Episode Ⅲ 『宣戦布告』

「そうです、魔王! 思いつきました! 貴方吸血鬼族ですよね?」


 スフィアがそんな事を言い出したのは、彼女がディアの元へ押しかけてきた日の夜だった。もはや隠す気が失せたのか下着姿のままだ。


そもそも彼女の身体に恥じる部分など一つも無いのだが、そこは花も恥じらう乙女。少しは恥じらって欲しいと思うディアだが、その想いはどうやら通じていないらしい。


「あぁ? なんだよ今更だな」


 ディアは読んでいた薬草学の本から目を離し、スフィアに視線を向けた。


「興味ありませんか? 私の血。結婚してくれるならいくら吸ってもいいんですよ?」


 肩にかかった金髪を払い、その細い首筋を見せつける。スフィア的には誘惑しているのだろうが、ディアの理性はぴくりとも揺るがない。彼女の理想を踏みにじるようで言葉にするのは忍びないが、いくらでも吸ってくださいというのは干涸らびたいと主張しているのと同義だ。


「まぁ、美味そうではあるぞ。強い魔力を持つ奴ほど、血に宿る魔力の純度があがる。俺達吸血鬼が美味いと感じるのは純度の高い血だからな」


「じゃ、じゃあどうです? 吸いたいのではないですか?」


 スフィアはわざとらしい上目遣いでしなを作り、ディアに問いかける。


「それは無いな。俺はもう嫁と決めた奴以外からは血を吸わないと決めてんだ」


「では何の問題もありませんね? さぁ、吸ってください! 魔王ディア・ベルシアスが吸血鬼族というのは周知の事実です。ですから、吸血の痣を貴方からの寵愛の証として示せば、さしもの第一王子も頷くしかないと思うのです」


「本当に俺の話聞いてたか? 誰がお前を嫁にしてやるって言ったんだ? 最初から断るって言ってんだろ。ほら、もう夜遅いんだから寝ろよ。そんで明日の朝に帰れ」


 そう言って、ディアは床に落ちていた毛布を拾い上げ、ベッドに腰掛けているスフィアに被せた。


「むぅ、どうしてですか? 何故私ではダメなのですか。理由を教えてください」


 毛布から顔を出したスフィアは頬をむくれさせて、整った顔を歪ませる。そんな表情も小動物の様で愛らしいとディアは思ったが、言ったら調子に乗るのは目に見えているので口には出さない。


「お前の事は好ましく思ってるさ。だが、お前に永久を生きる覚悟があるか?」


「永久……ですか?」


「そうだ。俺は吸血鬼だが、ただの吸血鬼族じゃない。神祖と言われる特異な存在だ。神祖は時間の流れじゃ死なない。不老って奴だな。眷属となった奴も同じ特性を得る」


 勿論、嘘だ。神祖などというものは存在しないし、ディアは魔王ではあるがただ魔力が強いだけの普通の吸血鬼族だ。見た目こそこれ以上老けないが寿命はある。


しかし、スフィアはきょとんとした顔でディアを見つめていた。ハッタリが効いていると確信したディアは、強情な聖剣使いも流石に諦めるかと安堵の息を漏らして、読みかけの薬草学の本を手に取った。


「構いません。私も聖剣の加護で不老ですし、お似合いではありませんか? これはもう運命です! さぁ、今すぐ吸血してください!」


 え? と豆鉄砲を喰らった小鳥の様な表情をするディアに、ぱぁっと笑顔を綻ばせるスフィアが抱きついた。ところ構わず押しつけられるスフィアの柔らかい感触にディアの思考はそれどころではなくなった。


 ずっと感じていたいと思えてしまう彼女の体温と、髪から漂う甘い香りに脳が蕩けそうになる。このままスフィアの白い肌に牙を立ててしまいたいという本能を理性で押さえつけ、彼女の肩を掴んで引きはがす。


 ディアはスフィアから逃げる様に立ち上がると、そのまま微妙に浮いて風が入ってくる扉に手をかける。


「あの、何処に行かれるのですか?」


「ちょっと水浴びてくるだけだ。大人しく寝てろ」


「外は真っ黒焦げですよ? あの小さな湖は干上がってしまいましたし……」


「誰のせいだと思ってやがる。ちょっと歩いた所にもう一つあるんだよ。ここら辺は水源が豊富なんだ」


 スフィアの返事を待たずにディアは夜の闇に溶けた。


 空には満天の星々と、それらよりも一層輝きを放つ二つの三日月がある。ディアの住む小屋の周辺は焦土と化しているが、それ以外の地域は豊かな深緑が広がっている。水源を幾つも有する豊かな森で、幻獣さえも住む神秘的な場所だ。空気はどこまでも澄んでおり、肺いっぱいに吸い込めば頭の中を空に出来る。


 訪れた湖は静寂で満たされており、風一つないおかげで水面は鏡のように空を写している。服を脱いだディアは波紋を刻みながら深く進んでいく。ちょうど腰が水に浸かる程度まで来たところで、ぴちゃりと別の音が聞こえて振り返る。


 動物でもまぎれ込んだのかと思えば、そこには月明かりを受けて金髪を煌めかせる聖剣使いが白銀の剣を抱きながら、水辺につま先を降ろしていた。


「着いて来てたのか」


 気配を完全に消していた事にも驚いたが、何よりも驚愕したのは彼女が一糸纏わぬ姿だった事だ。月光を頼りにスフィアの肢体を見てみれば、足の付け根にも胸元にも、先程までは存在した白い布が存在していない。


 慌てて背を向けるが、自分へと迫る水音が余計に艶めかしく感じて心臓が加速する。


「足音を消したのは風の精霊の加護です。実戦では役に立ちませんけどね。魔王、言いましたよね、貴方を籠絡すると」


「流石の聖剣使い様だな。お前が使う精霊術にはいつも悩まされてたよ」


「それは今もですか?」


「間違いないな」


 早鐘の様な鼓動を押さえつけ、ディアは冷静になろうと深呼吸をする。

 ぴたりとスフィアに密着され、彼女の心音がディアへと伝播する。夜風のせいか小屋で感じた時よりも増してスファアの体温は熱く感じた。


「こっちを向いてください。私をちゃんと見て」


 一瞬離れたかと思うと、小回りを利かせてスフィアがディアの眼前へと回り込んだ。僅かに頬を撫でた風が精霊術によるものだと悟るのにそう時間はかからなかった。


 吸い込まれそうなサファイアの瞳がディアを直視する。


「お、おい」


「これは勇者としての宣戦布告です。私は三日で貴方の元を去らないといけません。ですから、その間に貴方の心を射止めてみせます」


 触れたスフィアの唇の感触は溶けてしまいそうなほど柔らかく瑞々しい。一瞬の出来事にもかかわらず、不意打ちのキスはディアの脳に深く刻み込まれた。


「さぁ、勝負です。魔王」


 ディアの耳元でスフィアが蠱惑的に囁く

彼女から宣戦布告を受けた事は両手では数え切れない程あるが、これほど甘い宣戦布告は初めてだった。

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