第7話

 秋帆先輩と、タイムリープと、タイムリープ前に見た光景。それらと向き合う決意ができた。

 いますぐにでも秋帆先輩に話に行こう――そう思ったのだが、葉桜にはまたもあきれられてしまった。


「せんぱい、今日の私とのデートを思い返してください。そこからわかりませんか?」

「……何でしょうか」

「告白するには、まず前提としてムードが大切なんですよ!」

「いや、おれは告白するわけでは……」

「もう! そういうのいいですから! じゃあ一緒に考えますよ! ほら、こっちに寄ってください!」


 やけくそ気味に叫ぶ葉桜。おれは言われるがままに傍に行って、それから日の傾くまで二人で考えたのだった。

 それから一週間の事前準備を終えて、先輩がゲームセンターに来る日。いつも通りに三人で『ヴァーサス』をしたあとの夕方。

 秋帆先輩は普段、電車で帰っている。『ヴァーサス』を終えた後も名残惜しくて、駅まで一緒に歩いて話すこともある。

 今日もいつも通りに――といっても、緊張して気もそぞろな状態で話していた。

 ゲームセンターと駅の距離は、徒歩五分程度。あっという間だ。


「秋帆先輩、あの、今週の金曜って、予定ありますか?」

「いまのところは、ないかな。なんで?」


 いつもなら、その場で電車に向かう秋帆先輩を見送る場所。そこで引き留める。予定がないことを確認したので、第一関門は突破。呼吸を整えて、本命の質問をする。


「一緒に、流星群を見に行きませんか?」


 葉桜と検討した結果見つけた、タイムリープを打ち明けるのに適したシチュエーション。それが、流星群だった。


「今週の金曜に、流星群が見えるみたいなんです。調べたら県内でも、星が見える公園があって……なので、一緒に行きませんか?」


 おれの突然の提案に、秋帆先輩は、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になる。


「それは楽しそうだね! じゃあえいちゃんも誘って――」

「秋帆先輩。おれは、二人で行きたいんです」


 二人で、ということを強調する。でなければ、秋帆先輩には伝わらない気がした。

 果たして秋帆先輩がどう返してくれるか――と顔色を伺えば。


「え、あの、え?」


 夕焼けに負けず劣らず、顔を赤く染めていた。その意外な反応に、驚いてしまう。

 秋帆先輩がおれのことをどう思っているのかは分からない。しかしもう一押しだと信じて、言葉を続ける。


「ダメ、ですか?」

「えっと……大丈夫だけど……」

「じゃあ、十八時にこの駅で待ち合わせでいいですか?」

「う、うん」

「分かりました! 待ってますからね!」

「あ、ちょっと、夏瀬くん!」


 引き留める声も意に介さず、その場から脱兎のように走り去る。もう限界だった。心臓がかつてない速さで鳴っている。全速力で走っても、こんなに大きな音は出さないだろう。

 デートの誘いを受け入れられるなんて、『前回』も合わせて初だ。更には一緒に行くのがあの秋帆先輩だ。何も解決していないのにすでに有頂天だった。

 後輩にメールする。『とりあえず、行けることになった。サンキュ』。直ぐに返信が来る。『先輩のことですからどうせ有頂天になっているんでしょうけど、これからが本番ですからね。忘れ物はしないようにしましょう。ハンカチとティッシュは持ちましたか?』。ありがたいお言葉だったが、終盤はお前は母親かと突っ込みたくなる。

『了解。肝に銘じてく』と返して、おれは空を見上げる。

 月だけが、そこには輝いている。



 ◆



 秋帆先輩が来ない。

 約束した時刻から十分も過ぎている。あの秋帆先輩にしては考えられない事態だ。もしかして気が変わっていくのを辞めたのだろうか。いつものようにバイトが入ってしまったのだろうか。ひょっとしたら事故にでも遭ったのではないだろうか。

 不安から葉桜にメールをしたら『女の子の十分くらいの遅れで狼狽えるな見苦しい』と返された。いつもより手厳しい気がする。

 更に十分が経過してから、秋帆先輩は現れた。遊びに行くとき、秋帆先輩は動きやすいズボンを履いている。しかし今日の先輩の服装は黒いシャツとフレアスカート。羽織っていたベージュのジャケットのせいか、いつもよりも大人びて見えた。

 肩にかけたトートバッグを大事そうに持ち、小走りで秋帆先輩はやって来た。


「ご、ごめんね、遅れて。その、ちょっと思ってたよりも時間がかかっちゃって……」

「いや、全然問題ないです。いつも遅れてるのは、おれですし」

「でも、せっかく誘ってくれたのに……」


 申し訳なさそうにする先輩。新たな一面を見た気がして、嬉しい気もする。

 いや、浮かれている場合ではない。背筋を伸ばして、気持ちを切り替える。


「いいですから、行きましょう。あと、その服……とても似合ってます」

「う、うん……ありがと……」


 秋穂先輩を先導して、電車に乗る。目的の場所は電車で二十分、バスで十分程度とそう遠くはない。

 葉桜に「デート中に『ヴァーサス』の話をするのはやめろ」と言われていた。なのである程度会話を用意していたのだが、頭から吹っ飛んだ。

 普段はよく話してくれる先輩も、なぜか口数が少ない。不安になる滑り出しだ。


「夜ご飯はどうしましょうか。いくつかお店は探しておいたんですけど」


 駅についてから相談する。夏なのでまだ空も明るい。食事を済ませてからのほうがよいだろう。

 と考えていたのだが、静かだった秋帆先輩の様子がおかしい。


「そ、そのね、夏瀬くん」

「? はい、なんですか?」

「あの、ほんっとうに簡単なものなんだけど、おべんと、作ってきたの……よかったら、食べる?」


 秋帆先輩の、手作り弁当。

 まさしく朗報だった。検討していたお店が、頭から勢いよく弾き飛ばされていく。


「た、食べます。わたくしめに是非とも食べさせてください……」

「あはは、変な夏瀬くんだ」


 大袈裟に喜んでみせれば、秋帆先輩は笑ってくれる。電車に乗る前からあった何とも言えない空気が緩むのを感じた。

 食べるものが既に用意されていたので、少し早いがバスに乗る。

 県内の広い公園。敷地内に入ってから、少し歩けば広い芝生がある。同じく流星群を見るために来た人たちが既に何人かいた。

 適当な場所にレジャーシートを敷いて、秋帆先輩を手招きする。隣り合って座る。

 秋帆先輩が取り出したのは、アルミホイルに包まれたおにぎりと、半透明の四角の容器に詰められたおかず。からあげ、ブロッコリー、卵焼き。暗い中で、渡されたつまようじを使って摘んでいく。緊張で味があまり感じられないのが、もったいなかった。


「こんな街中でも、本当に星がよく見えるんだね」

「そうですね……下見はしてなかったので、ちゃんと見えてよかったです」

「えいちゃんも、誘えばよかったのに」

「あとで自慢すれば、きっと羨ましがるでしょうね」

「きっと、そうだね」

「ええ、絶対にそうです」


 天気予報通り、雲一つない新月の空。流れる星は未だなく、まばらに名も知らぬ星々が瞬く。

 秋帆先輩の手料理も、気づけばなくなってしまった。ごちそうさま。お粗末さまです。そんな定型句を交わしてから、互いに無言になる。

 「あ」と声がどこからか聞こえた。「流れ星だ」とちらほらと聞こえる。


「先輩、見れました?」

「ううん、見逃しちゃった。次は見れるといいね」

「はい」


 秋穂先輩は、その場で伸びをして、それからレジャーシートに仰向けに倒れ込む。おれも、その隣におずおずと横になる。

 レジャーシートは、それほど大きくはない。ほとんど肩を並べた状態。否応なく高鳴る心臓を誤魔化すように、努めて空を見る。

 妨げるものはなにもない、まるで落ちてきそうな闇。


「ねえ、夏瀬くん。手、繋いでもいいかな?」

「お、おれなんかのでよければ遠慮なくどうぞ」


 秋帆先輩の唐突な提案。おれはの酸素の回らない頭で答える。


「じゃあ、貸してもらうね」


 手汗を拭く間もなく、奪われてしまうおれの右手。

 感触が伝わる。おれよりも小さい手。折れてしまいそうな細い指。なめらかな肌。仄かな冷たさ。

 おれの動揺は、果たして手のひら越しに知られているのではないか。そんな懸念を、秋帆先輩は知りもしないで空を見ている。

 おれも、見上げる。夜空を眺める。星を眺める。

 流れ星が、見えた。

 隣の秋帆先輩と、顔を合わせる。いまのは見ることができたのだろう。お互いに笑ってしまったので、言葉を交わさずともわかった。


「そのね、空を見てたら、なんだか怖くなってきたんだ。まるでここに、私以外誰もいない気がして」

「なんとなく、わかります」


 広い夜空を静かに見ていれば、まるでこの世界に、自分一人だけが取り残されてしまったようにも思えてしまう。


「でも、いまは、寂しくはないかな」


 握られた手が、より強く締められる。

 闇の中で微かに見えた秋帆先輩は、今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべていた。

 手を、握り返す。離さないように、どこかに行ってしまわぬようにと。

 再び夜空を見た。まばらに過ぎる流れ星。

 ちらりと、目線だけ隣に向ける。

 見えたのは、秋帆先輩の横顔。

 どこか遠くを見ている、あの目。


「わたしね、星が見えない場所から来たんだ」


 秋帆先輩が、不意に語る。顔は空に向いたままで、おれの視線に気づいたわけでもない。


「そこにいたときの私は、海の青さなんて知らなかった。お祭りなんて知らなかった。みんなと遊ぶことがこんなに楽しいなんて、知らなかった」


ただ、独白する彼女。おれが無言で聞いていると、こちらに目を向けてきた。


「こうして、男の子とデートするなんて、思いもしなかった」


 彼女はそれ以上言葉を発さず、口元は真一文字に閉じられる。

 おれは、それに対して追及はしない。視線を戻して、秋帆先輩が見ている夜空と同じものを見上げた。


「それじゃ、そろそろ帰ろうか」


 しばらくしてから、秋帆先輩は、満足したように言って、身体を起こす。繋いでいた手を離される。名残惜しさに、おれの手が虚空を揺れる。

 時計を見ると、公園に来てから二時間が経っていた。楽しい時間は、驚くほどに早く過ぎてしまう。

 その楽しい時間を延ばすために、おれは、秋帆先輩と向き合わなければならない。

 公園の出口の手前。ちょうど、人気もない。きっと告白するなら、絶好のタイミング。

 おれは振り返って、秋帆先輩へと向きなおる。


「秋帆先輩。おれと、勝負をしてください」


 返事が来る前に、矢継ぎ早におれは言う。


「『ヴァーサス』で。一対一の一本勝負。もし先輩が勝ったら、おれは何でも言うことを聞きます。おれが勝ったら、一つ、言うことを聞いてもらいます」

「最近の夏瀬くんは、いつにも増して変だね。どうかした?」


 秋帆先輩の声が、どこか震えていた気がした。

 きっと、このままではどう言っても秋帆先輩はしらを切り続けるだろう。それに何の意図があるかなんて、知ったことではない。

 秋穂先輩は、おれではない何かを見据えている。だから、まずこちらを見てもらわなければならない。

 そのために、おれは、唯一持つ札を切る。


「――おれは、未来から来ました。多分、あなたから貰ったものを使って」


 秋帆先輩の表情は、わかりやすいくらいに変わった。目を見開いて、口をぱくぱくと開閉している。


「そう、なんだ。ううん……実は、少しだけ、そうなんじゃないかって思ってたけど」


 秋穂先輩は納得したように語る。

 その言葉から、秋穂先輩はタイムリープに関係があると分かり、俄然、おれの中で覚悟が固まる。


「いいよ、やろう」


 秋帆先輩も、何かの覚悟を決め終えたのだろう。同意の言葉を返した彼女は、いつも通りの不敵な笑みを浮かべる。

 かつて憧れていた、慕っていた――大好きだった秋帆先輩の顔。

 おれが乗り越えなければならない、敵の顔だった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る