Episode ⅩⅢ 『誤算』


 ヒューレル王国の中心にそびえ立つのは白亜の宮殿だ。大理石が敷き詰められた回廊には月明かりが差し込み、その明かりだけが回廊を照らしていた。


 王宮に忍び込んだディアは誰にも見つかる事の無いように隠密行動をとっていたのだが、幾つか闇雲に部屋を探したところで時間の無駄だと悟った。スフィアがどこにいるかわからない以上、これでは効率が悪すぎる。


「やっぱ知ってるヤツに聞くしかねぇか」


 ディアは溜息混じりにぼやくと、回廊の奥に広がる闇を見た。そこには小さな灯りがぼんやりと浮かび、ゆらゆらと揺れながらこちらに向かってきている。巡回の兵士だ。


曲がり角に身を潜め、息を殺す。何も知らない兵士がのこのこやってきたところで、不意打ちの回し蹴りを叩き込んで昏倒させた。


「悪いな」


 ディアは気絶した兵士を抱え、近くの扉中へ引きずり込んだ。部屋の中は薄暗いがそれでも視界は明瞭だ。この部屋は応接室らしく、あるのは豪華なソファとガラス作りのテーブル。それに幾つかの調度品だけだ。


  窓の脇に備えてあったカーテンを引き裂いて細くし、それで兵士を縛ってから頬を叩いて起こす。兵士の意識が覚醒するのを待ってから、ディアは口を開いた。


「おっと、騒ぐなよ? みんな寝てるからな」


 兵士の口を手のひらで覆い、もう片方の手で静かにしろと同時にジェスチャーで示す。兵士は自分が置かれている状況を理解したのか、震えながら何度も首を縦に振った。


「安心しろ、殺したりしないさ。ちょっとした質問に答えてくれたらそれで良いんだ。ハビルと式を挙げる予定の聖剣使いはこの城にいるか?」


 兵士は頷く。ディアは内心ほっとしていた。もしスフィアがこの国にいないのであれば手の打ち用が無かったからだ。ここだけは賭けだったが、どうやら運命の神様はディアに微笑んだ。


「その聖剣使いがどこにいるか知ってるか? 知らないなら予想できる場所を答えろ」


 ディアは言い終えると兵士の口を塞いでいた手をどかし、自由にしてやる。


「何故魔王がここにいるのですか……?」


 兵士は怯えた瞳で言った。質問には答えなかったが、自分が魔王であると認知しているためにまだ会話の余地があると判断して、兵士の質問に答える事にした。力を失ってはいるが、それを知る人間はスフィアしかいない。ならば、絶対的な力を持つ魔王であるとい事だけでもカードになりうるのだ。


「欲しいものがあるからな、それを奪いに来たのさ」


「欲しいもの……。それが聖剣使い様だと仰るのですか?」


「あぁ、そうだ。だからアイツの居場所を教えてくれよ」


 兵士は押し黙る。国に忠誠を誓う彼の立場を考えれば当然なのだが、ディアとしては面白くない。しかし、兵士の視線が数多の戦場で目にしてきた、国のために死のうとする有象無象とは違うものを感じ、反応を待ってみる。


「魔王様。僕は応援しますよ!」


 兵士の身体から震えが消えた。そして、突然訳の分からない事を言い出す。ディアはついていけず、首を傾げた。


「あぁ、悪い。さっき強くやり過ぎたか?」


 もしかしたら、兵士を気絶際に叩き込んだ蹴りが強すぎて、頭がおかしくなってしまったのかもしれないと危惧するが、どうにも容姿が違う。


「僕は正気です。実は聖剣使い様の意中の相手が魔王様であると密かに噂されておりまして、僕はそれを支持しております」


「はぁ? なんだそれ」


「戦時中の事ですが、エルン平原での戦いに敗北し、魔族軍から遁走する連合軍を聖剣使い様が殿を努めて逃がしてくださった事がありました。魔王さまはあの戦いを覚えておられますか?」


 エルン平原での戦いと言われれば、ディアはその時の事を鮮明に思い出す事ができる。何故なら、その時の事を夢で思い出して、ハビルからスフィアを奪い取るという決心が着いたのだから。


「あぁ、覚えている。その時に連合を追撃しようとしたのは俺だからな」


「あの時、聖剣使い様に庇って頂いた者の中に僕もいました。あの方は僕の命の恩人です。ですから、お役に立ちたいのです。誰の目にもハビル様に聖剣使い様が心を寄せていないのは明白ですし」


「だから俺に力を貸すと?」


「はい!」


 ディアは思わず笑った。この兵士はスフィアへの恩義のため、国を裏切ると宣う。酔狂にも程がある。こんな兵士がいて大丈夫なのだろうか? それとも、第一王子であるハビルに求心力が無いのか。


 だが、そういうヤツは嫌いじゃない。というか、好きだ。それだけでこの兵士の言葉は信用するに値する。


 拘束を解いてやり、兵士を自由にしてやると、彼は立ち上がると同時に姿勢を正して敬礼を行った。これから貴方の力になります、そういう意思が伝わってきた。


「聖剣使い様の元まで僕がご案内致します! どうかお任せください!」


 声がでかいとディアは慌てて身振り手振りでそれを伝える。自分でも思うところがあったらしく、兵士は慌てて頭を下げた。


 それから、兵士の先導でディアは王宮の内部を進む。助力を願い出てくれる兵士に会えるとは嬉しい誤算だった。大きな前進だ。


 兵士の証言によると、スフィアは王宮の地下にある牢獄に閉じ込められているようだ。なんでまた自分の后となる女性を幽閉しているのかと、気になって兵士に聞いてみたところ、スフィアがハビルに対して少々無礼を働いたらしい。その結果、スフィアは地下で反省の機会を設けられたという事だ。つくづくハビルは王の器では無いとディアは思う。


 王宮の地下へは、一度王宮内の階層を登り上層部から繋がる架け橋で塔を下って行く必要がある。巡回の兵士をかいくぐり、架け橋のすぐ手前まで来たところで、先導する兵士が立ち止まり、手を上げて停止の指示を出してきた。


 壁の角から先を覗いて見ると警備の兵士の姿が二人いた。巡回の兵士よりも重装備だ。全身を鎧で包み、常に手は腰に吊した剣の鞘へとかかっている。スフィアが幽閉されているのもあって、かなり警戒が厳重だ。


「強行突破は厳しいか」


「ええ。ですが、僕に策があります」


 兵士は自信ありげに頷いてみせた。


「光の精霊よ、我らが姿を眩ませろ」


 兵士が呪文を呟くと、二人の姿は虚空へと消えた。光の屈折を利用した基礎的な魔法だ。姿を眩ませた二人は堂々としつつも、慎重に音を殺して警備の目をかいくぐる。


 無事に端を渡りきったところで盛大に息を吐いた。警備の兵士との距離は十分にあり、この場で息を漏らしても気づかれる事は無いだろう。


「僕はここで待ちます。御武運を」


 ここまで導いてくれた兵士はそう言って立ち止まる。ディアは感謝しつつも、先を急ぐために兵士と早々に別れて先へと進む。


 階段の壁には等間隔で灯りが配置されており、足下は明るい。音が反響するせいで靴音が妙に響き、揺れる炎に照らされる影も不規則に乱れる。大した運動もしていないのに、自分の鼓動が早くなっている事に気付いた。


 早鐘の様な心音に比例して、階段を下る足も速くなる。同じ景色が続くせいか、スフィアに会えるという期待のせいか、階段が無性に長く感じた。


 ついにディアは螺旋階段を抜け、王宮の地下牢へと到達した。一本の通路の両脇に複数の鉄格子が備え付けられているが、牢の中に人はいない。代わりに白骨化した遺体が放置されており、この場所があまり使われていないのだと予想できる。


 スフィアの姿は直ぐに確認できた。通路の突き当たりにある一際大きな牢屋に、探し求めていた金髪の少女の姿が見えた。足音に気づいて彼女が顔を上げ、そのサファイアの瞳と視線が交錯する。



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