第7話 三人ならばできる事
「リオ!準備は出来てるな!」
「エディ!早かったね、勿論できてるよ! ……エディ、その鎧って」
「おう、もしかすると狼位とは出くわすかもしれないからな。自分で作ったんだけど中々だろ?」
とんとんと自分のちょっと不格好な胸当てを叩いて見せるエディ。腰には素振りに使ってた剣を下げている。二人に汲んでおいた水を一杯呑ませて、僕も斧を肩に置いて頷く。
「……リオ、その斧は……お前も戦うのか? いや、というよりも……」
「闘えるのか、って? ロイド、こう見えて僕はー……」
言おうと思ったけど言葉を飲み込む。僕の頭の中は魔王の城までたどり着けるだけの経験を積んだ冒険者のものだ。だけど、今の僕の身体は細くててんで情けなく、斧は重くて肩に食い込むし、二人で旅をしてた時のような動きは見込めないだろう。だから、咳払いをして言いなおす。
「薪割は爺ちゃんに褒められるんだ。それに、自分の身位は守れる武器を持っておかないとね。だから大丈夫、行こう」
「ロイド、こいつは言い出したら聞かないんだよ。昔は、と言うよりも一カ月くらい前まではろくに自分の言いたい事も言えなかったのにな」
「……俺が逢った時にはもうこんな感じだったから、大人しく見えて強引な奴だって印象だけどな」
何とも言えない目で僕を見て評論を始める二人。そんな二人の視線から逃げるようにして、行くよ!と声を上げて僕は歩きだす。
自分の評価を目の前で話し合われる気まずさは勿論あったけど、この二人に何も話していない僕がなんだか酷く卑怯なヤツに思えてしまったのだ。そんな僕を追って駆け出す二人。僕が一番小さいので歩幅の関係から、すぐに僕が後ろから追っかける形となったのだけれど。
ロイドの住む家のある森。ロイドの家を通り過ぎて少し進めばそこはもう、ほとんど人の手が入っていない古い森だ。ロイドは慣れた様子で獣道を見つけて進むけど、真っ暗でほとんど何も見えない状況では僕はエディの腕を掴んで進むので精いっぱいだった。
折れた枝や踏みしめた緑の匂いが胸の中に充満する。春先の温かい空気がじめじめと肌にまとわりついて汗に変わる。顎に伝った汗を腕で拭って、先に立つ二人の背中を見る。
現実ではこんな風に並んで歩く事が無かっただろう二人。カンテラを掲げてエリーゼちゃんの名前を呼ぶエディ。その隣でロイドが耳を澄ませて闇の向こうを見つめる。良いコンビだな、なんて思って僕も負けてられないという気持ちが湧く。
ロイドが何かエディに言って足を止める。その背を追って強く踏み出した僕の足が何かに引っかかって、思いっきり転んだ。すわ敵かと慌てて振り返った二人が、起き上がろうとしてる僕を見て呆れた顔をした。負けん気を出す前に体を鍛えよう、と思いながら立ち上がった……その足が引っかかった物に気付いて、僕はギクリと肩を震わせた。
「エディ、ロイド。僕の足元のこれ……」
それは、人の腕だった。カンテラを掲げたエディがその腕を伝うように灯りを動かし、その持ち主を見つけて思いっきり顔をそむける。カンテラの光が地面に落ちて、エディが戻す声。……初めて見た人の死体だろう。僕も旅の記憶が無ければ卒倒していたかもしれない。砕かれた頭、切り刻まれた腕や身体。
「……血の匂いがすると思ったが、これが臭いの元だ。刃物と、固いもので頭を砕かれてる」
「ロイド、お前よくそんな凄いの見て平気だな……。リオもだけど……俺は辺り警戒してるから、調べちまってくれよ。」
口を押えながら息を整えてるエディが、カンテラの光の中の様子から目を逸らしたまま声をかける。僕は手袋を外してその死体に手を触れる。まだ暖かい気がした。立ち上がれば、自分の服に血がついてしまっているのが分かった。草に散った血が渇いていない証拠だろう。それを二人に伝える。
平気な顔でそんな事を言った僕に冷静に見えたロイドも青い顔で目を見開いた。その目は少し奇妙な物を見るようなものだったから、僕は慌てて言葉を続ける。
「ロイド、この辺りに洞窟とかは無いの? この人はきっとゴブリンに殺されてる。盗賊がこの辺りに出たって聞いたことは無いし、こんな力任せでぐちゃぐちゃな戦い方は人間はしないよ。
それに荷物も持っていかれてないもの。近くに、ゴブリンが居ると思う」
「ある。……ここから西に少し行ったところに崖があって、そこには洞穴があったはずだ」
「じゃあ、まずそこに行ってみようぜ。森をうろつくよりも辺りがついた方がずっと良い。……エリーゼも心配だしな」
エディが唾を吐き捨てながら言う。僕もロイドも異論無く頷いた。僕は羽織っていた外套をその死体……男の人に掛けて隠した。商人か何かだったのだろうか、その顔は、地面に伏せられていて見えなかったけど、僕が蹴飛ばしても動かなかったその腕は、強く強く土を掴んだままだった。
「そうだね、もう、この人みたいな無念を増やしちゃいけない。行こう、二人とも。ロイド、案内お願い」
先導するロイドについて歩いて十数分。見上げるような高さの崖が月明かりに伸びあがっているのが、木々の隙間から見えた。エディがカンテラをそちらに向けようとした所で、ロイドがそれを手で制す。明りを消せ、と低く囁くのを聞いて僕達は気づいた。
微かだけど何かの声。意味は分からないけど耳障りなその声を聴いて、僕は全身の毛が逆立つような不快感を覚えた。その声の主は、明かりを消した僕達の目が月明かりに慣れた所で現れた。
「大当たりだ、ロイド」
エディが唸る。二匹のゴブリンが洞窟から現れてきょろきょろと辺りを見回している。森の中に隠れている僕達は気付かれていないようで、そのままゴブリン達が何かを話して、洞窟の奥にぎゃあぎゃあと声を投げかける。襲うか?と小声で尋ねたエディの腕を僕は軽く引っ張って制止する。
僕の耳には、その洞窟の奥から聞こえて来た声を捕らえていた。咄嗟にロイドの腕も掴んだ。次の瞬間、ロイドが飛び出しそうになったからその僕の行動は正しかったと言える。月明かりの洞窟の入り口、ゴブリンに抱えられている少女の姿。
「二人とも待って! ……まだだ。まだ飛び出しちゃダメだ」
二人の腕をしっかりつかんで僕は小声で二人に言い聞かせる。エリーゼちゃんは弱々しく足をばたつかせているが、声にはまだ元気がある。汚れてはいるが服は乱れていない所を見ると、まだ無事なのだと分かった。……冷静に状況を見ている僕を、エディとロイドが信じられない物を見る様な目で見るけど、今はそれにかまっていられない。
「ロイド、耳を澄ませて。洞窟の近くに他に気配はある? エディ、エディは剣を抜いて。……きっと、あれはどこかにエリーゼちゃんを運ぼうとしてるんだ。
きっとその先にあいつらのボスが居る。……エリーゼちゃんに手を出さずに運んでるんだ、アイツらは下っ端だよ。追おう」
狼狽しながらもロイドは、他の気配はないと告げる。二人の手を離し、三匹のゴブリンの背を見て、僕はゆっくりと歩き出す。
「リオ、お前。今凄ぇ怖い顔してるぞ。……なんで笑ってるんだよ」
僕の背に、エディの声。振り返って慌てて自分の顔に触れる。強張ってるのが自分で分かった。笑っているかどうかは分からなかったけど、もしかすると僕の口元は上がっていたのかもしれない。僕の頭の中は、あのゴブリン達をどうやって殺して、エリーゼちゃんを取り返すかって事しかなかったから。
十年前のこの頃の僕では絶対に考えなかっただろう事。エディが戸惑うのも分かるから、軽く頭を振ってからぎこちなく笑って見せた。
「何でもないよ。それよりロイド、この先ってもしかして」
「……ああ、棲家になりそうなところはある。古い廃坑だ。俺の爺さんの、そのまた爺さんの代の頃に枯れた金鉱だって」
そこだ、と僕は声を漏らす。そこまで判れば十分だった。
「ロイド、弓を。ここで取り返そう。……まずロイドが矢を射かけて。一番後ろのゴブリンが抱えてるエリーゼちゃんに当たらないように、一番前の奴に。そうすれば、奴らは前に逃げる事はしない。逃げようって道を引き返すはずだよ。
そこを僕が飛び出して食い止めるから、残りの二匹を二人が何とかして」
「何とかってリオ、お、おい、遊びじゃないんだぜ?ご、ゴブリンだぞ。あいつら、こん棒だって持ってるしそんな簡単に……」
エディの声が震えてた。そうだ、エディはこの日まできっと、せいぜいゴブリンを追い返す位の事しかしてなかっただろう。初陣だ。ロイドは狩人をやる中で生き物の命を奪う事には慣れているのだろう、それに、妹のためだ。既に弓に矢をつがえて、覚悟の決まった目をしていた。
だから僕はエディに振り返って、その肩を両手で掴む。僕の知ってるエディよりもずっと細くて頼りない肩。燃えるような赤い瞳が、今は泣きそうになってるけど、僕は真っ直ぐ見つめる。
「エディ、僕はエディを信じてる。エディはこれからの未来の先で、魔王と闘っても勝つくらいの強い勇者になるって、
闘おう。そう言った僕の目を見ていたエディは目を見開く。それから、エディは深呼吸をして、強く頷いてくれた。剣を抜く手は震えていたけど、大丈夫だ。エディがここぞという時にはやる奴だって、僕は知ってる。僕の命を、背中を何度も預けて戦ってきた相棒なんだから。
……ロイドが短弓を引く。きりきりと引き絞る弦の音を聞きながら、ふと、僕が死んだ後のエディはどうしたんだろう、なんて思った。
矢が、放たれた。
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