第6話

 葉桜えいりが、一体どこの電波を受信してデートを提案したのか、おれにはさっぱり理解できなかった。

 もとより特に打つ手もないお手上げ状態。言われるがまま、翌日、再び公園に来る。特に何の用意も必要ない。場所も何も考えなくていいと言われた。

 十分前には来ておいたのだが、葉桜は既に待ち合わせ場所にいた。相変わらずのセーラー服姿。


「せんぱい、デートで女の子を待たせるとは何事ですか。これが試験でしたら一発不合格ですよ。では行きましょう。ついて来てください」


 普段なら更に続いていく口撃は、しかしあいさつとばかりに投げられるだけで鳴りを潜めた。熱でもあるのではないかと不安になるが、今日の葉桜はどことなく機嫌が良い、気もする。秋帆先輩よりもよっぽどわかり辛い、不可解な後輩だった。

 着いた場所は、ボウリングやカラオケなどができる複合アミューズメント施設。普通のゲームセンター。

『放課後ゲーム部』で『ヴァーサス』以外で遊ぶときは、だいたいここを使っている。

 葉桜はどんどん足を進めていく。一階はゲームセンターであるが、UFOキャッチャーが並ぶ空間を見向きもせずに奥へと進む。入口から多少離れた場所にある、アーケードゲームコーナー。

 普段こちらには来ていないものだから、人がいないのは平日の昼間であるためか、いつもこうであるのかはわからない。閑散としたその中で、葉桜は目当てのものを見つけたのだろう。軽やかに、ゲーム機の前の椅子に座る。


「見てないでせんぱいも座ってください。一緒に対戦しましょう」

「いきなり対戦しろって言われてもな、おれは『ヴァーサス』以外……」


 素人だぞ、と言おうとしたのだが、葉桜が薦めるゲームを見て口を止める。

 格闘ゲーム『グラップラーズ』。何の因果か、それは『ヴァーサス』の前におれが熱中していたゲームだった。


「なにか、不都合でも?」

「いや、不都合はないが……」

「ならいいじゃないですか。ほら、はーやーくー」


 知ってか知らずか、葉桜は急かしてくる。おずおずと隣に座り、クレジットを投入する。

 葉桜は自分から誘ってきたというのに、いざ始まると、ゲームの動きは初心者に毛が生えた程度だった。一方おれは、コンボやハメ技もすっかり忘れてしまっている。それでも順当に勝利したので、かえって丁度いいハンデだった。


「分かってましたけど、やっぱりつよいですねー。じゃあ次行きましょう、次」


 せっかくここまで来たのに、やったことは古いゲームを一度だけ。これが一体、秋帆先輩とどう関係するのか。建物から出た後、葉桜に聞こうとするが。


「せんぱい。まあ、そう急かないでください。ちゃんと、あとで全部話しますから」


 と諭されてしまえば何も言えなくなる。

 次に向かったのは、近場のショッピングモール。そのフードコート。丁度お昼時だった。

 ハンバーガーのチェーン店で、葉桜はチーズバーガーを、おれは普通のハンバーガーをドリンクとフライドポテトのセットで購入する。


「私、こういうところに来るのが夢だったんですよねー。あ、せんぱい、ポテト一つ貰ってもいいです?」

「いいぞ。ほれ」

「あむ……なるほど、こんな味でしたか。しょっぱいですね」


 もはやなるようになれという気持ちだった。フライドポテトをほいと差し出せば、葉桜はそのままぱくりと咥えて食べる。ハンバーガーも小さな口で食べるものだから、まるでリスに餌付けしているみたいな気分になる。


「来たことはなかったのか?」

「ええ、私、中学までずっと入院してたので」


 何気ない風に言われたために、後から耳を疑った。『前回』と合わせても、初耳だった。冗談、というわけでもないだろう。

 葉桜はハンバーガーの最後のひとかけらを飲み込んで、語る。


「昔から病気がちで、小学校低学年の時はまだよかったんですけど、三年生くらいからはずっとでしたね。高校には上がれても、結局友達はできなくて……なので、『放課後ゲーム部』で遊びに行ったりとか、今日せんぱいとお出かけできるのは……こう見えて、実はすっごく嬉しいんですよ?」



 ◆



「今日のデートコースは、次で最後です」


 改めてデートコースと強調されて、そうだったと思い出す。


「せんぱい、ひょっとして忘れていましたね? これがデートということを」

「す、すまん」


 葉桜相手にデートする状況が、未だ消化できていないことはあった。『前回』と比べて関わりが多いが、単なる妹分の認識が、手のかかる妹分に変わった程度。

『前回』の十年後の葉桜の話が本当なら、おれに好意を抱いている可能性はある。勿論、酒の席の話だ。真に受けたわけではない。こいつのことだ、「まさか本気にしました?」などとおれをからかうためにデートと呼称してもおかしくはない。

 葉桜には順当にいけば気の合う婚約者がいることも頭にあった。そうでなくとも、おれはこの葉桜との距離感が嫌いではないのだ。


「まあ、せんぱいがそういう人だというのは理解していますけど」


 ショッピングモールを出て、住宅地を先導されるがままに歩く。おれはそれに続いていく。

 葉桜が足を止めたとき、そこにあるのは大きな新築と思われる一軒家だった。


「えっと……葉桜、ここはどこだ?」

「見ての通り、私の家ですが?」


 表札には、葉桜と書かれている。確かに、見ての通りであるのだが、理解が追い付かない。

 家に入ると、葉桜の母親に遭遇した。会うのは、これで二度目だった。一度目は、夏祭りの帰りに、葉桜を駅まで迎えに来てくれたとき。

「まさかこの子が男の子を家に連れてくるなんてねえ。ゆっくりしていって」と言われ、曖昧に相槌を打つ。会話もそこそこに、葉桜は階段を上がる。おれもついていく。

 通されたのは、葉桜の部屋だった。

 綺麗に整頓された学習机。葉桜はそこに座り、机の上のノートパソコンを開いて、手慣れたようにかたかたと何かをし始める。


「ちょっと準備するので、せんぱいは……ベッドにでも座っててください。あ、せんぱいのことは信じてますが、くれぐれも変なことはしないでくださいね」

「誰がするかっての」


 そうは言ったものの、枕元のぬいぐるみなどを見ると、葉桜も女の子だと意識してしまう。

 そして女性の部屋に入るなんて経験、一度目も合わせて初めてだ。おれは肩身が狭い思いをしながら、恐る恐るベッドに座る。沈み込む。やわらかく、手で少し触れただけでも肌触りがいい。高そうだなと、我ながら貧相な感想が出る。


「お待たせしました。せんぱいに見せたかったのは、これです」


 葉桜は椅子に座ったまま、くるりとこちらに向きなおる。画面がこちらから見えるよう、自分の太ももの上にパソコンを置いている。

 画面に表示されていたのは、ある動画だった。先ほど葉桜とした『グラップラーズ』の、公式大会のワンシーン。ステージ上に置かれたゲーム筐体を挟んで戦う、少年と大人。観客からも見えるように大画面で勝負が見えるようになっている。

 画面の中の戦いは、勝負がついた。少年の敗北である。少年は悔し涙を流している。しかしその目に闘志は失われていない。

 この動画を見せられずとも、勝敗も、その後のことも、おれは初めから知っていたのだが。


「……この懐かしい動画を見せてきた理由を、聞いていいか?」

「ええ、もちろん。それを聞かせるために、今日はデートに誘ったんですから」


 葉桜はノートパソコンを閉じて机に戻し、それから俺に向き直る。


「さっき話しましたよね、私がほとんど病院で過ごしてたって」

「……ああ」

「その頃の精神状態と言えばとてもひどいものでして。両親は優しくしてくれましたけど、病室でいつも一人で……楽しみといえばネットくらい。それだって心が晴れるものじゃなくて、ずっと部屋の中で腐ってました。そんなときに、ネットでこの動画を知ったんです。私と同じくらいの子が、大人に混じってゲームの大会で活躍したって」

「準決勝敗退、だけどな」

「順位なんて、関係ないです。私は、最初は、何でこんなことに頑張ってるんだって思ったんですよ。でも、彼を見ていて……私も、もう少しだけ、頑張ってみようって」

「……そいつは、そんな大層な奴じゃないよ」

「ええ、存じております」


 葉桜が見せてきた動画。そこにいたのは、かつての自分だった。諦めることをまだ知らなかった頃のおれ。

 大会が終わって、やがて自分より強い人間がいる現実を知った。そのゲームから離れてしまった。丁度同時期に『ヴァーサス』に熱中した理由の一つは、逃避だった。


「でも、あの時感じた気持ちは、確かに本物なんです。これは、先輩にも否定させませんよ」

「……そうかい」


 誰かに影響が与えられたなんて、しかもそれが目の前にいる相手だなんて実感が湧かなかった。『前回』に、そんな素振りなんて彼女は僅かたりとも見せなかった。

 おれは、彼女の期待を知らずのうちに何度裏切ったのだろうか。


「ちなみに、おれと会ったのは偶然か?」

「うぬぼれないでください」

「えっすまん」

「ちゃんと調べてから来たに決まってるじゃないですか。使ってるハンドルネームを変えてなくて探すのが楽でした」

「うん?」

「両親が高校が受かればその近くに引っ越すというので、せんぱいが利用されてるゲームセンターの近くの高校に入って、偶然を装って話しかけられないかなーって思ってたら、秋帆先輩に話しかけられて『放課後ゲーム部』に誘われまして。せんぱいがいると聞いたので、まあ入りましたね」

「お、おう……」

「でも会ってみれば、想像とは打って変わって単なる男子高校生じゃないですか! あの頃の憧れを返してください!」

「ええ……」


 いつになく荒ぶっていた。理不尽の権化であった。

 葉桜は照れたように、こほん、とわざとらしくせき込んで誤魔化す。


「ともかく、私が言いたいことはですね、せんぱいにはもっとこう、後先考えずに動くべきだと思うんですよ。なにを大人ぶっているんですか。昔のせんぱいをもう少し見習うべきです」


 葉桜の言葉が耳に痛い。耳に痛いということは、きっと確信を突かれているのだろう。


「それがどうしても無理なら、私を信じてください。私は、せんぱいのおかげで変われました。もちろん、私からしても、せんぱいから見ても、決して十全とは言えないでしょう。それでも、少しでも変われるんです、なりたい自分に」


 そう言い切る彼女の目は――動画で見た、自分と同じだった。何一つとして、諦めていない目。おれが失ったもの。

 おれは罪悪感から俯いて、向き合うことから逃げてしまう。


「先輩が悩んでいることは、アキさんの問題に踏み出すかどうかということです。踏み出す前から悩んでどうするんですか。踏み出してから一緒に悩むべきでしょう」

「でも、おれにはそんなこと――」

「してくれたじゃないですか、せんぱいは、私に」


 言われて、ハッと顔を上げる。


「全部解決できなくても、いいんです。重荷を少しだけ引き受けるだけでも。一緒に悩める相手がいて、私がどれだけ助けられたか知ってますか?」


 見上げた先の葉桜は、いつもの無表情。けれどもその視線は、何よりもまっすぐだった。


「だから、アキさんにも同じことをしてあげてください。それだけでいいんです」


 タイムリープしても、おれは何も変わっていないと思っていた。何も変えられないのだと思っていた。

 しかし目の前の彼女は、確かな理由をもって、おれに変われるのだという。おれに変えられるのだという。

 その言葉から逃げるのも、否定するのも簡単だ。しかし、ここで逃げてしまえば、おれは何も知らなかった『前回』のおれより、遥かにろくでなしになってしまう。

 タイムリープする前のおれは、なりたい自分になれなかった。

 ならば、タイムリープした後の『今回』はどうするべきか。

 パズルのピースがちょうど収まるような錯覚。それが気のせいだってよかった。

 青春を二度も過ごして、なりたい自分を見つけることができて、そこに歩き出せると思えたのだから。

 長い長い遠回りを経て――おれはようやく覚悟が決められた。


「……ありがとな、葉桜。おかげで、踏ん切りがついた」

「ええ、それはよかったです。まったく、世話の焼けるせんぱいですね」


 おれの心境の変化を見透かしたように、葉桜はいつものような、悪戯めいた笑顔になる。


「私がここまで話したんですから、ちゃんと灰になるなり塵になるなりしてきてください」

「失敗前提かよ……ちょっとはおれのことを信じてくれ」

「まさか、私以上にせんぱいのことを信じている存在は地球上にはいませんよ」

「……そうか」

「ちゃんと完膚なきまでに玉砕してきてくださいね」

「ひでぇ」 


 思えばこの後輩には、迷惑をかけ続けている。少なくとも、葉桜が感じている恩よりもよっぽどに。

 ここまで来て、隠し事はなしだろう。タイムリープのことも、秋帆先輩とのことが一区切りついたら話そう。葉桜だって『放課後ゲーム部』の仲間なのだ。

 果たして葉桜が信じるか、笑い飛ばすかはともかくとして。


「それと、せんぱい」


 澄んだ黒い瞳で、まっすぐに見据えられる。何かの覚悟を決めた目。

 おれも、誰かと向き合う勇気は貰った。だから、迷わず視線を受け止める。


「全部終わったら、私からも話したいことがあります。だから、アキさんとのことにきっちりケリをつけてください」

「――ああ。おれからも、後で話したいことがある。期待して待っていてくれ」

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