫌気がさす。しなければならないことに一生懸命になれず、ただただよそ見ばかりする自分が嫌だった。
それに比べて、あの黒板の活躍ぶりのなんたることか。チョークで叩けば素直に白い文字を写し、手でひっかけばその人の思惑通り不気味な悲鳴を立てる。私よりよっぽど世間に貢献している。
残暑を乗せた嫌な風が私の頬を撫でた。席を立たずとも、窓を閉めることができる距離なので、閉めてしまおうかしら? とも考えたが、私には不快でも、他人にとっては快適かも知れないと思うと、どうしてもそうすることはできなかった。
チラリと視線を教師の方へ向けると、まだ黒板を書いていた。その時の黒板の活躍ぶりと言ったら、目の前の受験勉強から逃げようとしている私とは比べることができないほどだった。
ああ、受験なんてなくなれば良いのに。
私はそう心の中で呟くと同時に、自分に対して嫌悪感がふつふつと湧き上がってきた。それを溜息として吐き出すことくらいしか、受け止める術を私は知らない。
再び青空を見上げながら溜息を吐いた瞬間、遠くの方から声が聞こえた。
何を言っているのか、頭の中で理解する前に私の意識は途切れてしまった。頭の中に残ったのはその声の独特な音だけだった。
「だ、大丈夫ですか……?」
その声に意識が戻った。
「だ、大丈夫よ。少し寝てただけ……」
私はそう言ってからハッとし、目を瞑ったまま、汗を滝のように流した。
授業中で寝てしまった私を教師が起こしに来たのだと思ったのだ。でも、すぐに違和感に気がつく。というのも、あの教師はこんな可愛い声をしていない。どころか男性だ。
まさか、次の時間になってしまったということはないだろう。それに、いくら女性教師であっても、ここまで可愛らしい声をしている人はいなかったはずだ。
そこまで考えて私は頭の中がパニックになった。自分のおかれた状況を理解できないというのは、何ものにもまして恐ろしいことだ。どんな行動をとっていいのか分からない。
考えに考えを重ねた。私がただ寝ていて起こされた説から始まり、寝てる最中にテロリストに包囲された説まで幅広く考え、あらゆる現実的な可能性を考え終える。でも、結局どれもしっくりこなかった私は、声をかけてくれた人を見るために、その重いまぶたを開けた。
目の前には天使がいた。
……。
…………。
いや、本当に。
黒髪ショートという外見的特徴だけなら、まだただの少女というくくりで収まりそうだけど、彼女の髪には所々が金色の部分が見える。さらに、白のワンピースを着用している。……もう天使でしょ、この子?
さらに証拠を挙げるとすれば、地面がモコモコの雲みたいなものになっていることでろう。雲の上の世界と言えば天国しか思いつかない。だから、そこにいる少女は天使なのだ!
て、待て待て待て!
「え、もしかして私、死んじゃっているのかしら!?」
思わず叫んでしまった。天使ではない私が、天国にいるということは、現在自分が死んでいるということになると気がついたのだ。享年十七歳というのは、ひどく世知辛い。と思う反面、こんななんの役にも立たない人間が天国に行けるという事実に、神様の懐の深さを実感した。
天使様は私の大声にビクッと方を振わせた。その後ろの方から声がした。
「大丈夫ですよ。あなたは死んでいません。ですから、気を確かにもってください」
ひどく背の高い女の人が天使の後ろに立っていた。ふわふわでモコモコの服を着ている彼女は、座っている私を見下ろしながらそう言った。
おそらく彼女も天使なのだろうと私は判断した。それと同時に、抱きしめてもふもふしたいと言った不敬な感情をなんとかもみ消した。
「え、でも、ここ……え? 天国……え?」
アドリブ能力が皆無なところをこれでもかと見せつけ、恥を塗りたぐっていくなか、背の高い彼女は説明を始めた。
この世界は雲族の棲む世界であること。
私と、目の前の天使のような少女は人間であり、ここでは非常に珍しい存在であること。
『積乱塔』にいるかみなり姉ちゃんなる人に会えれば、なにか分かるかも知れないと言うこと。
そして最後に。
「私のことは『わた』と読んで下さい!」
と言った。
私は気の遠くなるほど、途方もない状況に巻き込まれてしまったのだと知り、持ってきた胃薬を服用した。
今のうちに飲んでおかなければ、タイムラグでやってくる胃痛に対応することができない。少し下品だが、水の代わりには唾液を使用した。……しっかりと効果がでるのか少し心配なところだけど、背に腹は変えられない。
少女はそんな私の一連の動作が終わったタイミングを見計らって言った。
「私は
笑顔を浮かべながらそう言った仕草は少しぎこちなかったけれど、異世界に迷い込んでしまったという底なし沼のような不安を、彼女は少し払拭した。
その反面、私は彼女に対して何もできないのだろうと思うと、心が痛かった。でも、その気持ちは表情に出さないように、特異の仏頂面で私は応じた。できれば、私も笑顔を返せればよかったのだけど、それはおそらく無理だ。
「私は、
でも、私の表情を見て天空さんは安心したように微笑んだ。ああ、なんて優しい子なんだろうと、私はしみじみと思った。
温かい気持ちと、自分のひどく暗い性格に涙が零れそうになった時、後ろの方からわたさんの声がした。
「あの。もしかして、他にも倒れていることを忘れてはいませんよね?」
その一言で、辺りをよーく見渡すと、そこにはまだ人間が倒れていた。
……この惨状を認識できなかった自分の瞳がひどく心配になった。
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