Episode Ⅳ 『凍てつく咆哮』


 聖剣使いのスフィアが魔王ディアの元へ滞在する事となり、その一日目の朝がやってきた。


 小鳥達の囀りにつられてディアは微睡みから目覚める。寝起き特有の気怠さの中、肌寒さを感じて自分に寄り添う温かいものを抱き寄せた。


 ぷよぷよとした温かい水餅の様な感触。ずっと頬ずりしていたい気持ちだったが、ふと我に返る。あれ、この感触は……?


「むにゃ……魔王、これ以上吸ってはいけませんよ……」


 腕の中でもぞもぞと寝返りを打とうとするスフィアは、寝言を漏らしながら涎を垂らす。もちもちでいてすべすべ、その肌触りの正体は金髪の美少女スフィアその人だったのだ。


 霞がかかったようなぼやけた思考で昨晩の記憶を掘り返す。何故自分とスフィアが同じベッドで寝ているのか。


 考えるまでもなく単純な理由だった。ディアの住まうこのボロ小屋は、樹齢数百年の古代樹や幻獣の生息する神秘の森の中に存在する。日中は過ごしやすい気候だが、深夜から朝にかけては水の精霊が活発化して気温がかなり下がる。


ベッドも毛布も一人分しかなく、床で寝ようものなら間違いなく風邪を引いてしまうだろう。という事で渋々同衾を許したのだった。


「嫌に冷えるな」


 寝息を立てるスフィアを起こさない様、静かにベッドを抜けるとディアは小屋の外に出る。


「なんだこれ……」


外の冴えた空気でも吸って目を覚まそうと考えたのだが、その異様な光景に否が応でも意識が完全に覚醒した。


 昨日の戦闘で周囲は焦土に変わったと記憶していたのだが、今では辺り一面が銀世界と化していた。そんな馬鹿な、と昨日の自分たちの行動を振り返るが、直面している現状に繋がるものは一つも無い。半年近くこの森に住んでいるディアだが、雪が降るなど聞いた事も無かった。しかも、雪どころか馬鹿でかい氷柱までも乱立する始末。明らかに第三者による魔法の行使が窺える。


『ようやく目覚めたか小僧よ』


 不意に声を掛けられ、その方向に振り向くと、ちょうど小屋の反対側に巨大な白龍が佇んでいた。スフィアの青い瞳に匹敵する美しい双眼がディアに冷たい視線を落とす。美しい白燐に、荘厳な二つの角。身体に纏う凍てつく冷気は強烈で、十分に距離を取っているにもかかわらず、肌を刺されるような痛みが襲う。


「この有様はてめぇの仕業かよ、クソドラゴン。寒すぎていつもより早く起きちまったじゃねぇかどうすんだよ」


『――馬鹿者!!』


 脳内に直接語りかけつつ、白龍が咆えた。その迫力は凄まじく、ディアの前髪はひっくり返り、積もっていた雪が盛大に舞い上がった。


 ディアも文句を垂れたら、突然咆哮をかまされて黙る。正直、ビックリしていた。ドラゴンに怒鳴られるなど滅多な事では起こらないが、心臓が思わず萎縮する。


 まさに怒髪天。青い相貌は明らかな怒りを湛えており、今にも飛びかかって来そうだが、そうして来ないところを見るに、高い知性を備えている事が窺える。少なくとも、すぐに手や足が出るディアと比較すれば、数段上の知性である。


「ど、どうしたのですか魔王?」


 咆哮で目を覚ましたのか、小屋から慌ててスフィアが出てきた。ディアの貸した白いシャツを身につけているが、サイズが致命的に合っていない。裾が大腿部まで達しているおかげで隠して欲しい部分は見えないが、この姿はこの姿で扇情的で危ない。色々と。


 そんなスフィアも怒りに震える白龍を見て、瞳を見開く。


「ええと……、白龍様? 私達が何かしましたでしょうか?」


 どうやら彼女も心当たりがないらしく、白龍の真意を掴めない様子だ。


 ドラゴンといえば幻獣の中でも最高位の存在だ。まして、人語を解するとなると、その中でも特別強力な個体だ。普通に生きていたらまずお目にかかれないだろう。


『戯け! 貴様らが戯れたせいで愛しい我が子の眠りを害したのだ! その上、我が森を荒らしおって……、なんだこの有様は!』


 白龍の言い分に二人は弁明の余地が無かった。その怒りも最もなのが、申し訳無い気持ちを加速させる。


 この森は強力な幻獣に守られる神秘的な場所だ、という言い伝えがある。それがどの様な幻獣かという詳細は無いのだが、今二人の目の前にいる白龍が噂の本人なのは間違いなさそうだ。そして、絶賛子育て中らしい。


「……すいません」


「……悪かった」


 深々と頭を下げるスフィアに、バツが悪そうにそっぽを向くディア。


『ふん、今回はその聖剣使いに免じて怒りを静めてやるが、次は無いぞ! 覚悟しておく事だ』


 白龍はそれだけ言って、翼を広げる。軽く羽ばたいただけで狂風が生み出され、視界が雪で閉ざされる。凄まじい風圧に二人がたじろいでいると、飛び立つ間際の白龍が呟く。


『やはりお前は好かん、吸血鬼』


 鞭の様にしなる長い尾が閃いた。白龍の放った一撃は、一瞬だが飛揚する白雪を裂き、ディアを軽々と弾き飛ばす。完全な不意打ちだったが、ディアにはその軌道が見えていた。避ける事さえ可能だったが、反省の意を示すために甘んじて受け入れたのだった。


 乱立した巨大な氷柱を数本ぶち壊し、ようやく停止したディアは、鈍痛に苛まれながら遠くなった白龍の背を見送る。


 術者がいなくなった事で、魔法によって作られていた氷柱や雪は消滅し、雪の下から若草が顔を出した。昨日の夜まで黒焦げていた大地は新緑を芽吹かせ、蒸発した池は元通りに。


ディアは、何だかんだ言いつつ森を修復してくれた白龍に感謝しつつ、したたかな痛みに呻き声を漏らす。


「痛ってぇ……」


「魔王、大丈夫ですか?」


「あぁ、問題ない」


 駆け寄って来たスフィアに手を差し出され、ディアはその手を借りながら上体を起こす。


「すいません、私が貴方に勝負を持ちかけたばっかりに」


「乗ったのは俺だ、気にすんなよ。それより飯にしようぜ、腹が減って死にそうだ」


「……はいっ」


 ディアが腹を押さえながら笑いかけると、スフィアは眉を困らせながらも微笑んだ。


彼女は性格が良すぎるせいか、すぐに自分を責めたがる。はっきり言って悪癖だ。ヒューレル王国第一王子ハビルとの縁談の話しをしていた時も、自国への献身と自分の気持ちは相反し、片方を優先すれば残るもう片方は成り立たない。


ディアへの恋慕を選べば、必ず縁談は袖になり、聖国と王国の関係は今より険しいものになるだろう。そうなった場合、自責の念でスフィアが潰れてしまわないか心配だ。どちらの選択肢を取っても、スフィアの心は傷つく。どうにかしてやりたいとは思うが、腹の虫が邪魔をして今のディアにはその方法が思いつかなかった。


「少し歩くが森の奥に川がある。その川に生息してるでかいエビを食いに行こうぜ。身がぎっしり詰まってて焼くと美味いんだ」


 とりあえずは腹ごしらえだ。考えるのは得意じゃないが、空腹の今よりはマシな案が浮かぶに違いない。


「川にエビですか? 海にしかいないと思っていました。魔王は博学ですね」


「まぁな。よし、そうとさっさと決まればさっさと行こうぜ」


 善は急げと言わんばかりにディアは小屋へと歩き出し、スフィアも慌ててディアの背中を追いかけるのだった。

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