第3章
第33話 炎の熱と敗北の記憶
「ふむ、魔王様に逆らう愚か者が居ようとは……」
「単独であるのならばそう恐ろしいものではないけれど、あまり放置しておく事も出来ないわね」
「うむ、あれはどこまでも力を蓄えていく類の存在だ。手を打つのであれば早いに越したことはないが……」
「物見の知らせでは、人間達以外の種族も集まる『共和国』と呼ばれる国に向かったとの事ですねぇ」
「それは面倒ね。ただでさえ見わけも付きにくいというのに、そんな場所に紛れ込まれたら探すのも一苦労だわ」
「魔術の物見ではそれ以上は見通せぬと報告がありましたよ。あまりに種族が入り乱れていて、細かくは見えないと事で……無理は言えませんが、悩ましいところです」
「……ううむ、そうなると誰かを派遣せねばならんが、対象の力量がわからん事には選抜もしにくいな」
「弱々しい存在ではあれど、少し目を離せば予想できぬほどに力をつけているものであると伝承にもありますもの、油断は出来ないわ」
「ふむ……」
「ぬぅ……」
「んー……」
「皆で行っちゃえばいいじゃん?」
「簡単に言うわね。軍団なんて動かしたら、対象を見つける前に共和国丸ごと相手取って戦うことにー……」
「いや、そうじゃなくて! アタシ達が行けば良いじゃん、4人でさ。パーッと行って、プチっと殺して、パーっと戻ればそんな時間もかからないでしょ?」
「私達4人がって、あなたねぇ……」
「いや、面白い考えかもしれませんよ。適当な者が選べないのであれば、我々という最高戦力少数精鋭で潜入して、目的だけ達成すれば良い」
「遠方で探り探り、失敗するたびに逐次投入……そんな下策を張らないで済む、と。確かに、あれは戦えば戦うほどにその力を大きくしていく存在だ、育つ前に潰すのも手か」
「でしょ?」
「確かに、魔王様のお言葉では、これから一月はアレの休眠期に入るとの事だから、軍を動かす必要も無い期間だけれど……」
「ね、ね! だからほら、パッパと終わらせちゃおうよ、そして、また皆でアレと戦う準備をしようよ! そうすればえっとほらあのー……こうこうのウェーイ?無くなるでしょ?」
「後顧の憂い、だよ。よく知ってるね」
「うへへ……そうそう、それがなくなるわけだし! ね?」
「……ふむ、しばらく戦で陣詰めであったしな、たまには自分達で動くのも良かろう」
「ボクも人の里は久しぶりですねぇ、土産は何にするかな」
「貴様は人間の生まれだったな、人の作る酒は魔物の作る酒よりも柔らかい味が多い、良い酒を教えてくれ」
「喜んで。でも酒代はご自分で出して下さいよ?軍資金は等分なんですから」
「二人とも! 遊びに行くんじゃないんだよ!」
「そうよ、魔王様に逆らう者を排除するという大事な使命なのよ」
「そうそう、だからお酒はやめてお菓子にしよう! アタシお酒飲めないし!」
「おうおう、それは確かだな。ならばワシが何か買ってやろうか」
「間食が過ぎて夕食が口に入らぬというようなことがないように、ボクが監督しなきゃあいけないなぁ……」
「……まともなのは私だけなのかしら……」
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僕の視界は赤に染まっていた。
燃え上がる街、黒焦げた死体の山。遠くで悲鳴が聞こえるけれど、僕はそれを助けに行けなかった。そうするには僕の身体は傷つきすぎていたし、エディもズダボロで、僕の癒しの力を途切れさせたら傷が開いてこの場で死んでしまうだろう。
僕とエディの前には3人分の人影。炎を背にしたそれは、それぞれが僕達を見つめているけれど、そのどれもがまるで温かさを感じさせない色をしていた。見上げるような……ゴブリンキングよりも筋骨隆々の男が丸太よりも太い腕を組んでつまらなそうに息を吐く。
「これが勇者だと? 馬鹿馬鹿しい、弱すぎる。まるで鍛錬が足りておらんじゃあないか。人間の希望とはこれほどにか弱いものなのか」
「なん……だと……っ」
「エディ、駄目だ! 動いたら傷がまた開いて……」
刃こぼれだらけの剣を地面に突き立てて立とうとしたエディを、僕がしがみついて抑える。それを見た炎よりも赤い鎧を纏った男が笑う。仮面の奥の目は笑うどころか、どこまでも冷たく鋭い。
「手弱女に庇われてようやっと息を繋ぐのが精一杯。いやぁ、情けないですねぇ。死ぬことと見つけたりとは言うが、死ぬ気で立とうとボク達に敵う事は無い。犬死というわけです。くはは」
「魔王様の崇高な目的を邪魔しようだなんて不敬者は、ここで潰しておこうかしら。魔法を使うのも面倒だけれど」
身体の線が出るナイトドレスのような服装の女の人が、長い指を頬に当ててため息をつくのを僕は見つめることしかできない。せめて、エディだけでも逃がさなきゃいけない。僕はあくまでエディの補佐だ。エディを生かすためならどんな魔法でも、一度だけは防いで見せる。
「……エディ、脚、動くよね。重点的に治したから……」
僕は小声でエディに言う。女の人が僕達に掌を向けるのを見て、エディの前に両手を広げる。仁王立ちなんてしてみたかったけど、もう僕も膝が立たない。
「リ、オ……お前、なんで俺の前にいるんだよ……、ぐっ……お前は、俺の後ろに、隠れてろ……ッ」
「ねぇエディ、一度だけ。一度だけ僕が時間を作る。すぐ後ろの路地に入って、炎の中に飛び込んで。確か、その向こうは水路だからそのまま駆け抜けて飛び込めば、きっと大丈夫だから」
「は……? ……お、おい、リオ、お前何を言って……」
「水路を下れば下水に落ちる引き込み口があった。そこまでは流石に追って来れないはずだよ。大丈夫、エディは僕より泳ぎがうまいんだから」
魔法使いの手のひらに震えがくるほど濃密な魔力が練り上げられていくのが判る。僕なんかがどれだけ頑張っても一瞬で蒸発してしまうだろう。でも、それでもいい、一瞬でもいい、逃げる時間を作れば。
「エディ、仇は討ってね。……僕がいなくても、大丈夫。エディは強いもの。最強の勇者に、きっとなってね」
「リオ、やめろ。……やめろ!」
エディが僕の腕をつかむ。けど、僕はそれを強く振り払って、両手を魔法使いに向ける。絞り出した魔力がうっすらと僕の前に光を集める。それを見た魔法使いは、まるで憐れむように眉を挙げて魔力を魔方陣に変えて僕達に向けた。炎に囲まれてなお明るい青い光が魔方陣から溢れ出し、それが臨界に達して放たれようとした時だった。
「撤収てっしゅーう!! 皆集合ぉー!! 帰るよー!!」
場違いなほどに明るい女の子の声。魔法使いが上を見上げる。隙だらけだ。だけれど僕達は身じろぎ一つできなかった。それほどに、魔法陣の魔力は圧倒的な威圧感をもってそこに浮かんでいた。
少しの沈黙の後、先に巨漢が歩き出し、それに続いて鎧の男が背を向けて炎に揺れる街に向かい始める。それを見て魔法使いは細い肩をすくめて魔法陣を消して2人を追って小走りに駆け出した。僕とエディはぽかんとしてそれを見送る。我に返ったのはエディだった。僕が癒した脚で3人を追おうと駆け出すけど、すぐに足を瓦礫に取られて転ぶ。
「おい! おい、待てっ!! こ、ここまでしておいて、殺さずに行くのか!! そこまで俺はッ、俺達は取るに足らねえってか!? おいっ! 答えろォ!!!」
血を吐くような声で叫んだエディに3人が振り返る。額に角を持った緑肌の巨漢。深紅の鎧の戦士。黒い肌に長い耳の魔法使い。天を焦がすほどの強い炎の光の中に浮かんだその姿を、僕の目に焼き付く。
「悔しければ、強くなってワシらを倒して見せろ。勇者とやらよ」
「拾った命は大事に使うものですよ。ボク達は君達に特別な時間を割く暇は無い。それ以上に大事なことがある。……これにて御免」
「人間を滅ぼすなど手順の一つ。その邪魔をするのであれば容赦はしないわ……世界の隅に逃れて、静かに暮らしなさい。大業の邪魔はさせないわ」
そして、僕達が見送る中で炎の中にゆっくりと消えていく3つの影。地面を這いずりながらエディがそれに追いすがろうとするけど、僕は遅れて我に返って、エディを引きずるようにしてその場を後にする。呪う言葉を喉が裂けるほどに喚きながら、エディは泣いていた。僕は悔しくて、逃げるしか出来ない自分が情けなくて泣いていた。
「絶対に……ッ、絶対に手前等を殺してやる!! 魔王もだ、絶対に、どれだけかかってもどこにいても、殺してやるからなぁあああああああ……ッ!!!」
そのエディの絶叫が、僕の耳の奥にまで響いて、刻まれた。
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「……ん」
ノックの音がする。僕の意識は急速に浮上する。目を開けると、カーテンの隙間からさし入る太陽の光は中天に上っている。青い空はどこまでも抜けるようだ。表通りからは賑やかな人の声も聞こえてくる。
「久しぶりにあの夢……」
何度も見た夢。やり直しの前から、何度も繰り返し見た夢だ。魔王軍の四天王と初めて出くわした時の記憶。歯が立たず何も出来ずに殺されそうになった時の記憶。頬を焼く炎の熱気がまだ残ってるような気がして、僕は寝ぼけた顔を両手でこする。頬が濡れていた。
ノックの音がしている。エディが起こしに来たんだろうか。ここはどこだ、僕は死にかけてたんじゃないのか?と、鮮烈な夜の記憶が払いきれない僕が悩んでいると、扉のむこうから声がした。
「おい、ねぼすけリオ! 共和国の初日だから、休んだら街を見て回るって約束だろ! 特別に特産料理をレイナートさんが奢ってくれるってさ、国費で。 早く食い行こうぜ、俺腹減っちまったよォ」
「陛下からは旅費を賜っているからね、それ位は許されているが……国費でと改めて言われると、何か悪いことをしている気持になるな」
エディの元気な声と、呆れたようなレイナートさんの声。ノックの音がしている。段々と鮮明になる意識の中で、僕はなんであの夢を見たのかを思い出す。寝る前に考え込んでいた気がかりだ。
「……やり直し前とほぼほぼ同じ日程で来ているんだよね、ここまで。……そういう運命なのかな……でも、つまりそれって、四天王がこの街に?」
その事を考えて、着替えながらベッドに転がったところで、旅の疲れが出たのかすとんと眠ってしまった。そのせいで久しぶりにあの夢を見たのだろう。僕は頬を拭ってノックが続いてる扉に向かう。
「やり直し前と色んな事が変わっているけど、大筋の流れは変わっていないなら……この国は、また襲われる?でもじゃあ、いつ……」
僕はその考えに沈み込みながら扉の鍵を開けた。それがいけなかった。扉が開いて満面の笑みのエディが顔を出す。
「おう、やっと起きたか! ほれ、さっさと飯にー……」
まずエディが止まった。そのあと、レイナートさんがひょっこり顔を覗かせる。
「リオ殿、この辺りは大河が通ってるので川魚が美味ー……」
レイナートさんも止まった。そこで僕はやっと気づいた。そう、着替えながらベッドに転がったところで、眠りに落ちてしまった僕の、今の格好の事。
2人に遅れてロイドが顔を覗かせて目を丸くする。それから固まってる2人をそっと押しやってから扉を閉めてくれた。
僕は、そこでやっと安心して下着姿の自分の胸を両手で隠して息を吸い込んだ。
共和国の初日は、悲鳴とともに始まった。
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