第8話

 二日後。決戦の十六時。

 勝負を受け入れられたが、実のところ、確実に勝てる自信があるわけではない。

 秋穂先輩との『ヴァーサス』での勝率は、僅か二割程度。

 絶対に勝つと豪語するには心もとない数字。それでも、勝たなければならない。


「今日は早いね」

「……先輩こそ」


 ビル内部の休憩所で、秋帆先輩と落ち合う。先輩も既にジャージに着替えていた。おれと同様、既に準備運動は終えているようだ。


「じゃあ、また『ヴァーサス』で」

「はい……秋帆先輩」

「なあに?」

「この勝負、勝たせてもらいますから」


 言葉少なに、その場から出ようとするのを引き留める。宣戦布告を前にして、秋帆先輩は不敵に素敵に微笑んだ。

 そして、『ヴァーサス』を起動する。

 アルター内部へと入る。搭乗する。意識とアルターの動きをリンクさせる。

 身体は我が物のように動かせる。既にブランクは取り戻せた。『ヴァルキリー』相手を想定した調整も万全。

 秋帆先輩とのこの戦いは、それこそタイムリープする前から何度も何度も考え続けてきた。負けたときの記憶を頭の中で何度も何度も繰り返す、あのときああすればと振り返って後悔する、意味のなかったはずの行為。

 おれのタイムリープに意味があるのならば、タイムリープする前の十年は、きっと今日このときのためにあったのだ。

 仮想の身体で深呼吸して、秋帆先輩のアカウントへ、対戦の申請を送る。

 承諾されたという表示。

 場所が移り変わる――エネミー戦をしたときと同じ、荒野のフィールド。

 いまのおれと秋帆先輩との間に、隔てるものは何もない。


「今日は、いつも通りですか」

『うん、全力でやりたいからね』


 今日の『ヴァルキリー』は、装甲は減って普段通りの二本槍。『前回』と同じだ。秋帆先輩は、ここぞというところでそれを使うと知っていた。

 戦闘開始のカウントが始まる。

 3。


『夏瀬くん、キミはもう知ってるかもしれないけど、先に言うね』


 秋帆先輩が語る。

 2。


『私が勝ったら、キミには『ヴァーサス』を辞めてもらう』


 おれは、両手を構える。

 1。


「――ええ、知ってましたよ!」


 0。と同時におれは、右に回り込むように走る。

 おれと秋帆先輩の戦闘スタイルは、かなり近い。だから読み合いとなる。単純な力量においても、武器のリーチにおいても『ヴァルキリー』に分がある。

 秋帆先輩もこちらに近づく。左手の槍が、わずかに内側へと傾く。左を前に出し、盾で頭を守りながら距離を詰める。

 槍が横薙ぎに払われる。盾で防ぐ。衝撃が伝わる、踏みとどまって右腕を突き出す。『ヴァルキリー』の左腕の関節部めがけて殴る。殴る。殴る。

『ヴァルキリー』に蹴りを放たれる。装甲で受け止める。踏ん張らずに、蹴られたままの勢いで『ウォリアー』は下がる。

 距離が開けば、『ヴァルキリー』はすかさず二本の槍で突いてくる。殴打してくる。一方的な攻撃を、両腕の盾で防御する。


『これじゃいつもと同じだよ? 挑んだからには何かあるんでしょ? もっと驚かせてみてよ!』


 ずっと一緒に『放課後ゲーム部』として活動しているのだ。手の内は知り尽されている。

 『ウォリアー』の必殺技であるパイルバンカーは、ゼロ距離でなければ使えない。また、発動にだって手順を踏む必要がある。

 『前回』のおれは、いつも通りの装備で勝とうとした。正々堂々、なんて勘違いしていたのだろう。しかし今のおれは『前回』のおれではない。

 左側の槍が振り降ろされたタイミングに合わせて、おれも左の盾を振り上げる。槍をカチ上げる。ほんの少しだけできる時間。おれは『ヴァルキリー』の顔に左腕を向ける。腕を伸ばす。そして起動させる。

 左の掌から出たのは、パイルバンカーではなく、広範囲に広がる炎。

 ロボット相手に直接的な威力はないに等しい、火炎放射器。燃料の制限で短時間しか使えない攻撃。

 左腕につけたこの機能は、目くらまし程度にはなる。パイルバンカーが来ると予測していた『ヴァルキリー』は、多少無理な回避の動作に入っていた。更には炎の光によって『ヴァルキリー』の視界は奪われた。

 距離を詰める。盾を振りぬき、『ヴァルキリー』が左手に持つ槍を弾き飛ばす。


『! ――こ、のっ!』

「――ッ!」


『ヴァルキリー』の視界はまだ完全に戻ったとは言えないだろう。なのに即座にその場で後方に宙返りして体勢を戻し、更に突き出された槍によって追い打ちを阻まれる。咄嗟に防御したが、左腕の盾がついに砕かれる。

 互いにその場で睨みあう。熱で弱っていた『ウォリアー』の左腕は、盾を壊された衝撃で既に使い物にならない。むしろダメになったのがこちらの腕なのが幸いだ。


『強く、なったんだね。いつの間にか』

「そんなこと、ないですよ」


 調子が戻ったあとでも、秋帆先輩の前では全力を出し切ってはいなかった。しかし、本気を出し渋っているのは秋帆先輩だって同じ。体操選手のような動きをするアルターなんて初めて見た。


「でも、槍が一本なくなっただけで有利になったと思わないでね」

「……もちろん」


 それはもう、痛いほどに理解している。

『ヴァルキリー』の槍を一本奪う。ここまでは、『前回』も辿り着いたのだから。

 ここまでは、望んでいた通りの流れだった。

 ここからは、我ながら情けないことだが、秋帆先輩に賭けるしかない。

 待ち構えるおれに、秋帆先輩は槍を突き出す。リーチを活かした一方的な連撃ではない。全身を突撃させる突き。おれは、その見え透いた攻撃を横へと避ける。


『――獲った!』


 『ヴァルキリー』が、慣性を無視した急停止をした。アルターの視界から見えるのは、『ウォリアー』へと回るように身をひるがえし、腕を一度曲げて強烈なスイングを放つ姿。

 その動きを、おれは知っていた。

 秋穂先輩が、何の考えも無しに単純な突きをしてくるわけがない。それなのに『前回』のおれはまんまと引っかかり、敗れてしまった。

 思い出すたびに悔やみ、もし気を緩めなければやれただろうにと夢想し続けたあの瞬間。

 盾を滑り込ませる。金属のぶつかり合う音。

 無理やりに受け流す。腕がきしむ音など知ったことではない。

 槍を持つ『ヴァルキリー』の腕を盾で殴りつける。盾は弾けるように砕けたが、槍を『ヴァルキリー』の手元から離すことに成功した。

 槍を回収される前に、体ごとぶつかり突き飛ばす。『ヴァルキリー』は、秋帆先輩の絶技としか言えない機体制御で即座に体勢を立て直し、追撃する隙を与えてくれない。

 再び距離を置いて、睨みあいとなる。


『ひょっとしなくても、知ってた?』

「はい、秋帆先輩から、教えてもらいましたよ。足の裏から杭を出して、急停止できるって」


 勿論、それだけの単純なギミックならば、あのような動きはできまい。アルターを操縦する秋帆先輩の力量あってこそだ。


「そっちの槍は二本なくなりましたが、降参します?」

『まさか。こっちはまだ腕が二本、足が二本残ってるんだよ。最後の最後まで戦うに決まってるじゃん』

「まあ、そりゃそうですよね。」


 諦めが悪く、勝負が好きで、どんなときにも勝つことに貪欲な秋帆先輩。

 そんな先輩を倒したかったのだ。

 腕を構える『ヴァルキリー』。『ウォリアー』も、残った一本の腕を構える。

 これが、最後の一勝負。

 ここまで来たら勝っても負けてもいい、なんて言わない。絶対に勝ってみせると強く誓う。

 腰を落とす。拳を握る。仮想の脚へと力を入れる。

 走り出す寸前――昂ぶりが弾けて、勝手に言葉が出てしまった。


「秋帆先輩!」

『なに、夏瀬くん!』

「――好きです、おれと、付き合ってください!」


 これまで溜め込んでいた思いの丈を、打ち明ける。

 そこには何の意図もない。ただ気持ちが盛り上がって、口から勝手に出てしまった言葉だった。


『……うぇ?』


 秋帆先輩の素っ頓狂な声が聞こえた。同時に『ヴァルキリー』の構えが緩む。


「あっ」


 隙だらけの『ヴァルキリー』に、ブラフと警戒することもなく、好機と体が勝手に判断していた。いつの間にか『ウォリアー』で『ヴァルキリー』を押し倒してしまった。

 とりあえず、右腕のパイルバンカーを放った。『ヴァルキリー』は特に何の手を打つこともなく、その一撃を食らう。

 おれの勝利を告げる画面が表示される。

 十年ぶんの時間と思いをかけた戦いにしては、何ともあっけない終わりだった。



 ◆



「ずるい、あんなの」


 ちょうど二人以外いない休憩室。広いソファーの隅と隅に座っていた。秋帆先輩は、すねたように顔をこちらに向けてくれない。口を尖らせ咎めてくる。

 いや、本当にそんなつもりではなかったのだ、と言い訳しても許されまい。


「勝てばいいんですよ、勝てば」

「……そんなに、私に勝ちたかった?」

「――ええ、ずっと、ずっと秋帆先輩に勝ちたかったです」


 もっとも、望んでいたのはこんな勝ち方ではない。しかし、勝ちは勝ちだ。


「そっかあ……なら、仕方ないのかな」


 秋帆先輩は、白い天井を見上げる。その瞳の見る先が、近くに感じた。


「うん、負けちゃった。それで、夏瀬くんは、私に何をしてほしいの? いまなら、何でもしてあげるよ」


 何でも、という言葉にごくりと生唾を飲み込む。

 ではなく、邪念をどうにか振り払って、温めていた言葉を出す。


「秋帆先輩。おれを、先輩と一緒に戦わせてください」


 何に、とは言うまい。

 秋穂先輩は、一度目を伏せてから、こちらに向きなおる。


「夏瀬くん。実は私、タイムマシンを使って未来から来たんだ。敵を倒して、未来を変えるために」


 先輩は、未来人だったらしい。驚きよりも、納得があった。


「敵、って、怪獣ですよね?」

「そこまで知ってるんだ。うん、そう。怪獣っていうよりは、異星人、って言った方が正しいけど……私の未来では、人類は負けちゃったんだ」


 俯きながら、秋帆先輩はいう。


「でも、夏瀬くんがまた未来から来たってことは、結局私は変えられなかったんだね」

「なら、おれと一緒に変えましょう。未来を」


 少しキザなことを言っているのかな、と思いつつ、後悔はない。

 秋帆先輩は、複雑そうに顔を歪めて、しかしため息とともに、眉間の皺が消える。


「きっと君が想像してるより何倍も大変だし、これからどうなるかだって分からない。報われるかだってわからないよ?」

「それでも構いません。きっと、それがおれのやり残した青春ですから」


 『前回』で掴めなかった青春を、今度こそ手に入れる。秋帆先輩に勝利した今、やっと改めて気づいた、おれの願いだった。


「――うん、そっか。じゃあ、敗者は勝者の言うことを聞かないと、だよね」


 秋帆先輩の表情には、いつもの不敵さもなく、しかし見惚れるような自然な笑顔だった。



 ◆



「秋帆先輩、提案なんですけど、葉桜にもこのこと、話していいですか?」


 未来の話をしようとする秋帆先輩に、おれは考えていたことを打ち明ける。


「それは……ううん、夏瀬くんだけでもどうかなって思ってたのに、たぶんすっごく迷惑かけることになっちゃうし……」


 いつも先導してくれる先輩らしくない言葉だ。

 いや、『前回』も含めて、秋帆先輩はおれを遠ざけようとしていたのだ。

 自分一人で抱え込もうとする人なのだと、改めて思う。ならば尚のこと、手助けしなければなるまい。


「葉桜なら、迷惑かけられるよりものけ者にされる方が怒りますよ。おれなんてもう既に怒られちゃいましたし」

「あははっ……そうだね。うん、わかった。話そう。信じてもらえるかわからないけど、『放課後ゲーム部』の三人で、協力しよう」

「ええ、三人ならきっと、なんとかなります」


 それから、葉桜に公園に来てほしいと連絡すれば、すぐに向かうと返事が来た。

 秋帆先輩と公園に向かうが、どこか様子がおかしい。どことなくよそよそしさを感じる。


「あ、あのね、夏瀬くん」

「な、なんでしょうか?」

「さっき、私に告白してくれたんだよね……」

「えっ、あっ、はい」


 そして、気付いた。『ヴァーサス』での戦いの最中、自分が告白したことを。あまつさえ付き合ってくださいとまで言った事実を。

 タイムマシンだ怪獣だなんだと話してすっかり忘れていた。


「その返事なんだけど……あとちょっとだけ、待ってもらってもいいかな?」

「! はい! 勿論です!」


 勢いよく返事をすれば、先輩は「いつもの夏瀬くんだー」と笑ってくれる。妙な雰囲気のまま葉桜と会えば、何を言われるか分かったものではない。

 葉桜は公園に既にいた。夕暮れ時の、誰もいない公園。ベンチで一人、座っていた。

 葉桜の家からはもう少しばかり時間がかかる筈だ。いくら何でも早すぎる。ちょうど近くにいたのだろうか。

 おれと秋帆先輩が近づくと、葉桜は立ち上がる。


「待ってましたよ、せんぱい。アキさん……その様子だと、上手くいったようですね。さすが私のせんぱいです。驚嘆に値します」

「なにを見てそう思ったかはわからんが、褒めるか貶すかどっちかにしてくれ」

「それは失礼しました」

「……お、おう」


 いつにも増して素直な葉桜に、調子が狂う。秋帆先輩の様子も含め、言い出しにくい気もするが、ここまで呼び出したのだからと意を決する。

 隣の秋帆先輩へと目を向ける。先輩も決意した顔でおれに頷きを返し、前に出た。


「あのね、えいちゃんに話したいことがあるんだ。私と、夏瀬くんから」

「――いえ、その必要はありません」


 だが、その覚悟は打ち切られる。


「さて、せんぱい。アキさん。ここで朗報です。何もかもが丸く収まる吉報です」


 葉桜は、おれと秋帆先輩から顔を背けて語る。


「その前に、せんぱいとお話した通りに、私の隠し事を教えますね」


 そうして、短い前置きのあと、彼女はその言葉を口にした。


「私は、せんぱい方が倒そうとしている、異星の侵略者です」


 こいつは一体、何を言っているのか。

 当然浮かぶべき疑問は、すぐに吹き飛ばされた。

 こちらに振り返る葉桜。理解が及ばぬと口をつぐむおれに向けた表情。いままで一度も見たことのない、彼女の無垢な微笑によって。


「ラスボスですよ、せんぱい」

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