Episode ⅩⅠ 『追想』

 太陽の光を分厚い雲が遮る、薄暗い昼下がり。


 赤黒い燐光を帯びた魔剣と銀色の奇跡が衝突し、凄まじい衝撃が生まれた。周囲の全てが吹き飛ばされ、暴風が草原を激しく撫でる。舞い上がった土煙が晴れると魔王の姿が現れる。その足下に聖剣使いの少女が倒れていた。


「また俺の勝ちだな」


 含み笑いで魔王は言う。聖剣使いはただただ悔しそうに歯を食いしばった。


その次は荒野での戦いだった。激しい雨が降り注ぎ、血濡れた大地を洗い流す。雷鳴すら轟く悪辣な天候でさえ、魔王と聖剣使いは戦った。またしても勝利を収めたのは魔王だ。


 その次も、またその次も、二人は剣を交えた。全ての戦いで魔王が勝ったが、聖剣使いは一度たりとも臆する事なく魔王に挑み続ける。魔王には聖剣使いの不屈さが不思議で仕方なかった。自分の強さが異常なのはいまさらだが、それに刃向かってくるだけでも珍しいのに、打ちのめされても再び牙を向いて来た存在は彼女一人だけだ。


 魔王はいつもの様に聖剣使いを見下ろしながら問う。


「これで何回目だよ。流石にそろそろ諦めたらどうだ?」


「……いいえ。貴方が私にトドメを刺さない限りは挑み続けます。今回だって私は目的を果たせていますから、こうして私が倒れている事にも意味があるのです」


 今回の戦いは撤退する人間側の連合軍と、追い打ちをかける魔族軍という展開だ。聖剣使いは殿となり、先行する魔王を食い止めていた。一騎打ちで敗北を喫したが、その甲斐あって連合軍は撤退に成功し、多くの兵士が戦域からの離脱する事が出来た。魔族軍としては実に手痛い。


 魔王は身動きが出来ないまま仰向けになって蒼空を仰いでいる聖剣使いの隣に腰を下ろす。


「まぁ、そうだな。だけどもうじき戦争は終わるぜ」


「何故そう思うのですか? 確かに戦況は連合軍が不利ですが……」


「連合の司令部が割れたんだよ。近いうちに叩きに行く」


「そんな情報を敵である私に教えて良いのですか?」


「口が滑った。バレたらしこたま怒られるな。まぁ、バレたところでどうにかなるもんじゃないけどな。今頃最後の戦いが始まってる頃だ」


「……そんな!」


 聖剣使いは魔王の言葉を聴いて表情を一変させる。動かない身体に鞭を打って立ち上がろうとするが、身体は言う事を利かない様子だ。


「今から行ったって間に合わないだろ。それに俺は連合の最高戦力を抑えるのが役割だからな。行かせもしねぇ」


 聖剣使いの活躍により、魔族軍が連合軍を逃した事は確かに失態だ。しかし、それは魔族軍の計画の中では想定されたもの。本来の計画に支障は無い。


 魔族軍の作戦はこうだ。魔王が聖剣使いとその他大勢の注目を集めている間に、本体は敵の中枢を叩く。キングを駒として使うこの戦略は魔王本人の考案だった。魔族と連合の戦況は、聖剣使いの言う通り魔族側に分がある。このまま魔族の作戦が成功し、連合の中枢が落ちれば長い戦いにも決着の時が訪れるだろう。


「……私が貴方と戦ったのは無駄だったのですか?」


 聖剣使いは震えた声で言った。


「どうだろうな。ここにいなければ、俺は雑魚を蹴散らしてお前を戦場に引きずり出すという手段を使ったかもしれない。お前の努力の甲斐あってアイツらは助かったし、結果的に犠牲は出るがこれでも最小なはずだ」


「そうだとよいのですが……」


 聖剣使いは諦めて身体から力を抜く。ぐったりと地面に身体を預けたまま、首を傾けて魔王の顔色を伺った。


「魔王はこの戦いが終わったらどうするのですか? やはり世界征服でしょうか」


「偏見だ。前にも言わなかったか? 家庭菜園でも楽しみながら静かに暮らそうと思ってる」


 聖剣使いは呆気にとられたのか、しばらく目を見開いて黙っていた。それから少ししてパチパチと瞬きをする。


「あれは私をからかっていたのでは無かったのですね」


「失礼なヤツだな。まぁいい。そうだ聖剣使い、お前名前は?」


 最初にこの少女と相まみえた時、次にこうして話す機会があるならば、何か質問を用意しておこうと魔王は考えたのだが、この程度しか思いつかなかった。


「スフィア・オルファリオです」


「スフィア、か」


「はい。アルキデス聖国出身で、身分は一応貴族です」


 金髪の聖剣使い、スフィアが語った簡素な自己紹介に、魔王は少し意外性を感じた。聖国における貴族とは枢機卿の事。つまり、国の主である教皇の次に地位が高い。その娘ともなれば、剣を取り戦地を駆けるなどまずありえない。


 魔王はますますスフィアへの興味を募らせる。


「へぇ、そんなお高い身分のお嬢様が戦場で泥まみれとは笑えるな」


「そうかもしれませんね。父も母も私がこの場にいる事を望んではいませんから」


 ようやく動ける様になったのか、スフィアはゆっくりと上体を起こすと近くに転がっていた聖剣を手元に引き寄せた。それから膝を抱えて座る。


 流石に聖剣の加護を受ける彼女とはいえ、魔王との激戦で魔力を使い果たしたらしく、動ける様になっても戦闘行為には及ばなかった。魔王が未だに余力を残しているのを察してわきまえたのだろう。


 組んだ腕の間に顔を沈めつつ、遠くを見つめるスフィアは深い溜息を吐く。


「戦争が終わる事はとても良い事です。しかし、私は聖剣を従えていながら敵の策に嵌まり、最後の戦いに参加する事すら許されません。私は群衆から非難されるでしょうか……?」


 スフィアの存在が連合にとって大きい事は確かだろうと魔王は思う。圧倒的な実力と、華麗な容姿で戦場を舞う彼女の姿は多くの味方を鼓舞してきたはずだ。民衆もスフィアに期待を寄せ、縋っている者もいるだろう。けれど、それとこれとは話が別だ。


「もしもそうなったら、俺が根絶してやるよ。くだらねぇ。何のためにこの戦争を終わらせたんだかわかりゃしねぇ」


「それだと私はまた貴方と戦わなくちゃいけないですか。でも、貴方の言う通りですね。この聖剣を手にした時、私は弱い人達を守る為に戦うと決意しました。搾取を受けるのはいつだって弱者ですから。でも、その人達に責められたら、私の決意が揺らいでしまうかもしれません。それが怖いのです」


 スフィアの視線は〝私はどうすればいいですか?〟と訴えている様に魔王は感じた。そういう繊細な問題を解決するのは得意じゃない。返しに困って魔王はボサボサと髪を乱暴に掻いた。


「知るかよ。魔王にお悩み相談してんじゃねぇ」


 魔王がそっぽを向きながら吐き捨てると、聖剣使いは口に手を当てながらクスクスと笑みを零し始める。


「……何がおかしい」


「だって貴方、魔王っぽくないじゃないですか。平和を望み、家庭菜園がしたいなんてお爺ちゃんみたいです」


「悪かったな。出来損ないの魔王で」


 魔王はあまりにもスフィアが笑うので、ふて腐れて彼女の元を離れようと立ち上がる。すると羽織っていたマントの裾を引っ張られた。


「良いんですか? 私をここに留めておかなきゃいけないと聴きましたよ?」


「いい性格してるぜ」


 魔王は諦めてどっかりと地面に座り、スフィアに背を向けながら胡座をかく。煮るなり焼くなり好きにしろといった具合だった。


「私が小さい頃、母から聞いた魔王の噂は傍若無人で極悪非道。人を滅ぼす事に熱意を注ぐ斃すべき敵だと。魔族は魔王を絶対とし、君主に逆らわない。だから魔族は人間を滅ぼすのだと」


「そりゃ先代の爺の話だ。俺は違う」


「そうですね、貴方は違います。だからもっと貴方が知りたいのです、魔王。この戦争が終結するまで、私のお喋りに付き合ってください」


 そういって悪戯な笑みを浮かべたスフィアの愛らしい顔が、魔王の脳裏に焼き付いて離れなかった。


…………。


 ずいぶんと鮮明な夢だった。五年ほど前の戦争最後の日の事だった。ディアは長い眠りから目を覚ます。


 窓の外を覗いてみれば、太陽が地平線に沈む間際なのか世界は緋色に染まっていた。どうやら自分でも気づかないほど心身共に疲弊していたらしい。この眠りが短い時間だとただただ祈るばかりだ。


 そして、ディアはあの夢をきっかけに、自分が抱いている感情に気がついた。たった一日一緒に時間を過ごしただけのスフィアがいなくなった事で生まれた喪失感。彼女の事を知りたい、彼女に触れたいと思うこの気持ちの正体は――。


「そうだよなぁ。俺は魔王だ。魔王は他人の都合なんざ考えねぇ。どうしようもなく自己中心的で傍若無人なクソ野郎だ」


 だから、スフィアの抱える問題なんて自分には関係ない。彼女の決意を踏みにじるからどうと言うのだ。刃向かうものは全て叩き伏せてしまえば良い。


 ディアは笑う。決意は固まった。そして思う。聖剣使いが仕掛けてきた勝負に自分は負けたのだと。勝ち逃げは許さない。

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