第16話 変わっていく世界

 レイナートさんが片手で手綱を握り、馬の横腹を蹴る。馬が棹立ちになりかけるけど、僕が盾と体重の重みを前にかけ、レイナートさんが鐙を踏みしめて堪えれば、馬はすぐ大人しくなる。僕の後ろでレイナートさんが掛け声一つ、馬が駆け出して馬車の影を飛び出した。

 盗賊の一人が短弓を構えて僕達に狙いを定めるけど、僕達の上をロイドの矢が飛びその盗賊の足元に突き立ち邪魔をする。その間に馬脚は加速して、盗賊達に突撃する。


 もう一筋の矢が先頭を駆ける僕達に放たれるけど、両腕に力を込めて僕が盾を構えれば、軽い音と共に矢が折れ弾かれる。レイナートさんは馬脚を緩めなかった。真っ直ぐ真っ直ぐさらに加速させる。見上げたレイナートさんの目は、馬が駆ける先、盗賊たちしか見ていなかった。

 僕を信じると言った言葉は嘘じゃなく、僕が防ぐ事を疑う事無く手綱を繰る騎士の姿。……そうだ、やり直し前の世界でもそうだった、この人の剣は真っ直ぐで躊躇いが無い。


「リオ殿は左を」


「はい!」


 声に応えて僕は構える。通り過ぎ様にレイナートさんが剣を振えば慌てて盗賊が飛びのく。左を見た僕の視界に、馬を傷つけようと剣を振るう髭面の男がいるけれど、振り下ろされた剣を盾で弾き返す。金属と金属が打ち合う耳障りな音がすぐに後ろに流れていく。

 手に通る痺れに涙目になりながら僕が振り返ると、弾かれた衝撃で転ぶ髭面が見える。それに飛び掛かるエディ、ロイドが遅れて飛びのいた盗賊に切りかかっている。


「よし、よく耐えた……リオ殿、手綱を頼む」


「た、盾を持ったままじゃ難しいかも知れませんよ?!」


 左手に握っていた手綱を僕の前に差し出すレイナートさんに驚き、片手でそれを握る。片手では盾の重みを支え切れずに僕が傾けば、馬もそれにつられて左に曲がってしまう。しかし、レイナートさんは振り返って盗賊たちの様子を見ながら言葉を返す。


「元より、接敵までの間の防御になれば良いものさ、捨ててくれて良い」


「でも……」


「本当は、もう暫くそれに頼るつもりだったが、中々どうして、私の予想以上にあの二人はやる。もう追いついて二人を押さえてくれてるから、私達はあと一人をやれば良いのさ」


「馬に乗った、残りの一人……槍を持ってますけど」


 躊躇ったけど、レイナートさんの言葉に従って盾を捨てる。軽くなった手で手綱を繰って馬を戦場に向ければ、戦う四人を背にして僕達に向かってくる馬上の盗賊。握っているのは短槍だ、リーチは向こうが上だけれど、レイナートさんは僕の肩を叩いて笑った。


「今度はリオ殿が私を信じる番だ。特等席で見ていると良い……さあ、前へ!ただ前へ!」


「はっ、はい!!」


 踵で馬の横腹を擦る。数歩歩かせてから蹴り、軽脚で駆けさせる。迫る盗賊が雄叫びを上げて槍を水平に構えるのが見える。勢いはあちらの方が上だ、真正面から撃ち合えば勝機は薄い、ましてやレイナートさんの腕の中には邪魔になる僕が居る。

 思わずぶるっと僕は身を震わせるけど、それでも、僕は頼まれた通りに真っ直ぐ馬を進める。まるで罪滅ぼしのようだな、なんて頭の中で思ったけど、口にするよりも先に、槍が真っ直ぐ振るわれた。狙いは、僕だ!


「っ!」


 息をつめて、それでも僕は手綱を引かなかった。馬の勢いと盗賊の腕力で加速した槍が真っ直ぐ僕の顔に向かって突き込まれるのが、やけにゆっくりと見える。そんな僕の視界の外から、レイナートさんが振るった剣が見えた。


 盗賊が振るった槍の穂先に合わせるようにその剣は置かれ、僅かにその突き込みそらす。槍の柄に滑る剣の刀身が、まるで蔦が木に絡む様に捻られて槍を真上に跳ね上げる。そこで、僕の視界に速度が戻った。


「うおおおっ!!」


 レイナートさんの気合の声。跳ね上げられた盗賊の槍を見上げた僕の目の前で、レイナートさんの重い長剣がまるで燕のように翻る。たん、と濡れた綱を切るような音が僕達の隣を通り過ぎる。何が起こったか分からずに僕が瞬きをしてから振り返ると、僕達の後ろに走り抜けた馬の上から、首の無い身体が地面に投げ出されているのが見えた。

 跳ね上げからの返し刃で、盗賊の首を刎ねたのだ。一緒の馬に乗っている僕がほとんど揺れを感じないほど滑らかで柔らかい剣だ。……強い、と思った。


「凄い……」


「リオ殿も、良く馬を逸らさなかった。お蔭でやり易かった、有難う」


 思わず零れた僕の声に、軽くレイナートさんが笑う声。レイナートさんが手綱をとれば、馬の脚がそのまま止まらずに加速する。エディ達と闘っている盗賊はそれを見て慌てて逃げようとするけど、エディもロイドも、それを逃がすほど弱くない。


 盗賊が振るった剣を横から思いっきり剣で弾いたエディは、そのまま相手の胴に蹴りを見舞う。エディはそのまま蹴り足で大きく踏み込み、よろけた盗賊を袈裟に切り落とす。

 ロイドは、背を向けた盗賊を追わず、冷静に狙いを定めてナイフを投げる。まるで曲芸の的当てのように、ナイフの切っ先が盗賊の首元に吸い込まれた。数歩駆けて崩れ落ちた盗賊は、もう動かなかった。


「エディ、ロイド、怪我は無い?」


「あれっ位の奴に怪我を負ってたら、師匠に怒鳴られちまうさ」


「……俺は大丈夫だ。エディは肩を軽く切られていたようだが」


「エディい?……見せて、今見せて、早く見せて」


「ろ、ロイド手前!?裏切ったな!?」


 倒れた盗賊の服で剣の血を拭っていたエディが慌てるのを、僕が馬上から睨む。食って掛かられても涼しい顔で肩を竦めるロイド。そして、そんな様子を眺めて思わずというように声を上げて笑ったのはレイナートさんだ。僕達はそれを見上げる。

 レイナートさんは穏やかな表情で僕達を見回して頷いてから、馬から降りる。そして、拳を胸に当てて、絵本に出てくる騎士の様に仰々しく、そして大真面目な顔で僕達の前で片膝をついた。


「エディ殿、ロイド殿、そしてリオ殿。この度のご助力に感謝する。貴方達の力が無ければ、そう待たぬうちに馬車は壊され、ミアお嬢様も私も殺されてしまっていただろう

 ……今この場で恩を返す事は出来ないが、騎士レイナート・ヴォンドルフの名を覚えておいて頂きたい。王国で何か困った事があれば、私が必ず力になろう」


「レイナートは王国でも指折りの騎士なんですの。若くして王国の騎士団の一つで団長を務めるほどなのよ。勇猛さは見ての通り、折り紙付きですわ」


「ミアお嬢様」


 馬車の方から歩いて来るお嬢様の姿。片膝の姿勢を崩さずに見上げるレイナートさん。


「そして私はミアンディール・ロズホック。王国宰相であるバラエス・ロズホックの長子ですわ。私からもお礼を言わせてください、皆さまのお力添えと女神様のお導きに」


 祈りの仕草を見れば、僕も慌てて馬から飛び降りてお祈りの仕草で返す。宰相の娘さんとなると、村の子供でしかない僕達からすれば雲の上の貴族様だ。僕は膝をつこうとしたけど、お嬢様とレイナートさんが揃ってそれを制した。急に居心地が悪くなったように僕とロイドが視線を合わせるけど……。


「世界を救おうって勇者が、目の前の困ってる人達を助けないなんて選択肢は最初からないさ!助かってくれて良かった、嬉しいぜ!なあ、二人とも!」


 エディが明るく笑って、僕達の背中を叩いた。格好つける訳でもなく真っ直ぐな目でそんな事を言うのだ、エディは。思わず僕とロイドは笑ってしまえば、それにつられてレイナートさんとお嬢様も笑った。



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 エディの傷を癒してから、一人だけ息があった盗賊の傷も癒す。お嬢様は戦闘に慣れていないのに、血にまみれた草原を歩いて、自分を襲った盗賊たちの屍にお祈りを捧げている。エディとロイドは置いてけぼりにした馬車を呼びに行ってくれた。


 僕は、盗賊を縛っているレイナートさんを眺めながらさっき間近で見た剣技を思い出す。やり直し前の僕達は、確かにレイナートさんを殺した。でも、その時のレイナートさんは今とは違い、やせ細った病人のような顔色だったことを思い出す。

 それであるのにすさまじい剣技であったけど、あれでも衰えていたのだと今初めて知った。やり直し前の今日は確か、僕達は徒歩で王都に向かっていた頃だろう。お嬢様が襲われている事件を知らない。


 きっと、レイナートさんはこの事件でお嬢様を守れずに一人生き延びて、地位を失ったのではないだろうかと思う。……なんで僕達と敵対したのかは、もう覚えていなかった。


「また、これで世界が変わった……僕の知っている世界とは違う道を歩き始めてる……このまま王都に行ったら、何が起こるんだろう」


「王都に向かっているのかね、それは奇遇だ」


「ふぉっ!? れ、れれれ、レイナートさん!?」


 僕の前にレイナートさんが立っていた。我に返って僕は飛び上がるように立ち上がる。そんな僕を面白そうに眺めて目を細めてから、レイナートさんは僕の肩を叩く。


「ならば、迷惑をかけついでにお願いをしたい事がある。私達も同行させてもらっても良いだろうか。馬も手に入った、君達の馬車の邪魔にはならないつもりだ

 ……出来れば、ミアお嬢様は馬車に乗せて貰いたいとは思うが、無理にとは言わない」


「そ、それは全然問題ない!と、思います!……元々、実はその、王様にお会いしに行くのであの馬車も王様のお金で雇ったものですから」


「拝謁を?」


 驚いた顔をしたレイナートさんに、僕達の旅立ちの理由をかいつまんで話す。最初は御伽噺を聞くような訝しげな顔をしていたけれど、近づいてきた馬車の幌に入った焼き印を見れば、少なくとも王族御用達の馬車であることは信じて貰えたようだ。


「にわかには信じがたいが……しかし、他ならぬリオ殿の言葉だ。騎士の言葉に二言は無い、あなたを信じよう。リオ殿、改めて頼む、私達を同行させてくれないか」


「お、なんだレイナートさん、着いて来てくれるのか?そりゃあ百人力だぜ!お嬢様、俺とレイナートさんが馬に乗るから、馬車にどうぞだ」


「宜しいんですの?」


「……リオの隣なら、お嬢様も安心するだろう。俺は御者台に座らせてもらおう」


「え、ええっ、僕も一緒に馬車に!?」


「あら、私じゃあ御不満かしら?リオ様」


「いやあの、そう言う訳じゃないけど、僕その、田舎の村人だから、貴族様のお隣なんてそんな勿体無い……」


「私じゃ、御不満、かしら?」


 意外と圧が強い。これが貴族のプレッシャーなのだろうか。やり直し前にも経験しなかったタイプの重圧に結局僕は折れて、一緒に馬車に乗る事になった。好奇心旺盛なお嬢様のお話相手に僕が目を回す中、王都に着いたのは二日後の昼前だった。

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