Episode ⅩⅣ 『吸血』
「……魔王、どうして貴方がここに」
自分の目にしているものが信じられないといった表情で、スフィアは両手で口元を覆いながら言う。
「よぉ、スフィア。元気そうじゃねぇか、遠路はるばる会いに来てやったぜ」
ディアはスフィアの顔が見れただけでも口元が緩んでしまう。照れ隠しに戯けながら彼女の幽閉された檻の前へ歩み寄る。
「随分とご挨拶ですね魔王」
スフィアはバツが悪そうに目を逸らす。自分からディアの元を去った手前、顔を合わせづらいのだろう。
「まぁそう言うなよ。せっかく顔を見に来たんだからさ」
「どうして貴方がこの場所に? ここは王宮の地下ですよ。こんな場所に魔王がいると知れたら大騒ぎになります」
「それ言ったらお前だって。どうしてここにいる? 連合の英雄であり、この国の王子の婚約相手の聖剣使い様が」
「それは……、キスを迫ってきたので思わず――」
スフィアは言葉を詰まらせる。
「横っ面をひっぱたいたのか?」
「……いえ、顔面をグーで殴ってしまいました」
さしものディアもその答えは予想していなかった。容姿端麗で清廉潔白な乙女に迫りたい気持ちは理解できるが、きっとアプローチの仕方が悪かったのだろう。聖剣使いに拳で殴られた経験など魔王であるディアにすら無いのだから。
「ククッ、傑作だな。それで豚箱にぶち込まれたのか」
「反省はしています。でもどうしても無理です。あのお方とは結婚したくありません」
スフィアの本音が零れた瞬間だった。
「そいつが聞けて良かった。もしここでも突っぱねられたらどうしようかと思ってたところだ」
ディアが檻の扉に手をかけると、ギィギィと耳障りな音を立てつつも扉は開く。一瞥すらしなかったので気づかなかったが、鍵は掛けられていないらしい。
「私がここから出ればどうなるか良く考えろ、という事でしょう。最初から錠前などこの檻にはついていませんでした」
ディアの疑問を察したスフィアが先回りして答える。
「良い趣味してるぜ。流石第一王子様だ」
「しかし、魔王。何をする気ですか? 私には貴方の考えが読めません」
牢の中にあるのは木製の硬い粗末なベッドと不衛生な便所。ベッドに腰掛けていたスフィアは壁に身を寄せてディアのためにスペースを空ける。ディアはその空間に腰を降ろすと大きく息を吐いた。
「俺はお前を奪いに来た」
「奪いに? 助けにではなく?」
「そう、略奪だ。だが今は訳あってそれができない。協力してくれ」
ディアは意図的に逸らしていた視線をスフィアへ合わせる。
「きょ、協力ですか!?」
スフィアはディアとのあまりの距離の短さに目を丸くして硬直する。今までの反応と打って変わって顔を真っ赤に染め上げた。散々アプローチをかけてきた彼女だが、その実かなり勇気を振り絞っての行動かもしれない。
「あぁ。実のところ俺は魔力が空でどうにも戦えない。血が必要なんだ」
「吸血ですか? ですが以前魔王は……」
そこまで言ってスフィアは口を接ぐんだ。おそらくディアの言った言葉を思い出したのだろう。言葉の真意に気づいたのか、スフィアはまじまじとディアを見つめ返す。
「まぁ、そういう事だ」
スフィアの瞳から涙が濡れた。以前ディアは直接的な吸血の経験が無い事をスフィアに告白していた。そして、力が衰え続けている要因が吸血行為に起因している事も。
ディアが行う吸血行為にどんな意味があるのか。知らないスフィアでは無い。その要求は愛の告白に等しかった。
「卑怯です。そんなセリフを言われてしまうと決意が揺らいでしまいます。私がどれだけ悩んで貴方の事を諦めたと思っているんですか」
「悪いな。だが、俺はお前を諦められない。国がどうこうとか、そんなのはこの際抜きにしようぜ。スフィア……、お前の気持ちが知りたい」
「貴方と一緒にいたいです」
限界まで溜まった涙が一斉にサファイアの瞳から零れた。ここまでスフィアに言わせたのだから、もう後戻りはできない。するつもりも毛頭ないが、着付けには抜群の効果となった。
「それなら俺に全部任せろ」
ディアはスフィアの細い身体を両腕で抱き、白い首筋に牙を立てた。声を一瞬漏らすスフィアだが、ぎゅっと唇を結んで息を殺した。首筋と唇の接合部から鮮血が漏れ出し、一筋の赤い軌跡を描く。
口腔を満たす鉄に似た匂いと、舌の上で広がる仄かに甘い液体は果汁の様に感じた。どうやら吸血鬼の味覚は特殊で、自分の血は不味く、他人の血は違う味に感じるらしい。初めて知った事だった。
「あっ……う。結構痛いのかと思っていたのですが、案外そんな事もないのですね。ちょっとびっくりしましたけど」
「俺達の唾液には痛覚を麻痺させる効果があるらしいぜ」
首筋から口を離したディアが言った。鮮血で濡れた口元を袖で拭いながら、全身に魔力が満たされていくのを感じる。魔剣を介する吸血とは別格だった。吸血した相手が相手だったのもあるが、それでも今までとは比較にならない程の効率で魔力が回復する。
ディアの身体を満たす魔力は全盛期を軽く越えていた。漲る力にディア自身が一番驚愕していた。最強の魔王が復活したのだ。今までと違う事は一つ、星を砕くその鉄拳を振るう理由だ。
「それで、魔王。これからどうするのですか?」
「お前と王子の結婚式をぶち壊して王国に喧嘩を売る」
「正気ですか!? 参列する兵士と勇者の数を考えれば、連合軍の本体と単身で戦う様なものですよ? いくら魔王でも厳しいのではないのですか?」
スフィアの比喩にディアは戦争時の事を思い出す。圧倒的な人数差を覆してきた事は何度もあった。流石に楽ではないが、今回もそうするだけだ。
「ちょうど良いじゃねぇか。戦闘は派手な方が好都合だ。王国からお前を奪うんだからな」
ディアは不敵に笑うとベッドから立ち上がった。
「それで〝奪う〟なのですね。貴方に攫われるのを楽しみにしておきます」
「ククッ、攫われるのが楽しみだなんて変わってるぜ。まぁ、ここは居心地が悪いが少し辛抱してくれ。次に会う時はお前を必ず連れて行くと約束する」
「はい、お待ちしてます。私の魔王」
そう良いながらスフィアは小指を差し出してきた。ゲッシュと呼ばれる約束を結ぶ時のおまじないだ。ディアは彼女の意に応えるべく小指を絡める。
「あぁ、そうだ。一つ聴きたい事があるんだが……?」
「はい、なんでしょうか?」
ディアは檻の中をぐるっと見回すが、あるべき物がそこには存在しない。スフィアを聖剣使いたらしめる核となる聖剣が存在していない事に今更ながら気付いた。
「聖剣はどこだ?」
「わかりません。取り上げられてしまいました」
「なるほど。やる事が少し増えちまったが、些細な問題か。オマケに取り返して来てやるから期待してな」
「はい!」
結んだ小指が解け、二人の距離が再び開く。再開を誓ってディアは檻の外へと出る。後ろ髪を引かれる思いではあったが、意を決して地下牢を後にした。
「覚悟しておけよケツアゴ王子」
螺旋階段を上りながら呟く。明確な敵意の表明だった。スフィアを今まで散々困らせてきた礼は少し過激なくらいがちょうど良いだろう。一先ずはヒュレール王国……、第一王子ハビルへの派手な宣戦布告だ。
ヒュレール王国とアルキデス聖国。両国の歴史に深く刻みつけられる大事件が、聖剣使いの血を得て復活した魔王によって巻き起ころうとしていた。
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