開幕
「あれっ? えっ?」
ビットは寝ている間に己の価値が向上していることに違和感を覚えた。向かいあう男の頭上に
「……一体どんな仕事だ?」
一抹の不安を覚えつつも身支度を済ませ、簡素ながら整理の行き届いた自室を後にする。ザルバニトゥ
ビットの部屋は108号室、1階の角部屋だ。玄関を出るなり市内を縦断する
北東の丘陵部に面する
最先端技術の研究所ひしめく北西の工業地帯、黒。
南西のスラムは血の色、赤。
そして南東の沿岸部が
ビットは使い古したブルーのスニーカーでアスファルトを蹴り、NSラインを南に踏み出した。しかし3歩進んだところでたちまち
「どこにいくつもり?」
その一言で女が
イーサ・バーン。
市内で確固たる信用を築く4大名家、バーン家の子女である。視界の
「やあ、おはよう。イーサ」
照準をあわせ、彼女の耳元に快活なご機嫌伺いを飛ばす。
「
はぐらかすことは許さない。僕の視界を独占する彼女の表情が無言で告げる。
「……急な、バイトが入っちゃって」
「授業へ来ないつもり?」
「私のもとへ来ないつもり?」とビットの脳内で変換される。さらには「私の誘いを断わって信用を保てられるとでも?」と加筆される。彼女の頭上には僕とは比較にならないほどの巨大な桁数が表示されている。
「授業が終わる頃に顔を見にいくよ。イーサさえ、よければ」
「18時にまた来るわ」
ふわりと緩んだ表情--バーン家の令嬢として叩き込まれた教育、施された造形、それとは異なる生来の彼女らしさ--が彼女が
「じゃあ、後で」
声を飛ばしたときにはエアカーの背は小さく、遙か先を飛んでいた。
ビットは再び南へ向けて歩み出す。昇ったばかりの陽光を銀色の髪に跳ねさせながら。ザルバニトゥが誇る奇人、ドクター・マイニングが率いる<バックスターズ・オフィス>を目指して。
「179秒の遅れだ、ビット。きみの行動パターンから
図書館を居抜きで買ったオフィス、デジタル化の煽りを受けて閉館となったその空間は、今尚、本と静寂に満ちていた。
ドクター・マイニングはコの字型に並ぶ本棚と本棚の間、己のデスクに音もなく座す。組んだ指のうえに乗る中年男の頭部は髪も眉もきれいに剃り落され、つやつやの
左右と背面に本棚が聳え、正面にはデスク。隙間はない。着席するには手前のデスクを乗り越える必要があり、それは低身長かつ極度の肥満である眼前の男には重労働としか思えないのだけれど、本人は嬉々としてその苦行をこなしていく。
「約束していたわけじゃないだろ」
「その不機嫌な応対、一言一句違わず、完璧に予想どおりだ。
ビットが荒々しい一歩を踏み出す前にマイニングは短い腕を両方持ち上げ、腹の肉を揺らして降伏の意を示す。
「怒るなって、冗談だ。しかしバーン家の
「その言い方はよせ」
「わかった。じゃあ
折り重なる脂肪の中を探り、埋もれた首を右の掌で掴み上げる。青年の細腕が100kgを越える脂肪の塊を宙に固定する。
「……ま、待てっ!? ……く、おっ、い、息が……」
ビットからしてデスクの己の側、本棚で構成された通路の側で肉塊が宙を舞う。放り出された茹で卵はバウンドするや呻きとも鳴き声ともつかぬ声を上げ、潰れた蛙のように突っ伏す。
「……ひどいやつだな、きみは」
ぜえぜえという喘ぎにマイニングの抗議じみた言葉が掠れる。
「しかし私は嘘は言っていないよ。確かに、そうだな。2週間前までは彼女は纏う殻に見合う程度には清廉潔白であったかもしれない。きみが彼女を変えるまで--」
「あんたが僕を変えるまで、だ。そうだろう、ドクター?」
再び肥満男の足が宙空を泳ぐ。
「……そ、そうとも言う、かな」
弾力のある茹で卵が再度バウンドし、再び喘ぎの間に中年男の不平が漏れる。ひとしきりの悪態の後、マイニングは首を撫でながらのそりと立ち上がった。しかし対面のビットは視線の高さを変えない。低身長の肥満男は立っているときと座しているときで頭の位置に変化がないのだ。
「……まったく相変わらずだ。しかしな、きみは私のおかげで、毎晩、あの
「ドクター、これはなんの実験だ? 次はあんたの脛椎を繋げたままにしておく自信がないんだが?」
「そう怒るなって! 冗談だよ、冗談! ともあれ調子は悪くないようだね?」
青年は右の掌を握ったり開いたりしながら、両の肩を大袈裟に竦めてみせる。それから己のこめかみのあたりを右の人差指でとんとんと叩く。
「うまく繋がってるよ」
ビットの身体は実験都市にあって尚、特別であった。かつて連邦国家との大戦時に開発された軍事用人型兵器、それを悪趣味な奇人がより人に近づけるべく日々改造を続けている。言うまでもなく、法によって禁じられた科学の粋が結集されている。
「それはよかったよ、私のサグラダ・ファミリア」
「サグラダ……なんだって?」
「やれやれ、きみはもう少し知識を蓄えるべきだな。B29の棚にある赤い背表紙の本を読むといい。とある国で100年もの工期を経て、尚、未完だという教会の名だ。未完のままにして重要文学財に認定された、というね。実在するかどうかはさておき、もはや創り続けている行為にこそに意義があるかのようだよね」
「僕は100年も生きられない。あんたも」
「どうかな?」
マイニングは目尻をゆるやかに下げたものの、瞳の奥では笑っていない。ビットは人工的に造られた背に確かに寒いものを感じた。
「ところで……」ビットが現実を拡張する。「やっぱり」そして盛大に溜息をこぼす。マイニングの頭上に表示されたトラストが己以上に数値を伸ばしていたからだ。
「昔ながらの言葉で表現すれば、<臨時収入>だ」
縦小男に悪びれる様子はみられない。まさしく横大男に相応しい、ふてぶてしい態度である。
「……っで、どんな依頼を受けたんだ?」
「人探し」
マイニングの口からおよそ信じられない言葉が発された。連邦法を模して作られた委任事件担当捜査官への依頼とは到底思われないどころか、それはこの街でもっとも縁遠い内容であったからだ。
--通称、
辺境の山界に位置するザルバニトゥは他都市との交流が極限まで規制された監獄めいた鎖国都市である。一度踏み入れば2度と出られない。けれど鎖国と呼ぶには来るものは拒まない。海を渡ってくる連邦の知識は元より、大陸全土から、はたまたそれら以外から、あらゆる最先端技術を実験場として受け入れることで繁栄し、今やガラパゴス的な社会進化を遂げている。
とりわけトランスヒューマニズムが発達し、市民は脳内へのマイクロチップの組み込み、
「……犬や猫じゃなく?」
ビットが訝るのも当然であろう。市民は、常時、ザルバニトゥに張り巡らされた<ナブチェーン>という分散型台帳技術で繋がっている。
データベースの一部、すなわち台帳情報を共通化し、各々が各々に同一情報を保有するという革新技術だ。どこか特定箇所で集中管理する従来手法とはまったく異なる前提から成ったそれは耐改竄性が極めて高く、既存の通貨概念を破壊するまでの威力を発揮した。さらにトランスヒューマニズム、とりわけナノテクノロジーとバイオテクノロジーを養分として吸収し、ナブチェーンは、現在、都市にあらたなる社会を上塗りし、あらたなる価値機構の根を張るに至っている。
--
例外なくマイクロチップという台帳を脳内に有し、中央管理者に依存せず、互いに互いのトラストを監視しているのだ。リアルタイムで。つまりナブチェーンを介し、全市民が無意識に<24時間365日>繋がっていた。
となれば個人の居場所など、造作なく特定できるはずである。市民の過半数が許容する正当な理由こそあれば。もちろん前提としては対象者が市民IDを有していること、だけれど。市内には例外的に正式IDを持たない者がいて、その大半はスラムの、つまりは真っ当でない者たちであった。
「……一筋縄ではいかない?」
「うちに依頼が来ている時点でわかっていることだろう?」
生来のマゾヒストであるのか、ドクター・マイニングは困難極める依頼の到来を喜ぶきらいがある。あえてそうした依頼しか受けていないと思える節もしばしば見られ、メンバーから冷ややかな眼差しを向けられていることは言うまでもない。それすらを喜びに感じる変態的性癖の持ち主である可能性が高く、ビットはあえて無表情に努める。
「それで?」
「探し出したうえで保護してくれ」
「……やれやれ。対象はIDを持たないスラムの殺し屋? それともDV夫が妻の居所でも探している、とか?」
「そんな依頼を引き受けたならオフィスの信用はガタ落ちだよ。途端に廃業、同時にきみたちは廃棄処分だ」
冗談のおかえしだ、とばかりにビットは肩を竦めてみせた。マイニングが手近な棚から辞書のように分厚い本を取り出し、繰りながら続ける。なんらかの宗教の教典らしい。
「最近話題の連続殺人事件については知っているね?」
「シェア率の高いクリプトトラストの開発リーダーや主要メンバーが次々に殺されている、っていうあれ?」
クリプトトラスト--ナブチェーンを用いたトークンの総称。
市内に張り巡らされたナブチェーン・ネットワークを間借りし、その上で企業や個人が独自発行するトラストとの引換券。意味するところは概ね信用の前借り。「私は後にこの街で圧倒的な信用を獲得します。その際には私を信用してくれたあなたの信用も格段にあがるでしょう。ぜひ、私を信用してください」といった調子の。
実際にクリプトトラストで巨万の信用を手にし、それを元手に革新技術による社会貢献で層倍以上の信用を勝ち得た者もいる。温度感知を実現した義手の開発者にはじまり、マイクロチップの脳中枢への埋込技術の確立者しかり、バックアップ臓器培養の成功者しかり、今では北東の丘陵地に住まう
中には健康ビジネスで大成したバーン家のように発行したクリプトトラストを用いて独自経済圏を獲得するに至った者もいる。異性の性的興奮を駆り立てる形状に肉体を整えるサービスはトラストでなく、バーン・トークンとの交換にしか対応していない。
「動機は成功者へのひがみ?」
「どうかな。しかし解せないことがある。4人も殺害されていながら未だ犯人は特定されていない。事件前後に被害者周辺でトラストが激減した者がいないのか、あるいは存在していたとしても--」
「市民の過半数の信用を集める別の高信用保有者が調査を許さないのか。 ……被害者は死んだことを理解する間もなく殺され、犯人の好感度に影響を与えることができなかった、というケースも考えられるけど?」
「後者であれば
「……未登録のエンハンサー」
「というわけで、ビット、きみたちの出番なのさ。市民権を獲得したエンハンサー、委任事件担当捜査官のね」
「捜査官はエンハンサーに限定されていないだろ。警察機関とは別で、依頼者にとって有利な結果となるよう事件の捜査を行う者のことだったはずだ」
「事件屋の大半は、実質、エンハンサーだ」
「まあ、そうだけど。それで? 高信用保有のトラスト・インフルエンサーが同様に狙われかねないから保護してくれ、って? んっ? ……まさか、それってイーサが?」
「残念ながら保護すべき証人はきみにご執心のバーン家のご令嬢
マイニングの口調からはしかし、生命保全プログラムが既に申請済みであることが知れる。保護証人とみなされた者を保護下におけば、その時点でザルバニトゥ・スクランブル法が適用される。
これは海の向こう、連邦国家のマルドゥック市から輸入し、改良した緊急法令である。人命保護のために特A級の科学技術の使用が限定的に解禁される、というもの。尚、本家本元のそれ同様、危険認定レベルの科学技術を己が身に宿す者は、常に自身の有用性を証明し、継続的に社会貢献することが義務づけられている。危険因子と見なされれば--つまりトラストが一定以下に落ちれば--即刻廃棄処分である。
「それで? そろそろ保護対象の名前を教えてもらえないかな、ドクター・マイニング? 個人的には同年代の美人であると嬉しいんだけど」
「そうした依頼は避けるべきだな、きみの場合は。どこぞの子女が嗅ぎつけ、捜査に乱入してくるかもしれない。3Pがお好きなら止めはしないがね?」
マイニングの瞳がまったく笑っていない。なるほど、あながちありえなくもない。ビットは再び己の背に冷たいものを感じた。
「そもそも今回の保護対象者は性別・年齢ともに不明でね。特定の個人なのか、あるいは団体なのかもわからないんだ」
「おいおい、依頼主は身元を隠してから生命保全プログラムを申請してきたっていうのか?」
「いや、申請者と保護対象が別なだけだよ。申請者は--ガウディ。ゾルタン・ガウディ」
「ガウディ? あの
ビットは目を剥いた。市内で知らぬ者はいない。それほどの有力者だ。銀行を終わらせた男あるいは
「それで……保護対象者の名前は?」
「--サトシ」
開いた口が塞がらなかった。それが誰を、なにを指すのか、市民であれば誰しも知っている。
サトシ--ザルバニトゥを根底から覆した
「冗談だろ?」
「っと、思うかい?」
マイニングの瞳は一切笑っていなかった。ビットは造り物の身体で、ごくりと唾を飲み込んだ。
「私も半信半疑でね。少しばかり
「競争やめて共創しよう--じゃなかったっけ?」
数年前にガウディが掲げた謳い文句である。しかしこれでは<どこがサトシを見つけられるか?>の競い合いに他ならない。
「それにしても、よりによって……」
サトシは15年前、ナブチェーンの構築理論を唐突に暗号学会に送りつけ、最初のクリプトトラスト--今ではザルバニトゥの基軸通貨たるナブ・トークン--のソフトウェアを開発した者だ。彼--彼らもしくは彼女かもしれないけれど--はソースコードをすべて
「これまでに多くの人が特定を試み、それでも正体に辿り着けていないんだろ? 既に死んでいるかもしれないし、保護できる確証はなさそうだ」
「だね。しかし有力情報が出た、という噂もある」
「今になって? タイミングが良すぎないか?」
「わかっているよ。何らかの罠かもしれない。っで、あれどだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、さ」
「コケツニ……? なんだって?」
「ビット、やはりきみはもう少し情報を蓄えたほうが良いね。せっかく残った脳なんだから」
マイニングがこれ見よがしに丸い頭のこめかみを指先で叩いてみせる。
「……どうせ、遠海の島国の格言とかなんとか、そんなとこだろ?」
「ご明察」
「っで、本気でサトシを探すのか? それとも--」
探すふりをして前払分だけ頂戴する。そんな悪巧みもないわけではない。相手がサトシとなれば、見つけられる保証は限りなく低いのだから。
「ノー、別だ。最後まで話を聞きたまえ、生き急ぐ若者よ」
マイニングが大袈裟なほど鷹揚な物言いをする。どちらの選択もしない。人差指を左右に振る所作でそれを伝えてくる。
「対象はサトシだけではないんだよ。他に2名、あわせて3名の申請が深夜2時にガウディから提出されている。きみにも申請受理の可否選択の依頼がいっているはずなんだがね?」
「いちいち自己判断なんてしていられない。日々何万もの選択が飛びかっているってのにオートチョイスを無効にしてる変人はドクターくらいのものだ」
「責任感溢れる善良な市民と言ってもらいたいね」
分散社会では大半の事象を市民投票で決着する。端的にいえば多数決だ。万引きの有罪無罪から死刑執行の有無、果ては個人情報開示請求の可否など、大小様々およそすべての行為を市民各々の判断の積み上げで判定していく。それらの選択すべてを
「きみの投票結果がどうあれ、ともかく既に市民の7割以上の賛同を得て生命保全プログラムが適用されている」
「サトシ……ヴィタリーにジュリアン?」
ビットはマイクロチップに干渉し、自動選択された己のチョイスを確認するとともに申請が出ている他の2名を確認した。ヴィタリーとジュリアン。それぞれ発行したクリプトトラストの需要は絶大で第2、第3の基軸通貨と呼ばれるまでのシェアを獲得している。特にヴィタリーは信奉者らによって彼を崇める新興宗教まで起こっているくらいのトラスト・インフルエンサーだ。2人は顔の見えないサトシを除けば、分散社会の最大の象徴と言える。
「バックスターズ・オフィスとしては、まずはジュリアンの保護にかかる。私は紳士だからね」
「……ジュリアン・ペイ、ね」
視界の左下にドクターより転送されてきた女の顔が表示される。褐色の肌に分厚い唇が健康的な、天才科学者というよりスポーツ選手といった雰囲気だ。29歳、168cm、公開された関連情報も周囲に表示されている。
「彼女は身の危険を感じ、数日前から姿を隠したようだ」
ジュリアンが開発したペイ・サービスは無数に溢れるトークンの両替を瞬時に可能とするもので、かつてのクレジットカードと似た役割を務める。そのうえペイ・トークンの保有者へは保有量に応じて両替手数料の一部が還元されるとあって、今ではおよそすべての市民が無意識にサービス利用している。れっきとした市内インフラの1つと言えよう。
「さあ、仕事だ。いってらっしゃい、
「やれやれ……」
いつものように父親めかしたマイニングの抱擁になされるがまま、ビットは小さくかぶりを振った。
「よう。
「いや、ドクターならなんやかんや理由をつけて必ず難癖つけてくるもので……」
「はっ、はっ、はっ! ビット、あの変人の言うことは半分は聞き流しておけ」
赤いスラム街の入口に構える旧人体実験施設跡の1つ、屋根の崩壊したその建物の裏で豪放磊落を地でいく男と待ち合わせていた。この筋肉の塊にはイーロン・ホスプという名がつけられている。マイニングの古馴染みの刑事だ。
いくら分散化が進んだとはいえ、警察機構など、従来組織の一部は未だザルバニトゥにカタチを残している。裁判官は不要となっても実際に犯罪者を逮捕する役割は必要だし、市民が選択を下すのに必要な情報を収集する者も要る。なにより市民投票を行うには選択肢を構築する役割が必須で、それを担うのが彼らである。
トラストを見る限り眼前のイーロンは人望厚く、警察官としては優秀であるらしい。しかし対面するビットの頭の中には巨大な溜息がこぼれている。
「今回の件、警察も?」
「まあな。こっちにも保護要求が来てる。
言葉に含みがあった。どうやら意外にも既に
「頭を吹き飛ばされないでくださいね。貴重な情報源だから」
「あんっ? ビット、お前、何を言って--」
喋り終わる前にイーロンの太い腕を引き、パトカーの後部座席へ押し込める。防弾防刃、外にいるより安全である。間一髪、ドアを締めた瞬間に銃弾の雨が横殴りに降り注いだ。ビットは車の反対側へ飛び退き、車体を傘にして雨が止むのを待つ。
「おい、どういうことだ!? おい!」
「気づいてなかったんですか? 刑事が連れてきたお客さんなのに?」
分厚いドアで掠められた声に呆れ混じりの指向性音声を投げ返す。車体の反対側面に当たって弾かれた銃弾が弧を描き、ビットのうえにバラバラと降ってくる。
「つけられてたってのか!?」
「この様子、味方じゃあないようですけど」
「敵に決まってるだろうが!」
「まあ、十中八九そうで--」
言いかけたところで車体から背を離し、ビットは横っ飛びした。右肩すれすれを銃弾が飛んでいく。射撃手の位置からパトカーの影ならば安全であろうと踏んでいたのだけれど、そうでもないらしい。直前に視界の端で捉えていた。銃弾に撃たれて向きを変え、障害物を回り込んで己を狙ってくる凶弾を。
「これじゃゆっくり雨宿りもできない」
すぐさま跳ね起き、ビットは駆けながらイーロンに声を飛ばす。
「頭を下げて、そこを絶対に動かないで!」
弾丸の雨あられ。間断なく炸裂する射撃音に鼓膜が悲鳴をあげる。あきらかにエンハンスメント技術を用いている。跳ねた弾丸の1つがビットの頬を裂き、オペ室の跡らしきフロアの床に新しい赤い染みを作る。ビットはすぐさま脳内で信号を送り、応援を要請した。
「のっけからこれか。まったく先が思いやられるよ--」
こうして幕を開けたのだ。エンハンサーひしめく、トラスト・インフルエンサー争奪戦が。
ザルバニトゥ・カレンシー nobuyuki.tanakas.eth @noDta
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