Episode Ⅷ 『激昂』


 しばらく待つと神秘の森を騒然と揺らす咆哮を轟かせた白龍が、ディアとスフィアの前に降り立たった。


 白龍の羽ばたきにより旋風が駆け抜け、木々や草が盛大に靡く。頬を撫でる風は氷の様に冷たく、白龍の怒りに燃える視線に射殺されそうになる。


 美しい白燐に包まれる龍の体表には氷の鎧が形成されており、さながら騎士の様にも見える。それが臨戦態勢だというのは誰が見ても明白だろう。


『よもや再び貴様らと相まみえるとはな。愚かな人共よ、覚悟はできていような?』


 明確な怒気を孕んだ声音。白龍の口からはキラキラと朝露のように光る白い吐息が漏れる。その視界にはどうやら子龍の姿は映っていない。


「ようクソトカゲ。俺達はテメェの子供を取り返してやったんだぜ? 感謝して欲しいんだが」


 ディアは魔剣を召喚し、子龍が押し込められている鉄の檻を切り裂いた。自由になった子龍は親の元へ帰るかと思われたが、白龍の放つ気迫に怖じ気づいたのか、慌てて駆けだしスフィアの後ろへと隠れてしまう。


 そんな子龍の姿を見て、ディアは苦笑いを浮かべるしかない。状況がややこしくなったのは間違いないだろう。


 人類史の中で、龍の怒りを買った人々が街や村ごと滅ぼされた、という話は珍しくない。それほどに龍の持つ力は強大で、怒りで枷を解かれた時は手のつけようが無い。特に力を持たない者であれば、虫けらの如く蹂躙されるしか選択肢は存在しない。それほど龍は怒らせてはいけない生物なのだが……。


『許せん、許せん許せん! あまつさえ我が子を誑かすとはな! 滅ぼしてくれるわ!』


 一際強く咆えた白龍は空気を大きく吸い込み、胸を膨らませる。


「……それはまずいな」


 白龍の動作が何へ続くのか、ディアには予想ができた。それゆえに対処に困る。刹那の間に思考を巡らせ、スフィアとその後ろに隠れた子龍を守る方法を探る。そして導きだしたのは、あまりにも愚直な方法だったがもう時間がない。これ以上行動が遅れれば間に合わなくなってしまう。


 ディアの身体が動いたのと、白龍が必殺の一撃を放ったのはほぼ同時だった。


 白龍の顎から白い閃光が放たれ、絶対零度の奔流が眼前の全てを飲み込む。龍とスフィアの間に割って入ったディアは魔剣でその流れを真っ向から受け止める。


 龍が幻獣の頂点に立つのは、彼らが最高位の魔法に匹敵する一撃を放てるからだ。それがブレスと呼ばれるもので、ひとたびその力が振るわれれば人など容易に滅んでしまう。


 ブレスが魔力によるものであるなら、同じく魔力をぶつければ対抗できる。瞬時に仮説を立てて行動に移したディアだが、普通に考えれば無謀だ。龍の放つブレスは、熟練の魔道士が束になり、複雑な過程を経て行使される戦略級の魔法と等しい威力を持つ。それを相殺するとなれば気が遠くなるほどの魔力が必要とされる。


 常人には不可能だが、ディアは魔王。体内に蓄えたほぼ全ての魔力を一撃に込めて白龍のブレスを叩き斬った。白龍の放った冷気のブレスは真っ二つに割れ、スフィアと子龍に直撃する事はなかった。


 しかし、三人以外のものは到底無事では済まない。ブレスの範囲内にあった全ての動植物は氷に閉ざされ、周囲の景色が一変する。白龍のもたらした必滅の一撃の被害は、先日ディアとスフィアがやらかして破壊した森の数倍。


『…………』


 自分のブレスが防がれた事に沈黙していた白龍だが、その範疇に自分の子供がいた事をようやく理解し、我に返る。同時に自分の攻撃からディアが子龍を守った事も悟る。


「ハッ、……久々に死ぬかと思ったぜ」


 乾いた笑みを零すディアだが手から魔剣が滑り落ちた。身体に力が入らず、思わず崩れ落ちる。両腕の感覚が消え去っていて笑うしかない。


「魔王!」


 スフィアがディアの身体を抱き起こしながら叫ぶ。ディアの腕は青白く変色し、酷く硬化していた。それが凍傷の極めて重度の症状だと判断できたが、スフィアには有効な治療が主追いつかない。


「火の精霊よ」


 祈るように紡いだ言葉に反応して、スフィアの手の中に淡いオレンジ色の光が生まれる。ゆらゆらと淡い光がディアに触れると、身体全体に光が伝播し優しく肌を温める。


「魔王! しっかりしてください!」


 スフィアの呼び声がディアにはどこか他人事のように聞こえた。自分ではない誰かに言っている様に遠く感じる。自分の手を必死に握ってくれるのは嬉しいが、やわらかな感触も暖かさも伝わってこない。ただただ寒くて、意識が遠のいていく。


 キュウキュウと子龍が心配そうに覗き込んでくる。スフィアが何か呼びかけているようだが、ついには声も届かなくなる。暗くなっていく視界に、朦朧としていく意識。途絶える最後に見えたのは、スフィアのサファイアの瞳から涙が零れる瞬間だった。


                 ◇


 魔王は黄昏に染まる蒼空を眺めていた。そして自嘲気味に笑う。


 黄昏よりも深く赤い血に彩られた戦場には、おびただしい数の屍が転がっていた。敵も味方も入り乱れた骸の山を一瞥してから、唯一の生存者にして敵の最高戦力である金髪の少女を見下ろした。


 少女はボロボロで立っているのも精一杯の様子だが、手にした銀色の聖剣を支えにしてなんとか堪えていた。負けたのにもかかわらず少女の瞳から戦意が消える事はなく、凜とした表情で魔王を睨む。


「なぁ、なんでお前は戦う?」


 魔族と人間による長い戦争を終わらせるべく、魔王として君臨してからはひたすらに敵を屠り続けてきた魔王だが、今日にして初めて殺しきれなかった敵が現れた。その幼い見た目に少し手加減したとはいえ、自分と対峙してまだ立っているだけでも賞賛に値する。そんなヤツと少し話したくなったのだ。


「この戦いを終わらせるためです」


「だから平和のために戦うって言うのか?」


「そうです。そのためなら私は手を汚します。貴方も斃してみせますよ、魔王」


 少女の言葉は真摯だった。同じ事をのたまう勇者は多かった。どいつもこいつも私情が見え透いていて、一蹴していたけれど、この小さい勇者の言葉は信じるに値すると何故か思えた。


 あどけない容姿に反して彼女の身体に宿る強さは、ひとえに聖剣のものだとわかる。聖剣を取れるのは清らかな魂を持つ者だけと聞いていたが、どうやらその通りらしい。彼女の無垢さは魔王にとっては目が眩む。


「俺と同じ意見だな。まぁ、頑張ってくれや」


 魔王は聖剣使いの少女に背を向けると、手をヒラヒラと振って別れを告げる。


「待ってください! どういう事ですか? 魔族は人間を根絶やしにしたいのではないのですか!?」


「ククッ、誰が決めたんだそんな事。俺はこのつまらねぇ戦争をさっさと終わらせて家庭菜園を楽しみたいわけよ。一秒でも早く魔王を辞めたいと思ってる」


「それで魔王が勤まるのですか?」


「魔族は実力主義でね。強いヤツに従う以外の選択肢はない。俺が白と言えば黒でも白だし、戦争を終わらせたいと言えばそれまでさ」


「どうして私にトドメを刺さないのですか……? 貴方の理想に私は邪魔なのではありませんか?」


 そう問う少女の言葉は震えていた。


「さぁな。しかしお前は質問ばかりだな。俺ばっか答えてて不公平だ。次に会うまでに俺も質問を考えておくから、ちゃんと答えろよ?」


 魔王は半身を捻って少女の方を向き、不適な笑みを浮かべてみせる。彼女の事を気に入ってしまったらしい。負ける気は毛頭ないが、同じ程度に殺す気も失せてしまった。これ以上あの少女と喋る必要もないし、やる事は山ほどあるので歩き出す。


「……平和ねぇ。やっぱり悪くない」


 誰にも聞こえない程小さな声でぼそりと呟く。都合良く吹いた強い風が魔王の漏らした言葉を消し去り、戦場に突きたった魔族軍の旗を激しく靡かせる。

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