Episode ⅩⅥ 『大地の化身』


 雲一つ無い晴れ渡った蒼穹の下、ヒューレル王国が誇る美しい景観の大聖堂が、盛大な音と土煙を上げて崩壊した。瓦礫となった聖堂の残骸を背に、ディアは両脇に抱えた四人の勇者を放り投げる。


 聖堂の崩落に巻き込まれて死なれたら寝覚めが悪いから助けてやったまでだが、以前の自分ならこんな事はしないなと自嘲する。


「さて、どこに逃げたものか」


 ディアはぐるりと周囲を見回して、スフィアを連れて聖堂から逃げたハビルの行方を模索する。聖堂の裏口から外に出て、おおよそ行き先の目標となる物が二つ。王宮と外壁ゲートの関所だ。西側は外界に出ると直ぐに草原が広がっており、東側は森へと繋がる。


 ハビルの立場を考えれば妥当なのが王宮。しかし、王宮までは少し距離がある。それに比べると関所の方が近い。王子の結婚式という大きな催しが開催される以上、外部との唯一の繋がりである関所に兵力が配置されている可能性が高い。その兵力を活かすなら流石に平原の広がる西に展開させるはず。というのがディアの考えだ。


 ディアは一足で建物の屋根に飛び乗ると、周囲を軽く観察する。思った通り西側の門に人集りができている。おそらく、勇者の一団だろう。国に仕える兵士は崩れた聖堂周囲の封鎖と住人の非難で大忙しだ。それに、人の集団に混ざっていく二人の姿も確認できた。


 それからディアの行動は迅速だった。屋根を吹き飛ばしながら爆発的な跳躍を繰り返し、瞬く間にゲートへと向かう。最後の足場を踏みしめて宙へと舞う。そして、勇者集団が構える眼前へと着地した。


「止まれ魔王!」


「ハッ、誰が止まるかよ!」


「撃てッ!!」


 先頭に立つ勇者の合図で全員が一斉に攻撃を仕掛けてきた。炎、雷、氷、風などのありとあらゆる攻撃魔法と弓の雨がディアに降り注ぐ。


 だが、ディアは止まらない。それどころか、魔剣の一振りで敵の攻撃全てを掻き消した。ただ純粋な魔力の放出によって爆風が生まれ、勇者一団の一部がまとめて吹き飛んだ。


 ゲートを死守せんと身構える勇者と、大盾と槍を構えて狭いゲートの通路を封鎖する王国騎士を蹴散らす。吹けば飛ぶ紙切れの如く、勇者や王国騎士の悉くが魔王によって地面を転がった。


 ゲートを突破し、草原へと出たところでようやくハビルとスフィアの顔を拝む事が出来た。引きつった表情のハビルと、嬉しそうに頬を緩めるスフィア。


「やっと追いついたぜ。さぁ、その聖剣使いを渡して貰おうか」


「こ、断る! 何なんだお前は! 人の式を台無しにしやがって! チクショウ!」


「そういや直接会うのは初めてか。俺が一方的に知ってるだけだしな。自己紹介が必要か?」


 ハビルは眉をしかめ、懐から一握りの結晶を取り出す。半透明な白い結晶の中には一粒の赤い玉が入っており、何かの魔法道具に見える。


「僕はヒューレル王国第一王子だぞ! お前、こんな事して国が黙ってると思うのか!? 極刑だぞ! それにこの女は僕の后となる! これは両国の問題で、お前には関係無い!」


 ハビルの主張は最もだったが、ディアには興味が無い事だ。小指で耳をほじりながら聞き流していると、ハビルはさらに眉を逆立てた。


「まぁ、そうなんだろうな。正論だよ。だが、そこの娘はこの俺が貰う。これは魔王の決定だ」


「バカにしやがって! もう後悔しても遅いからな! 王家に伝わるこのゴーレムで貴様を叩き潰してやる!」


 顔を真っ赤にして怒る狂うハビルは、先程取り出した結晶を地面へと叩きつける。結晶が砕けて中の赤い玉が露出すると、真紅に輝き強い光を放った。一瞬にしてハビルの足下に馬鹿でかい紋様が描かれ、同時に地響きが始まる。


「古代文明の魔法か」


 戦争で何度か目にした事があった。どれも今の魔法技術では生み出せない英知の結晶だ。大規模な魔法で一度使えば戦況が引っ繰り返る程に凄まじい威力を秘める。ハビルはそれをこの場で使用したのだ。


 なるほど、とディアは思う。このとっておきの秘策を使うために平原まで逃げた

らしい。展開していた兵士や勇者は時間稼ぎでしかなかったのだろう。昔からそういう采配の下し方が嫌いだった。


 しばらく地響きが続くと、地表に展開した紋様が一層強く輝く。すると地面が隆起し、徐々に巨大な人型へと変貌していく。全身に紋様を張り巡らせた土塊の巨人が姿を現したのだった。


 巨人の肩に立つハビルと、腕を掴まれたままのスフィアに視線を合わせるためには、首が痛くなるほど見上げなければいけない。確かにこんなものを市街地では使えないと思う。その全長はヒューレル王国の象徴である王宮に等しく、質量は小山程あるだろう。これが戦時中であれば、ただ動き回るだけでも甚大な被害を生む驚異だ。


 空の頂点に達した太陽の光が眩しく、ハビルを見上げる瞳に陽光が染みる。ハビルは巨人の召喚に成功し、少し強気になったのか高笑いを浮かべた。


「叩き潰せ!」


 ハビルの命を受けて巨人が動いた。馬鹿でかい拳を振り上げ、ディアへと振り下ろす。図体の割には思ったより動作が軽い。ディアの視界が全て巨人の拳で埋め尽くされる。圧倒的な質量を前に、ディアは笑っていた。


「悪くねぇな」


 巨人の拳がディアに接触する瞬間、スフィアは思わず目を瞑った。直後に激震が走る。結末を確かめるため、瞼を上げたスフィアは巻き起こった現実に自分の目を疑った。


 およそ人間でいう所の肘の部分まで、巨人の腕が消し飛んでいた。砕かれた巨人の腕はさながら散弾の如く周囲にまき散らされ、草原は見る影も無い。


「おいおい、どうした? デカいだけが取り柄なら興ざめだぜ」


 ディアの挑発に反応したのか、巨人の身体が震える。すると失った腕が瞬く間に再生し、元の形状へと戻った。これだけの質量でありながら、高速で再生する機構まで有するとは流石に古代魔法だ。


 ディアは必要無いと判断して魔剣を虚空へと消す。そして、初めて構えを取った。


「大地の化身よ! あの無礼者を始末しろ!」


 巨人が咆えた。そして先程よりも加速した速度で拳を振るう。しかも両腕を使った乱打だ。ディアも渾身の力込めた拳で迎え撃つ。巨人と魔王による人の領域を遙かに逸脱した打撃の応酬に地面は震え、飛び散った巨人の破片が流星の如く降り注いで地形が変形する。


 先に折れたのは巨人だった。両腕を完全に失って停止したところで、ディアは追い打ちを仕掛ける。膨大な魔力を込めた一撃をノーガードの巨人の胸へと叩き込んだ。大地の化身といえど、ディアの放つ拳は星を砕く。桁違いの威力に巨人の身体は絶えきれず、身体の中心が弾け飛んだ。


 許容量を越えたダメージに再生の能力が追いつかず、ついに巨人の身体が崩壊を始めた。ハビルもスフィアも肩から投げ出され、無防備に空へ身体を晒す。ハビルは勿論の事、聖剣の加護を失ったままのスフィアが地面に激突すればただでは済まない。


 瓦解する巨人の欠片を足場にして、ディアは宙を駆ける。落ちるスフィアを掬い上げ、ついでにハビルの首根っこを掴んで助けてやる。


「待たせたなスフィア」


 ようやく触れられたスフィアの感触と暖かさに小躍りしたくなる気持ちを抑え、ディアが言う。


「遅いですよ、ディア」


 純白のウェディングドレスと金髪を靡かせながら、スフィアがディアの首に腕を回す。いつも魔王と呼ばれていたせいか、初めて自分の名前を呼ばれたのが衝撃だった。


 何だか照れくさくなってディアはそっぽを向くが、そんなディアに追い打ちがかけられる。頬に当たる柔らかい感触が、彼女の瑞々しい唇のものだとすぐに解った。思わずスフィアの顔を見ると、今までに見た事が無いほどスフィアは幸せそうに笑うのだった。

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