Episode ⅩⅤ 『魔王再臨』


 ヒュレール王国を分断する大通りは大聖堂のある広場を経由する。煉瓦造りの鐘楼に備えられた鐘が打ち鳴らされ、呼応する様に数多の吹奏楽器が祝福の音色を奏でた。


 聖堂前の広場には王国の国民で溢れ帰っていた。第一王子ハビルと隣国の絶世の美少女である聖剣使いの結婚式を一目見るためだ。しかし、聖堂周辺には重装備の兵士が列を成して防衛網を築き上げ、名高い英傑までもがその列に加わっていた。


 ステンドグラスを透かして色鮮やかな光が差し込む聖堂内には、王国と聖国の要人が集っている。数多の視線に見守られながら、中央の赤い絨毯をゆっくりと歩くのは純白のウェディングドレスに身を包んだスフィアだ。


 ヘッドベールに隠されて表情はわからないが、露出した腕と胸元の肌の美しさと、歩く度に揺れて煌めく金髪に誰もが息を呑む。スフィアの行く先には白いスーツ姿のハビルが勝ち誇った顔で待つ。


 神父を挟んでスフィアとハビルが並んだ。そして、神秘的な静寂の中、神父が

誓いの言葉を問いかける。


「汝、ハビル・ヒューレル・ヴァルハイトはスフィア・オルファリオを妻とし、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しむ事を誓いますか?」


「誓います」


 ハビルが短く答える。神父をその言葉を聞き届けると、今度はスフィアの方へと向き直り、再び誓いの言葉を問いかけた。


「汝、スフィア・オルファリオはハビル・ヒューレル・ヴァルハイトは夫とし、幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しむ事を誓いますか?」


「……」


 しかし、スフィアは答えない。その異例な態度に会場がざわつく。神父はただスフィアの言葉を待つのみだが、対面するハビルは口元を引きつらせた。


「私は」


 スフィアが言葉を放った事で一瞬にして静寂が再び聖堂内を支配する。誰もが彼女の言葉の続きを固唾を呑んで待つが、突如として聖堂の分厚い扉が轟音と共にぶち破られそれどころではなくなる。



 蔦のレリーフが刻まれた立派な二枚扉が音を立てて瓦解し、聖堂内へ目を瞑ってしまう程の強烈な陽光が差し込んだ。その中心には、逆光で顔は見えないが人影が確かにあった。


「よぉ、元気かクソッタレ共! 今日は絶好の戦争日和でなによりだぜ!」


 聖堂内に響き渡る声が誰のものかなど、スフィアにとっては愚問だろう。群衆の目が光に慣れた頃、ようやく視認できたその人物は全ての視線を受けながら大胆不敵に笑った。


「魔王ディア・ベルシアスだ! そこの花嫁を貰い受けにきた!」


 聖堂内の絨毯を踏みしめながら、堂々と宣言する。赤黒い魔剣を肩に担ぎ、上半身の服を脱ぎ捨てたディアの姿は、戦禍の中心で全ての敵に恐怖心を刻み込んだ正真正銘の本気の姿だ。


 迸る覇気に誰もが気圧されて口を接ぐんでいたが、中央の通路へと単身躍り出てくる存在が現れる。


「貴様! 神聖な式を良くも台無しにしてくれたな! それに外の兵士はどうしたというのだ!? たった一人相手に何をやっていたのだ!」


 怒り心頭といった様子で怒号を飛ばすのは、全身を黄金の甲冑で覆った大男。両手で構えるのは自身の身の丈と同じ程の大剣。ディアに負けず劣らずの圧倒的な迫力を放つ存在感を放つその男に向けて、後ろに控えていたハビルが命令を飛ばす。


「ディグノルト! その無礼者を引っ捕らえろ!」


「御意ッ!」


 名前を呼ばれた黄金の騎士は、その見た目にそぐわない俊敏な踏み込みを見せて一気にディアへと肉薄する。対するディアは特に身構えるでも無く、ただ騎士の大剣が振るわれる瞬間を待っていた。


 成り行きを見守っていた誰もが、あっけなくディアが両断される姿を想像するが、現実に起こった事は予想を裏切る。ゴウと重い風切り音が響くが、鮮血は舞わず、剣を振るった騎士だけが勢い余って前のめりに体勢を崩した。


「そう怒るなよ。俺に挑んで来た勇気は認めてやるが、外のヤツらの方がまだ利口だな」


 いつの間にか騎士の背後に回っていたディアが言う。体勢が崩れているだけあって、軽い力を込めて背中を押すと、騎士は呆気なく両膝を地面に突いて剣を手放す。


 終わってしまえば少々間抜けな絵面だが、その実交わされた刹那の攻防がどれだけ高度なものだったかを正しく理解できたのは、騎士本人と静観していたスフィアだけだ。


 ディアは騎士の攻撃を完璧に予測し、最低限の動きで躱す。それも尋常ではない速度で、なおかつ剣が当たる寸前に行った。熟練の騎士でさえ、当たると確信してから避けてみせた魔王の力量は測りきれない。


 かつての本気を知っているスフィアだけあって、今のディアは別格の強さだと確信した。もしも、今のディアが戦争に参加していたら、連合軍はたちまち壊滅に追い込まれていたに違いない。


「コレが魔王か!」


 素早く体勢を立て直し、武器を取り戻した騎士が再び斬りかかる。しかし、今度のディアは眼中に無い様子で見向きもしない。


 相手にすらされないと知って、騎士の頭に血が上った。怒りによって手に一層の力が籠もり、大剣はさらなる加速を得る。だが、それでも魔王に刃は届かない。振るわれた拳が見事に大剣の芯を側面から捕らえ、完膚なきまでに叩き折ったからだ。


 ディアが振るった拳の余波で衝撃が生まれ、生み出された風が暴力的に聖堂内を駆け巡る。式の為に備えられた百に及ぶ花が一斉に花弁を散らし、同時にスフィアの表情を隠していたヴェールが飛ばされる。


 狂風の巻き起こった中心にいた騎士は、着込んだ鎧の重さを感じさせないほど軽やかに吹き飛ばされ、そのまま壁面をぶち破って退場してしまう。


「化け物め! お、おい、ついてこい!」


 黄金の騎士が全くと言って良いほど歯が立たないのを見て、流石に危機を感じたハビルが動いた。スフィアの腕を掴むと、一目散に裏口へ向かって走り出した。


 聖剣を失ったスフィアは、その加護を満足に受ける事ができず、年相応のか弱い乙女でしか無い。ハビルとの腕力の差は明白で、当然力ずくで手を引かれたら抵抗するのは難しい。


「誰でも良い! そいつを止めろ!」


 捨て台詞を残しつつ裏口へと消えるハビルをディアは呆気にとられて見逃してしまった。小物だ小物だとは思っていたが、まさか逃げ出すとまでは予想していなかっただけに対応が遅れる。スフィアに何かあれば洒落にならない。


「あ、やっべぇ」


 ハビルの脱走を皮切りに、聖堂内を一瞬で恐怖が伝播し、群衆が騒ぎ出す。我先にと逃げ出す人間に遮られて、人を殺めるのは避けたいと考えるディアは身動きが取れなくなる。そんな事をしてスフィアに嫌われたら流石に笑えない。


 蜘蛛の子を散らした様に聖堂から逃げ出す人々の波がようやく終わり、ディアは再び自由を得る。しかし、すでにスフィアとハビルの姿は綺麗さっぱり消え失せていた。


代わりに四人の勇者らしき人物が残っている。おそらく金で雇われているのだろう。前金を受け取っている以上、この場から逃げ出せない。そんな感じか。


「逃げ出さなかった事は評価してやるよ。時間が惜しいからまとめてかかって来な」


 ディアが手招きしながら挑発すると、残った四人の勇者は互いに顔を見合わせて頷き合う。覚悟は決まったらしい。


 斧と槍を持った二人がディアに突進をしかけ、後ろに下がった二人が杖と弓をそれぞれ構えた。意思疎通と連携がとれているところを見るに、彼らは仲間同士の様だ。息の合った連携攻撃をいなしつつ、ディアは感心する。


 斧使いの大振りだが威力のある攻撃の隙間に、槍使いの鋭い一撃が組み込まれていて、反撃の隙が無い。後衛の二人は、前衛が敵を責め立てている間に高位の魔法を展開し、射手が牽制を行う。


 練度は高いが、所詮はそこ止まりだ。ディアを仕留めるには三手足りない。魔王は笑いながら、勇者達を一蹴するべく全力の拳を地面に叩きつけた。

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