Episode ⅩⅡ 『再起』
魔王としての心構えは成った。そうなってからのディアの行動は早い。
とにかくまずはスフィアに追いつく事が先決だ。ディアの住むこのボロ小屋は、神秘の森のかなり浅い部分にある。山で例えれば麓だ。ここから十分ほど歩けばすぐに近くの草原へと出る事が可能だ。
次に考えるのは王都からの使者だ。どうやってこの場所までやってきた? 答えは簡単だ、考えられるのは徒歩のみ。魔物が出没するこの森に馬を連れて来るのは流石に無知すぎる。そうなると馬とその護衛を森の入り口で待機させ、単身でやってきたはずだ。
スフィアが急いで自分の元を去ったのも、迎えの人間が草原で待機していたからだと考えるのが妥当だ。徒歩で国に帰るには時間がかかり過ぎるし、帰路を急ぐ人間の行動とは到底考えにくい。
ここまでを仮定とし、結論を急ぐ。ひとまず目的地をヒュレール王国と設定して、要する時間を計算してみる。移動手段は間違い無く馬だろう。そして、夜間は馬を休ませるとして、だいたい二日程度だろうか?
魔力を枯渇させたディアでは半日差をつけられてしまった時点で追いつく事は絶対に不可能だ。人より少し早く走れるからといって、馬の速度には逆立ちしても叶わない。
しかし――、
ブォォ、と腹の底を揺らすような重低音が響く。白龍からの贈り物である角笛だ。この角笛を吹けば、一度だけあの白龍が助けになってくれるとスフィアが言っていた。
龍の飛行速度はこの世界におけるどの生物よりも早い。半日もあればヒュレール王国まで辿り着けるはずだ。この移動手段ならディアが二日寝込んでいたとしても間に合う。
角笛を吹いてからしばらくすると、もう聞き慣れてしまった気がする龍の咆哮が森にこだまする。白翼をはためかせながらゆっくりとその巨体が地面へと降り立つ。ディアは烈風に髪をぐしゃぐしゃに撫でられながらも、荘厳な白龍の瞳を見上げていた。
『よもやこれほど早く呼ばれるとは思わなかったぞ吸血鬼』
白龍は長い鎌首を下げるとディアと視線を合わせる。
「悪いな。どうしてもお前の力を借りたくてさ」
『良い。貴様には感謝している。我が子を殺めずに済んだのは他ならぬ貴様の活躍あっての事。恩には報いよう』
白龍がそう告げると、棘が生えそろう背中から子龍が顔をだしてピィと鳴いた。
「良いさ。お前が怒りに我を忘れるのも無理はなかった」
『して、我は何をしてやれば良いのだ?』
「俺を背中に乗せて飛んで欲しい。ヒューレル王国まで頼むぜ」
『心得た』
白龍は前足を地面につけると、翼を低く降ろして地に伏せた。正直、ここまですんなりと行くと思っていなかったディアは面食らったが、話が早くて助かる。
ディアが背中に乗った事を確認すると白龍はその巨体を起こして二足歩行へと戻る。ボロ小屋の屋根に登るよりもずっと高い視界に思わず笑った。
『これより征くのは人の都だな? 我はあまり詳しくない故、案内は任せたぞ』
「少しニュアンスが違う気もするがまぁいい。急ぎで頼んだぜ」
『わかった。吸血鬼よ、振り落とされるでないぞ!』
次の瞬間には、ディアの視界は遙か空にあった。凄まじい慣性に白龍の背中から放り出されそうになるが、子龍が尻尾でホールドしてくれてそうならずに済んだ。息もつかぬ間に高度は跳ね上がり、ある程度飛翔したところで白龍は一度停止した。
眼下には神秘の森が広がる。あれだけ背の高かった木々は小さく見え、湖やエルフの集落までもを一望できる。茜色に輝く太陽はちょうど地平線に半身を落としており、森が陰って見えた。ただ暮らしているだけでは拝めない景色だ。
『どっちだ?』
「ここから南西に飛んでくれ。あっちだ」
ディアが指さす方向を確認すると、白龍は再び羽ばたく。反則的な超加速を経て、非拘束は一瞬にして最速へと至った。視界は目まぐるしく流れ、その速度は少し手前にあると思ったものが、気がつけば後ろへと消えていく程だ。
空路は山も川も一切を無視して目的地まで一直線だ。凄まじい移動速度も相まって、ヒューレル王国への到着時刻はディアの予想を遙かに上回った。
『ここで違いないな?』
都市の上空を速度を落としてゆっくりと旋回しながら白龍が言った。太陽はすでに沈み、夜の帳が降りている。それでも王国は活気に満ちており、都市は明かりで満ち溢れていた。
王宮を中心に街が広がり、外界と内界を隔てる高い外壁がぐるっと都市の周辺を囲んでいる。中へ入るには外壁に設けられた関所を通るのみで、日が沈むと共にその門は閉ざされる様だ。
「あぁ、間違いない」
『ならば、後は我が子に任せるとしよう。我が降りたのであれば大きな騒ぎになるからな』
「ここまで飛ばしてくれて助かったぜ。……じゃあ、頼むぞチビ」
ディアが子龍の頭を撫でてやると、子龍は気持ちよさそうにキュウと鳴く。それから子龍はディアの胴に尻尾を巻き付けて飛んだ。パタパタと忙しなく小さな翼を動かしながら高度を下げていく。
ディアを外壁の上部に降ろすと子龍は一度鳴いて親元へと帰っていく。子龍の姿を見送っていると、ある程度まで上昇したところで忽然と姿を消した事にディアは驚いた。どうやら魔法で姿を隠しているらしい。
まぁ、それもそうかと納得して、ディアは街へと視線を向けた。
「……さてと」
王国に辿り着く事はできたが、この広い都市の中からスフィアを探し出すのは流石に骨が折れそうだ。式の最中を狙うか? と考えてはみたものの、国の要人が主役の式だ。手強い護衛をバカみたいに大勢引き連れているに違いない。
そんな中に飛び込むのは、今のディアには無謀だ。いくら魔王とはいえど、勇気と蛮勇を履き違えるほどディアは無知では無い。
「とりあえず王宮でも探るか」
ヒューレル王国第一王子であるハビルは性格が少々アレな人物だ。端的に言って小物だ。自分の一方的な都合で結婚式の予定を繰り上げるような器なのだから、たかが知れているとディアは鼻で笑う。スフィアを手元には置いているだろうから、王宮を手当たり次第に探せば見つかるはずだ。
ディアの足取りは軽やかだった。闇夜に紛れて屋根の上を走る。夜店が軒を連ねる大通りや、酒場は人で賑わっており、日が暮れているというのに喧噪は止まない。森での生活に比べればずいぶんと騒がしいが、耳障りでは無かった。
もう少しでスフィアに会えると思うとディアの表情は自然と緩む。足取りも気落ち速まった。まだ夜が更けるには早い。
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