第10話
実のところ、ユキと名乗った存在を、おれはどうにも嫌いにはなれなかった。
侵略者と自称しながら、その実やっていることは保身。
おれと秋帆先輩への態度も、どこか親しげなもの。
単なる擬態なのかもしれない。嘘なのかもしれない。それでも、もしかしたらと思ってしまう。
「秋帆先輩は、知らなかったんですよね、葉桜のこと」
あの後、おれと秋帆先輩は駅の近くの喫茶店に入った。机を挟んで座っている秋帆先輩に尋ねる。秋帆先輩は、珈琲を一口飲んでから、口を開く。
「うん。一応、君の周りを探っていたから、裏は取ったんだけど……それこそ昔に大病を患ってたことぐらいで。だから、問題ないかなって『放課後ゲーム部』に誘ったんだけど」
葉桜は、彼女はどうしているのだろう。彼女は何を思っているのだろう。彼女は、どうなるのだろう。
あの憎めない後輩のことを想う。
異星人が、おれに興味が湧いたから戦うといった。ならば、これはおれが巻き込んだことになる。『前回』ではこんなことは、ありはしなかった。そんな様子、欠片もなかった。
苦し紛れに、秋帆先輩に聞いてしまう。
「本当に、敵なんですかね、あいつは」
「――うん、そうだよ。だから、私は未来から来たんだ」
断言される。有無を言わせぬ語調で、彼女の背負うものを知らないおれは、何も返せない。
ただただ空気が重くなる。何か言わなければと、思い至ったことを問う。
「そういえば、どうして、おれにその、タイムリープする道具を渡したんですか? えっと、いまの秋帆先輩に聞くのも変な感じですけど」
秋帆先輩は、じい、とおれを見た。それから、胸元に手を入れた。その狭間から取り出されたのは、見覚えのあるお守り。おれが、かつて渡されたタイムリープの道具。
彼女は、手元のそれを見つめる。
「最初は誰にも教えずに、私だけが使う予定だった。過ぎた技術革新は、そのぶん戦いを早めて猶予をなくしちゃうし、場合によっては人間同士の争いだって考えられるから……だからこれを私に託した未来の皆は、何も教えてくれなかった。これを誰にも渡さないようにって言ってた。でも……」
再び、目を向けられる。静かに熱が篭った瞳。おれを見ながら、おれじゃない何かを見ている目。
「きっと、君に期待してたんだ。いまの私と同じように」
独白するように、彼女は言った。
今日は誰も彼もが持ち上げてきて、正直、調子が狂ってしまう。
「それって、何度も使えないんですか?」
「うん。ほら、押してみて。君が使ったのは、これだよね?」
お守りがほどかれ、取り出されるボタンの着いた器具。差し出されたそれを、おれはおずおずと押した。
しかし、何も起こらない。
「私は科学者じゃないから、わからないけど、時間を戻れるのは一つの機械に一度だけなんだって。たとえ使われたのが、別の時間でも。不思議だよね。まるで、見えない力が働いてるみたい」
手元のそれを、手のうちでもてあそぶようにカチカチと彼女は鳴らす。
「タイムマシンも、タイムリープマシンも、もうただの鉄屑になっちゃった。また未来でタイムマシンが作られるまでは、コンティニューなし。文字通りの一発勝負だよ」
「……責任重大ですね」
「気張れよ、若者!」
「若者って……そういえば、秋帆先輩って実際は何歳なんですか?」
「そういうこと聞くの私は良くないと思うなぁ」
「あっはい」
強制的に話を打ち切られてしまった。
未来人であることは教えてもらった。異星人と戦うために未来から来たことも教えてもらった。
しかし、秋帆先輩がどんな生活をしているのか、未来ではどんな風に過ごしていたのか。改めて、秋帆先輩のことを何も知らないのだと実感する。
これから知っていければよいな、と思った。
「……そういえば、告白の返事なんだけど」
来たか、と思った。聞きたくない気持ちが半分、聞きたい気持ちが半分。
告白した時点で、もはや達成感のようなものはあった。だがそれとこれとは別だ。
気体に、ごくりと喉を鳴らしてしまう。
秋帆先輩が、その艶やかな唇を開く。
「ごめん! 夏瀬くんとは付き合えない!」
言葉が耳を通り抜けた。
脳が理解を拒む。
これは……振られた?
申し訳なさそうな秋帆先輩の表情を確認して、理解する。おれは、振られた。
だがしかし、思うのだ。『前回』何もしてこなかったようなおれが、未来を変えに来た先輩のような人と並び立てると考えるのは、烏滸がましいと。
秋帆先輩のこれは、むしろ賢明な判断なのだと。
「そうですよね。おれなんかが告白なんて迷惑なことしてすいません生きててすいません……」
「ち、違うの! そうじゃなくて」
自己嫌悪に呑まれかけたおれを、秋帆先輩が引き留める。
「私、未来の君と会ったことがあるの」
「未来の、おれと……?」
寝耳に水だった。落ちかけた意識が再浮上させられる。
「未来では、政府が『ヴァーサス』で優秀なプレイヤーを引き抜いてたの。『ヴァーサス』が一般人もできるようになっていたのは、実際にアルターを動かす、優秀な人材を探すためだったから」
そんな裏事情もあったのか、と納得してしまう。無名の会社が、徐々にとはいえ世界で展開したのだ。一体資金がどこから出ているのかとは言われていたが、国が後ろにいるのならば道理であった。
「私がまだ子供だったとき、『ヴァーサス』について、未来の君にちょっとだけ教えてもらったことがあるんだ」
彼女の視線は、どこか遠くへと向かう。きっとそこは、彼女の過去で、いつかの未来なのだろう。
「憧れ、だった」
秋帆先輩は珈琲に口をつける。両手でカップに触れたまま、黒い液面を眺めて話す。
「未来の君はすっごく強くて、ちっとも勝てなかった。私が君と会ったときには、世界でも十指に入ってた。周りの子たちも、みんなも憧れてた」
本当に、自分のことを話されているのだろうか。疑わしくなってしまう。
いや、別の未来の自分の話なのだ。今のおれでも、『前回』のおれでもない。彼女の記憶の中で脚色されているのかもしれない。
だけれど、秋帆先輩の語り口から、彼女の強い感情が垣間見える。
感じるのは居心地の悪さと、未来の自分へのほんの少しの妬ましさ。
「でも、君は死んじゃった」
僅かに湧いた暗い感情は、即座に霧散した。
「おれに近づいたのも、『ヴァーサス』から引き離そうとしたのも、それが理由ですか?」
「うん……でも、正直、落胆したところはあったかな。大人になった君と比べて全然弱いし、決断力はないし、直ぐ調子に乗るし」
何の言い訳もできなかった。内心頭を抱えてしまう。
「だけど、君はやっぱり、私の思った通りの人で、安心した。私の知ってる君とは『ヴァーサス』の力量も、性格も、全然違うけど、君は君なんだね」
「……十年も、かかっちゃいましたけどね」
「でも、駆けつけてきてくれた」
秋穂先輩は、じっとおれを見て、柔らかく微笑んでくれる。
「それでね、夏瀬くん。私は、きっといまの君のことを、ちゃんと見れてない。もう少しだけ、待ってくれるかな?」
「……はい」
希望を残す、ずるい言い方だ。でも、それでいいのだと思った。少なくとも、今はそう思えた。
「それと、お願いがあるんだけど……」
「? なんですか、秋帆先輩」
「……」
秋帆先輩は、自分から話を切り出して、しかし次の言葉が出てこない。
開いては閉じる口。十数秒繰り返して、やっとのことで言葉が放たれた。
「みらい、って呼んでもらってもいい?」
「え…………っと、何故でしょうか……」
「未来のあなたにそう呼ばれてたの。だから呼んでほしいんだけど……だめ?」
「だめじゃ、ないですけど」
さっきと言ってたことが違くないですか? とか、未来のおれが羨ましいぞ! と思ったりもする。
上目遣いで頼まれてしまう。しかし結局は、惚れた方の負けなのだ。
おれは、恐る恐る、頼まれた文字列を口にする。
「み、みらい、さん」
「さんはいらないよ」
「それはちょっと、まだ勘弁を……」
「……もう、仕方ない夏瀬くんだねえ」
十年経って名前さえも満足に呼べないおれに、秋帆先輩は、呆れた風に笑うのだった。
◆
翌日からは、おれはいつにも増して『ヴァーサス』漬けの日々だった。
秋帆先輩が言うには、そもそも『ヴァーサス』は最初は全部のシステムが明かされておらず、技術者たちが解析していき、ゲームとしての体裁を整えて機能を開放していっているらしい。秋帆先輩が時折バイトと称していたのは、これの手伝いだそうだ。
そして、解析の過程で見つけられた機能を一足先に使えるようになった。
機能、といってもアルターが強化できるとかではない。グローバル対戦、平たく言えば、全世界のプレイヤーとの対戦が可能になったのだ。
『えいちゃん……じゃなくて、寄生してる異星人は、普段から私たちと一緒に『ヴァーサス』をしてるって言ってた。君のクセとかはまず、知られていると思っていい』
既に『ウォリアー』に乗り込んでいる中、秋帆先輩の声が届けられる。これも、まだ公開されていない機能の一つらしい。
「でも、今から一から新しいアルターを作るのは、厳しいですよね」
「うん。だから結局のところ、こうして何が来てもいいように訓練するしかないんだけど」
喫茶店を出て別れる前に、秋穂先輩といくつかのことを話した。ユキが『ヴァーサス』で何を使ってくるか、という話だ。
慣れた『アラクネー』を使うだろうか。異星人基準で自重しない強化をしてくるのだろうか。『アラクネー』なんか目じゃない、もっと無茶苦茶なアルターを使ってくるかもしれない。
だけれど、やることは変わらない。
秋帆先輩が監修して癖の修正をしたり、秘策を考えたりと、『ヴァーサス』漬けの日々を送る。
六日が経ち。ユキとの勝負を前日に控える、
次の日には決戦があるのだというのに、やっていることはゲームばかりと変わらないせいで、いつも通りの日々にも思えた。
そこに、葉桜がいないことを除けば。
あの小うるさくも、目を離せない後輩を想う。
秋帆先輩によると、あいつはおれと同様に『ヴァーサス』をこの一週間続けているのだという。こことは別の施設で、らしいが。一体『ヴァーサス』内で何をしているのかまでは、把握できなかったらしい。『ヴァーサス』を作ったのは彼女らなのだ。主導権はあちらにある。
勝って後輩を取り戻すと、強く想う。実際に彼女の前で言えば「こんな時だけ都合がいいんですから」なんて笑われそうだから、口が裂けても言えないけれど。
『ヴァーサス』のし過ぎで疲労した頭で、葉桜のことを考えていた。明日が決戦であると気もそぞろになって、ユキとの会話を思い返す。
五連戦を勝利で終えて、秋帆先輩との反省会のあと、浮かんだ疑問を尋ねる。
「あの、異星人ってみんなあんな風でした? あんなっていうか……葉桜みたいな?」
「私が見たことある映像は、基本的に公的な場面だからかもしれないけど、あんまりそんな素振りはしてなかったかな。壁のあるような、距離がある感じっていうか……」
「なら、葉桜から影響を受けているって可能性もありますかね」
「それは、なくもないかもね。意識体だって言ってたし……」
だとしたら、最悪だった。ただでさえよくわからない宇宙人が、葉桜ぐらい性根のねじ曲がった宇宙人ともなれば、打つ手なんてない。
ユキとのやり取りを思い返す。比較的素直な彼女。屈託のない笑みは『前回』の十年後に見たものに近い。しかし時折見せる悪い笑みは葉桜のもの。ちぐはぐな印象。
頭に何か引っかかる。
心なし友好的な、ユキと名乗る異星人。
異星人は積極的に人類を滅ぼそうとしているわけではない。
何故勝負を仕掛けてきたのか。あの葉桜のような挑戦的な姿勢は何なのか。この戦いで、何を企んでいるのか。
そして、葉桜の秘密。
一つの可能性に、思い至った。
「秋帆先輩。ユキを、あいつを許せますか?」
息を飲む音が聞こえた。我ながら、馬鹿なことを考えて、余計なことを言っている気もする。これで先輩に嫌われてしまっても、おかしくはないだろう。
「何か、思いついたんだね」
「はい。といっても、あくまでそうだったらいいな、レベルの考えですけど」
「そっか」と秋帆先輩は返して、きっかり一分溜めてから、秋帆先輩は語る。
「私は、未来を変えに来た。だから、もし君がそれをできるんだったら、許すよ」
「……ありがとうございます」
「その代わり! ちゃんと勝ってきてね!」
「それは、約束できないですね……」
「もう! こういうときはとりあえず頷いておくものだよ!」
きっと仮に共存できるとしても、彼女と異星人との間にわだかまりは残るのだろう。それでも、憂いは絶った。
時間が戻ることはなく、勝負の日が訪れる。
『明日の十七時に来てください。遅れないでくださいよ』と書かれたメールが送られた。ゲームセンターのエントランスで二十分前から待っていれば、葉桜は予定した時刻から十分前にやってきた。
「女の子を待たせないのは、せんぱいにしては上出来ですね……アキさんはいないんですか?」
「今日は、秋帆先輩は来てないよ。一緒に来たら、デートに他の女の子を連れてくるんですか? とか聞いてくるだろ、お前」
「もちろんです。よくわかってるじゃないですか」
白く透き通るような、底の見えない笑顔で肯定するユキ。
「では、せんぱいが私の為に一体どんな準備をしてきたのか、楽しみにしてますね」
かくして勝負の時が来た。
『前回』の十年後から始まり、タイムリープを経て始まった。
初めは秋帆先輩の力になりたいだけだった。かつて得られなかった青春を取り戻したいだけだった。
それが今や、未来人と異星人の存在なんて明かされてしまった。後輩を、更には世界なんぞを賭けた戦いになった。
おれは『ヴァーサス』を起動して、『ウォリアー』に乗る。
秋帆先輩から、戦闘中にアシストはいるかと問われたが、遠慮した。相手が誰であろうと、これは『ヴァーサス』の、一対一の真剣勝負なのだ。
葉桜のアカウントから、勝負の申請を送られる。おれはそれを、承諾する。
周囲の空間が移り変わる。
フィールドは、葉桜と初めて戦った『市街地(夜)』。
『市街地(昼)』と比べて視認性が低いが、問題はない。
そのはず、だった。
「葉桜のアルターが、いない……?」
対戦相手の姿はない。対戦のカウントも始まらない。
周囲を見回していれば、視界の端に、何かが映る。
そちらに意識を向ける前に、異常が起こる。
目の前に夜の闇より暗い穴が出現する。
黒の中から、そいつが現れる。街の光にわずかに照らされて、そいつの姿を視認する。
二本足で立つ、腹の膨れたトカゲのような化け物。
『ウォリアー』よりも頭一つ分背の高い姿は、『前回』見た怪獣そのもので。
おれの視界の隅には、『10:00』と表示されていた。
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