調査開始

「まずは彼女の調査だ」

「調査?そんなことしなくても、履歴書やら何やらを書いてきてもらっただろ」

「これは基本情報に過ぎないよ。ここからもっと掘り下げていかなきゃ。うちは君の会社とはやり方が違うんだ」

 バカにされた気分になり、水島はむっとした。

「どういうことだよ。分かるように説明しろよ」

「うちは、客にとって本当に向いている職場を見つけるのが仕事だ。“本当に向いている”だよ」小早川は強調した。

「そうらしいな」

「できれば一生続く仕事をしてほしい。ただし、人生の転機やちょっとしたことで考え方も変わるから、また転職することもあるかもしれない。そうであったとしても、次は自分自身で最適な職場を選ぶ力を身につけてほしい」小早川は言葉を切り、水島を振り返った。「そのために、知名度や会社の規模、給料といった、世間的に良いとされる条件を取っ払って、当人にしかないスキルや興味、性格などの方向性に合う仕事を見つける。一度、飛び込んでみて体験しさえすれば、仕事選びの本質を理解してもらえるだろう」

「分からないな。仕事なんて人に選んでもらうものではないだろう。アドバイスはしてもらっても、最後には自分の判断で動くものだ」

「君は今の仕事に満足しているか?」小早川は唐突にいった。

「もちろん。とてもやりがいを感じている」

「だろうね。君はそうだろう。僕もそうだ。でも、意外と自分では分からないという人も多いんだよ。あるいは、自分の本心だと思い込んでいるけれど、成長していく中で植え付けられた価値観に、無意識のうちに縛られている人もいる」

「例えば?」

「そうだな……。今では一概に言えないが、一昔前は、成績が優秀、イコール、医者の道に進むと考える傾向があった。逆に、学歴が低いと、給料の高い仕事にはつけない、とか。また、本当は内向的で人としゃべるのが苦手なのに、営業マンになってストレスを抱えたり。自分の特性を無視した仕事選びをしてしまうのは、不幸の始まりだ」

「世の中、そんなもんじゃないのか?少々、向いていなくても、理想通りじゃなくても、我慢するのが大人だろ。不幸、ってのは言い過ぎじゃないか?お前の言うことは、きれいごとだよ」

「きれいごとに近づきたいから、この仕事を始めたのさ。なんだ、不満そうな顔をしているね」

 小早川のいうとおり、水島はいまいち納得できなかったが、なんだか面倒になってきたので追求するのは諦めた。小早川と議論を戦わせるのは、得策ではない。


「で、オレは何をすればいいわけ?」

「適職を考える上で、履歴書などに書いてある学歴やキャリアも大事だが、それ以上にその人自身を知ることが重要だ。ということで、彼女の普段の行動を調査してきてくれ」

「はあ」


 八重子の調査――、つまりは探偵のような仕事だった。

 朝から彼女の自宅マンション付近に張り込み、会社まで追いかけた。帰りは会社で待ち伏せ。どうしてオレがこんなことをしなきゃならないんだ、と思いながらも、水島は愚直に従った。数日もすると基本的な行動パターンはつかめてきた。


「5時半に起床。出社のために家を出るのは7時半。その間、何をしているか、部屋の外から見るだけでは分からないが、通勤時に持っている小さい手提げかばん、あれは弁当を入れているようだ。だから早起きして、弁当や朝食も作っているのかもしれない。8時半には会社に到着。始業は9時だからずいぶん早いな。17時が定時で、すぐに出てくるときもあれば、残業することもあるようだ。早く帰った日は、近所のスーパーに立ち寄っていた。野菜とか肉とか、食材を中心に手に取っていて、ちゃんと自炊をする人の買い物って感じだったよ。趣味はクライミングらしい。たまに仕事終わりに友人と待ち合わせして行って、そのあと食事をしていた。1人で行くこともあったよ」水島は報告した。

「ふーん。引き続き頼むよ。では僕は社内の様子や人間関係を探るとするかな」

「社内?どうやって?さすがにそれは無理だろ」

「大丈夫だよ」

 小早川にぬかりはなかった。オーエンの力を借り、紹介した派遣社員の仕事ぶりを調査すると称して、八重子の会社に潜り込んだのだった。

 表向きは調査員。なぜ小早川にうちの会社を動かせるのか、そんな特例が許されるのか、水島は疑問だらけだった。気になるところではあるが、たぶん教えてくれないだろう。そのうち調べてやる、などと考えた。


 その時、ふと気づいた。「会社に潜入するなら、瀬戸さんに顔がばれてないオレの方が良くないか?」

「水島にはこの後、もっと大事な仕事があるから、その時まで温存しておくのさ」

「大事な仕事?」

「その時になったら言うよ」

 水島は、コイツまた教えてくれないのか、とむくれたが、小早川がオレに大事な仕事を任せるというのは、悪い気はしない。「そうか」といいながら、笑みがこぼれた。

 小早川が会社に来ていることを、八重子は知らない。おそらく大丈夫だろうが、小早川は念のために軽い変装をしていた。

 伊達眼鏡をかけて、髪型も金融機関の営業マンかと思うような雰囲気。いつものカジュアルめのトラッドスタイルに比べると、堅い印象だ。

 小早川は、八重子よりさらに早い8時には会社に行き、休憩室の窓から外を見ていた。しばらくすると、八重子が道を歩いて来るのが見えた。数十メートル後方には水島の姿もあった。

 よしよし、しっかり仕事をしているようだ。八重子が建物に入るのを確認すると、水島も間もなくやって来た。水島は玄関を通過する時にちらりと建物を見上げ、窓際に立っていた小早川と目を合わせた。直後、小早川のスマホに「あとは宜しく。オレは次の調査に向かう」とのメッセージが入った。「了解」と返信し、小早川も窓に背を向けて歩き出した。

 化粧品会社の社員たちも、小早川の計画を知らない。彼らは小早川のことを、オーエンの社員と信じ込んでいる。


 先方の担当者に会って、一通りのあいさつやら説明を終えると、社内を見学させてもらえることになった。経理や事務、事業所などを見て回り、ようやく研究所へ。ビーカーや試験管、分析器らしき大型の機械、パソコンなどが並ぶ空間の中に八重子を確認した。通路から窓越しに見ている人の気配は感じているはずだが、八重子は集中しているのか、こちらを見向きもしなかった。


「さすが、化粧品メーカーだけあって、研究員も女性が多いですね」

「はい。こちらのチームは6人中4人が女性です」

「そうなんですか」などといいながら、八重子の横顔をじっと見た。

 初対面の時も感じたが、色白で鼻筋が通っていて、切れ長の目を持つ八重子は、独特の雰囲気があった。動きも優雅で、気品が感じられた。万人受けではないが、こういうタイプが好きな男もいるかもしれないな。

 さて、次は八重子の職場にいる契約社員の面談でもしようか。


 それぞれ調査を行い、1週間ぶりに2人は事務所で久しぶりに顔を合わせた。


「さて、お互いに報告しようか。まずは僕から。初対面の時の印象通り、仕事ぶりは真面目なようだ。先頭に立つタイプではないし、仕事に貪欲という訳でもないが、自分のやるべきことを理解し、ソツなくこなしている。昼は、食堂で同僚やほかの部署の人間と一緒に食事をとっていた。君のいう通り、弁当は自分で作っているらしいよ。横を通って見てみると、彩りもバランス良く、栄養の事も気を遣っているように見えた。同僚ともそれなりに楽しそうに話していて、静かだが、どちらかというと明るい印象だった」

 弁当の中身まで見たのか、と水島は驚いた。


「それから、彼女と同じ部署だったり、何かのきっかけで繋がりのある契約社員たち、あと、ついでに彼女の上司とも面談したよ。彼女の評判は悪くない。控え目な性格だが、芯は強く、仕事の評価も上々。そんな彼女だから、気にかけている男の上司もいるようだ。今のご時世、セクハラになるとやっかいだから、本人は平等に扱っているつもりらしいが、やはり女性は敏感だね。瀬戸さんだけ贔屓している、なんてやっかむ同僚もいるらしい。瀬戸さんがいう苦痛な人間関係とは、このことだろうか。でも、この程度の悩みならどこに行っても同じだろう、とは思う」

「そのくらいで転職なんて、甘いな。ありえないよ」

「そう、それが本当の理由ならね」

「本当の理由なら、って引っかかるな。本人がそういっていたんだろう?」

「ああ。しかし、転職エージェントで全てを正直にいう人なんて、あまりいないよ。彼女も例には漏れない。確かに、人間関係が引き金になった可能性はある。が、真実は、複合的に理由が絡み合っていたりするもんだ。正確に紐解くことはできないかもしれないが、こちらの努力次第で、核心に近づくことはできる」

「へえ」


「じゃあ、君の話を聞こうか」


「ああ。あれから、彼女のクライミング友達にも接触してみたよ。加藤唯という名前で、瀬戸さんと高校からの友人らしい。彼女が1人でクライミングに来たところを、オレも客を装って話しかけてみたんだ。加藤さんと瀬戸さんはかなり親しいらしく、色々とエピソードを話してくれたよ。瀬戸さんは大勢の友達と遊ぶことはせず、1人で過ごすのが好きらしい。でも人嫌いとかではなく、ただ表面的な人付き合いが好きではない、ってとこかな。趣味は料理で、なかなかの腕だってさ。加藤さんもたまに振る舞ってもらって、味もおいしい、といっていた。朝早いのは、やはり料理をしているんだろうな。お前が会社で見たといっていた弁当の話も納得できる。あれから出社前と帰宅後、休日の過ごし方をじっくり見ていると、洗濯や掃除もこまめにやっている様子だった。早寝早起きで家事も完璧、生活態度は模範的。見習わなきゃと思うくらい、素晴らしいね」


 そこまでいったところで顔を上げると、小早川は何かを考え込んでいるようだった。

「そうか、なるほどね……」独り言のように小早川はつぶやいた。


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