第9話
「わたしはせんぱいに勝負を挑みます。負ければ、私は侵略を取り下げましょう」
黙りこくるおれと秋帆先輩に構わず、葉桜は一方的に話し続ける。
「といっても、難しいことを考える必要はありません。これは言うなれば、ボーナスステージです。仮にせんぱいが負けても人類の命運には影響しません。つまるところ、せんぱいの勝利条件は一つ。悪い宇宙人を倒して、本当の後輩を取り戻すだけです」
理解が追い付かない中で、不可解な言葉を脳が拾う。その言葉を無理やり咀嚼するように、おれは呟いてしまう。
「取り戻す?」
「はい。いまあなたと話しているこの私は、葉桜えいりに寄生した異星人ですから」
「……は?」
「ああ、ご安心ください。葉桜えいりとは、対等な交渉を行い身体をお借りしている関係です」
目の前の後輩は、おれに対して見当違いなフォローをしてくる。
にこりと笑う、葉桜ではないらしい何者か。
「もっとも、今後の展開次第では変わりますが」
「……葉桜にしては、一から十まで冗談、キツいな」
「ではでは、せんぱいさんはどうしたら信じてくれますでしょうか?」
「最初に、貴方たちが来た日は?」
彼女の問いに、秋帆先輩が前に出て質問する。
「五年前の一月二日ですね。深夜一時十六分です」
「場所は?」
「ペルーのナスカの地上絵のすぐ側です。いやー、あれを見たときは、既に同族が来ていたのかと思っちゃいましたよ」
あっけらかんと言い放つ葉桜。秋帆先輩は、険しい表情を浮かべていた。
「他には何の話をしたらよいですか? 私たちが与えた猶予が三十年のみということですか? 異星人を信じられない方のために、遠くの惑星をひとつ破壊してみせたことですか?」
「秋穂先輩?」
「うん……合ってる」
饒舌な葉桜の言葉を、秋帆先輩は肯定した。
秋帆先輩を疑うわけではない、しかし、にわかには信じがたい。なんなら、彼女も事情を知るということさえあり得る。
「あ、それにいまの私なら、空だって浮かべますよ」
唐突に、葉桜の身体はふわりと浮かんだ。重力に逆らって、誰もいない公園をスケートのように移動していく。おれたちの周りをぐるぐると回り、目が合えば笑顔で手を振ってくる。
どうにも、認めるしかないようだ。彼女が、おれの知る彼女ではないということを。
おれたちの前に戻って、葉桜は着地する。
「これでも信じていただけないのなら、いまから天変地異を起こしても構いませんよ?」
「わかった、わかったから。お前は葉桜じゃなくて、異星人なんだな」
「物分かりのいいせんぱいさんですね。そういうとこ、好きですよ」
「……そうかい」
にこやかにそういう彼女に、調子が狂わされてしまう。何を聞けばいいのか、上手くまとまらない。
「あ、確かにいまの私はせんぱい方の敵みたいなものですけど、そんなにトゲトゲしくしないでいただけると私としては嬉しいですね。いつも皆さんと一緒に遊んでる仲ですし」
「どういうことだ?」
「えいりの『アラクネー』の操縦のお手伝いをさせていただいてましたね。あんなの並列思考もできない普通の女の子が使いこなせるわけないじゃないですか」
「だよなあ。アレ動かすの無理だよなあ。一回無理言って触らせてもらったことあったけどおかしいと思ったわ。というかあんな動きするやつ後にも先にも見たことねえよ」
「夏瀬くん、ほだされてるほだされてる」
納得していると、秋帆先輩に肩を揺すられる。危ない。『ヴァーサス』の話題を振られてついうっかりしてしまった。
「なにより、この肉体とはあなた方よりも付き合い長いですし、愛着だって湧いてます」
「でも、お前は葉桜じゃない」
「ええ、そうです。分かってるじゃないですか」
にやりと唇を曲げる、葉桜ではない何者か。
「そうですね、では私のことは葉桜えいりではなく、ユキ、とお呼びください。呼び名がなければ不便でしょうし」
「なら、おれを先輩呼びするのも変えてくれないか? ややこしくて仕方ない」
「え、嫌ですけど。あなたのことはせんぱいと呼ぶのを継続させていただきます」
「……理由は?」
「せんぱいの反応が面白いからですが?」
「お前ほんとに葉桜じゃないよな? ほんとなんだよな?」
「ほら、そういうとこです」
親しげに会話してくるユキ。その態度は、到底侵略者とは思えない気安いものだ。それこそ、『前回』の十年後に見た惨劇を生み出したとは、思えないほどに。
だから、浅はかにも聞いてしまった。
「お前が本当に、地球を侵略しに来たのか?」
「――ええ、そうですよ、そこは揺らぎません」
断言される。真正面に見据えられて、蛇に睨まれた蛙のように体が固まってしまう。
先程までの友好的な雰囲気は霧散して、がらりと冷たい空気に変わった。
「せんぱいさんはそのあたりの事情をご存じないようですので、一から教授してあげましょう。まず、私たちには、あなた方が意識と呼ぶものに相似したものしか持ちえません」
ユキは、おれの知りもしない裏事情を語っていく。
「五年前にこの星に訪れたとき、私たちは驚きました。異なる性質の意識を、個体としての身体に持つ存在。単純な意識体同士であれば、よかったのです。意識体ではなくても、同一種類であれば話は早かったのです。私たちは、直接情報を送り合い、共感し、理解し合うことができます。しかし貴方たちと私たちは、真の意味で分かり合えません」
彼女はひとつ、息継ぎをしてから、再び口を開く。
「分からないというのは、恐怖です。それは人類だけでなく、私たちも例外ではありません。あなたたちが本当に、私たちとは様式を異なるだけの、意識を持つ存在であるのか。私たちがするべき行動は共存か、支配か、殲滅か。それを知るために作成し、渡したものが、『ヴァーサス』なのです」
「えっ、待って、『ヴァーサス』作ったのって人外だったの」
「夏瀬くん、話の腰を折らないの」
「す、すいません」
驚いてつい口を挟めば、窘められてしまう。それを見るユキは、クスクスと笑っている。
『ヴァーサス』を作ったのが、まさかの地球外生命体だとは驚きだった。いや、「既存の技術では作れるわけがない」とか言われているのはネットで見たことがあった。あったが、まさか本当にそうだとは思うわけもない。
「じゃあ、話を続けて」
「どもです、アキさん。といってもアキさんは既にご存じの内容なんですよね?」
「……貴方たちの行動原理の詳細は、知らなかった」
「そうでしたか。なら、お話しした甲斐があるというものです。アキさんだって、未来からはるばる来たんですからね」
「……」
無言で応じる秋帆先輩。ユキは気にした風もなく、口をきゅっと結んでから、話を続ける。
「私たちが提示した『ヴァーサス』のアルター、それを実際に製造できるかどうかで創造性を、戦いにより対話のテーブルへとつく資格があるのかを知ります」
「……なんでそんな、面倒なことを?」
「地球への侵攻において、私たちは不理解からの拒絶ではなく、対等な勝負を望みます。あわよくば人類の進化を望みます。啓蒙、とでも申せばよいのでしょうか? ……言語による対話は、やはり難しいですね」
ユキは頬を掻きながら、答える。
「おおよその事情は、お話しした通りです。理解はできましたか?」
「た、多分?」
葉桜に寄生する宇宙人は、VRゲームである『ヴァーサス』によって、未知の存在である人類を試している。その結果によって、人類の命運が決まる。要約すれば、だいたいこんな感じだろう。
「まあ、理解できずとも問題ないです。話を戻しましょう。私はせんぱいさんに勝負を挑みます。やることは至って簡単、『ヴァーサス』を使って、どちらかが倒されるまで戦うだけです」
「……つまり、いつもと変わらないってことか」
「ええ、いつも通りです」
『ヴァーサス』で戦うのも、勝った方が負けた方に罰ゲームを課すのも、いつものことだ。
ただ、賭けられるものが異なるだけ。普段ジュースを奢るのなんて目ではない。勝利によって与えられるのは、地球への侵略の取り下げというあまりにも大きなトロフィー。
それを賭けて戦うのがこのおれだなんて、力不足もいいところだ。
「どうして、おれなんだ? なんで今、明かしたんだ?」
「私は人類のことを知るために葉桜えいりの身体に寄生しました。そして、その葉桜えいりが一番興味を持つのは貴方ですから、というのが理由ですね」
「興味って」
「あ、もちろん私も興味津々ですよ」
「それはそれは」
喜んでいいのか悪いのか。顔がひきつってしまう。
それに、きっと葉桜が抱く今のおれへの興味なんて、吹けば飛んでしまうほんの些細なことだろう。おれが大層な人間ではないことは、おれ自身が分かっている。
だというのに、ユキはにやりと意地悪そうな顔をして、突拍子もないことを言い出す。
「なんなら、私が勝利したときには、せんぱいをいただくことにしましょうか?」
「そ、それは、ダメ!」
秋帆先輩は逃さぬようにおれの腕を抱いて、ユキを睨みつけた。腕に柔らかいものが当たってる、気がする。これは一体どういう意図があっての行動なんでしょう、なんて聞くこともできずに、おれはされるがままに石像になる。
「冗談ですよ、冗談。それにしても、いつの間にやら仲が良くなったようで、妬けちゃいますねえ……」
一言呟いたあと、ユキは人差し指を一つ、立てる。
「では、勝負は一週間後としましょうか。私にも少し、おめかしのための時間が欲しいので」
一方的な宣言。戦いは、避けられないらしい。
おれは、最後に彼女に問う。
「ユキ。どうして葉桜は、お前に体を貸している?」
「――それは、本人に聞いてみてください。女の子の秘密を気軽に聞いたらだめですよ、せんぱい」
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