Episode Ⅵ 『エルフの集落』


 危険度Aランク指定の魔物、エビレックス。脚や胴体の身は硬すぎてとても食えたものではないが、鋏にぎっしりと詰まった肉は美食家の間でも高い評価を得る食材だ。


 旨味が凝縮され、引き締まっているが噛んでみれば優しくほどける。濃厚な香りと味が一度食べれば忘れないだろう。どのような調理方法でも最高の味に仕上がる事は間違いないのだが、殻を剥いた身に塩をまぶして炙り焼きにするのが一番その美味しさを味わえるのだ。


「美味しいです……!」


 小川のせせらぎと、薪のパチパチと弾ける音がする中、エビレックスの身を頬張ったスフィアが感嘆の声を漏らした。


 薪の周りには、木の枝に通したエビレックスの白い身が刺して並べられている。焼き目の付いた香ばしい匂いを放つそれを魔王も手に取り、豪快に噛みついた。


「やっぱ美味いなこのエビ! カニだからエビだかわかんねぇけど」


 ディアの隣には解体したエビレックスの使える部分が置かれている。調理しなかったもう片方の鋏と、尾殻に端に無数に付いていた鋭い棘だ。棘や爪は武器として利用され、鋏の中につまった身は高級食材として高く売れる。


 鋏一つとはいっても、全長五メートルはある大型の魔物の一部位。それ一つで二人分の食事としては少々多いくらいの量になるわけで、一度に二つも食べきる事はできない。


「しふぁし、ふぁおう、ほれはほうするんふぇすふぁ?」


「行儀が悪いぞ。食い物食いながら喋るんじゃねぇ。何言ってるか全然わかんねぇし」


「ん……。失礼しました。魔王、それはどうするつもりですか?」


 スフィアがまだ身の残っている木の枝で指し示したのは、魔王の隣にあるエビレックスの素材だ。質問を終えるとスフィアはすぐさま残りの身を頬張った。


「あぁ。近くにエルフの集落があってな、そこへ持って行って食い物と交換してもらうのさ」


「なるほど。しかし、意外ですね。魔王に魔族以外の知り合いがいるのですね」


「失礼だな。俺にだって交友関係はある」


 スフィアは心底意外そうに目を丸くする。ディアはそんなスフィアの態度を受けてむくれてそっぽを向いた。


 しかし、スフィアの言い分は正しい。人間と魔族の長い戦争は終結したとは言え、終戦からまだ日が浅く、表面下の溝はまだまだ深い。エルフ族と獣人族は戦争の際には人間側についていた訳で、魔王であるディアがそのエルフ族と友好関係を築いていた事が、スフィアには意外だったのだろう。


「しかし、先日魔王も言っていましたがエルフ族は閉鎖的な傾向が強い種族です。どうやって仲良くなれたのですか?」


 新しいエビレックスの身に手を伸ばしながら、スフィアが興味津々といった様子で、瞳を輝かせながら聴いた。


「このエビレックスに襲われている所を助けてやったんだよ」


 魔王は含み笑いを浮かべながら、真横に置いてある大きな爪を拳で小突く。


「あぁ……、それはずいぶんとお気の毒に」


「そのあとバラしたコイツの食い方を教えてやって、でかい焚き火を囲みながらドンチャン騒ぎさ。酒盛りもやったし、気がつけば村長と肩組んで踊ってたっけな」


 ケラケラと愉快そうに笑うディアを見て、スフィアは頬を緩ませた。火に当たり過ぎたのか、彼女の白雪の様な美肌が少し紅潮していた。


 エビレックスを食べ終えたところで、ディアは残った素材を布で包んで肩に背負う。目的地はエルフの集落だ。空を仰げばそこにあるのは青違いの緑ばかりで、蒼空は欠片程しか無い。周囲は見通しが悪いばかりか、三六〇度に同じような古代樹が立ち並ぶ。


スフィアからしてみれば、ディアの住むボロ小屋に帰るのも絶望的な光景だが、ディアはというと余裕そうな表情で歩き出す。その足取りは軽やかだ。


「魔王、道はちゃんとわかるのですか?」


「まぁな。小川の位置からだいたいは推測できる。迷ってもジャンプして確認すれば良いし、悲観する事はないと思うぞ」


「流石魔王ですね。普通はそんな緩い感じで深い森を探索しませんよ」


 スフィアは背の高い古代樹を見やりながら、その背の高さに感心する。地上十メートル程の高さまでは光が満足に届かないためか、枝が分かれておらず登る事は困難を極める。ディアもスフィアも探検家が見たら怒り狂って説教してきそうな軽装だが、聖剣の加護に守られている聖剣使いと、何もかもがデタラメな魔王には縁の無い話しだった。


「よぉし、着いたぜ」


 小川から歩く事一時間ほどで目的地であるエルフの集落へと到着した。

 そこは周囲の樹木の密度が濃い地域と比べると、ずいぶんと明るい場所だった。開けた空間には太陽の光が満遍なく降り注ぎ、他では見られない背の低い若草が風に揺れる。木で作られた小屋がいくつも建ち並び、耳の尖った人間達が出歩いている。


 エルフ達は木人相手に武器を振るう者もいれば、汚れた衣服を籠にまとめて歩く者もいる。子供達が連なって駆け回る姿もあり、平和そのものだ。


「わぁ、本当にこんな深い森に集落があるんですね」


「それで俺が魔王だとかあんま関係ないらしい。俺はやりやすくて助かるけど。あ、おーい! クソジジィ! 来てやったぞ!」


 話しの途中で目当ての人間を見つけたディアは、大声で呼びかけながら大きく手を振った。ディアの視線の先には子供達に囲まれる背の高いエルフの老人がいた。老人はディアに気づくと手を振り返し、のそのそと歩み寄ってくる。


「ディア殿ではありませんか、良く来ましたな。その大げさな包みは?」


「エビレックスだぜ。こいつをくれてやるから、代わりに日持ちする食料を分けてくれ」


 老人は細い眼を一瞬だけ見開き、ほっほっほと笑う。


「これはまた良い物を持って来てくださりましたな。その量から見て、棘もあるのでしょう? ちょうど新しい武器が必要でしてな、助かります」


 白く長い髭を撫でながら老人が言う。


「武器が必要? なんでまたそんなもんがいるんだ」


「ちぃと問題が起きてましてな。それに必要と思いまして。もしよろしければ、お力添え願えませぬか? ディア殿ほどの実力者がおれば村の人間が死ぬ事も無かろうて。勿論、報酬も満足できるかはわかりませぬが、お出ししましょう」


 老人の言葉に混じる物騒な言葉にディアは眉をひそめた。彼らは小動物や果実を狩って生活する極めて穏便な部族だ。死人などという言葉は似つかわしくない。


「とりあえず話しは聴いてやるよ」


「おぉ、それはありがたい。ところで、隣の美人はディア殿の?」


 老人の眉がピクリと持ち上がり、鋭い視線がディアの隣で佇んでいたスフィアへと注がれる。


「そういや紹介してなかったな、こいつはスフィア。高名な聖剣使い様だ」


 ディアの紹介を受けて、スフィアが丁寧にお辞儀する。身体の動きにつられて麗しい金髪が広がり、老人が呆けて声を漏らした。


「自己紹介が遅れて申し訳ありません。スフィア・オルファリオと申します。どうぞ、よろしくお願いします」


「こちらこそ、ワシはゴードン。この村の長老をしております。立ち話も何じゃ、どうぞ中へおいでください。もてなしましょう」


 そう言って、エルフ族の老人ゴードンは村の中へ手招きをした。

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