第4話
葉桜と昼休みに一緒に昼食を食べるようになったのは、『前回』にはない小さな変化だった。
話す内容といえば、その日の彼女の社交体験失敗談から入り、当たり前のようにゲームの話に着地する。
おれも、高校生のこの時期はそこまで交友関係がある方ではない。大学社会人と否応なく経験を積んだことで、曖昧にやりすごす程度はできる。おれにできるのは、その処世術を伝授するくらいだった。
小さな変化、と称したのは、逆に変化といえばそのくらいのためだ。あとは放課後、いつも通りに『放課後ゲーム部』で集まる日々を過ごしていた。
『放課後ゲーム部』は『ヴァーサス』をするための、二人だけの集まりだった。しかし葉桜が入ってからは、秋帆先輩はたまにそれ以外の遊びも企画してきた。高校生らしく、カラオケやボウリング、時には釣りに行ったりなど。特にインドア気質なおれと葉桜は提案することはなかったが、否ということもなく、秋帆先輩提案に乗っていた。
変わったようで、変わらない日々を過ごすある日――七月の終わりに、記憶の通りのイベントが起きる。
七月の頭に期末試験が終わった。球技大会などの行事も挟みつつ、短時間授業で帰宅が早いために『ヴァーサス』を満喫していた日。
夏休みという強力な援軍を一週間後に控えるおれと葉桜に、秋帆先輩が提案してきたのだ。
「来週の日曜は、みんな予定はある?」
「俺はないです」
「私も……いつも通り『ヴァーサス』する予定でしたけど」
「じゃあさじゃあさ、みんなで夏祭りに行こうよ! ここからちょっとだけ電車に乗ることになっちゃうけど」
「是非とも行きましょう!」
「……私、人が多いところは苦手なんですけど、まあアキ先輩が言うのなら付き合いますとも」
夏祭りに行こうという秋帆先輩の提案。それに対して、俺は即座に、葉桜はしぶしぶと参加する意思を告げた。
前回と同じ流れだった。しかし、前回のおれは――楽しみにしすぎて体調を崩してしまったのだ!
後日、葉桜に煽られてへこむおれに対して、秋帆先輩が気遣って別の夏祭りにも行こう、という提案も出た。しかし肝心の先輩がその都度用事が出来てしまい、結局行くことができなかった。
秋帆先輩が突然の用事で去ってしまうことは、時々あった。夏休み中だって、おれと葉桜は夏を遊び倒すように『ヴァーサス』に打ち込んでいたが、秋帆先輩は三日に一度というペースだった。
秋帆先輩は高校三年生であることを考えれば、受験勉強もあるだろう。加えてバイトをしているとも聞いていた。しかし、具体的に何のバイトであったかは、ついぞ聞けたことはない。
ともあれ、夏祭りに三人で行くのは今回が初めてということになる。体調を万全に整え、そして無事に迎えた当日。
現地集合ということで、おれは待ち合わせ場所に二十分前についていた。屋台の連なる道から、少し外れた寂れた赤の鳥居。
すでに多くの恋人たちが行き交っている。当時のおれであれば怨嗟に炎を燃やしただろうか。それとも斜に構えて気にしないよう努めていたのだろうか。
道行く人々をぼうっと見ていれば、人の波の中、とてとてと歩く葉桜が見えた。紺の浴衣を白い帯で結び、きっと履きなれていない下駄で、おっかなびっくり歩いている。
おれが既に待ち合わせ場所にいると気付けば、やや早足になってこちらに来た。
「せんぱい、どうも葉桜です」
「お、おう」
葉桜が遊びに行くときは、たいてい制服を着ていた。セーラー服はセーラー服で似合っているのだが、いつもと異なる装束には、尚のこと新鮮さがある。
秋帆先輩は律儀だから、時間丁度に来るだろう。あと数分、二人でどう時間を誤魔化せばよいものか。
「あの、せんぱい、何かしら私に対して言うべきことがあると思うんですけど……」
などと早くも逃げ腰でいると、葉桜らしからぬ直球で尋ねてきた。瞠目してから、考えてみる。
別に葉桜とは付き合っているわけでも、おれのために着飾ってきたわけでもない。うかつに褒めれば確実にこの後輩は調子づく。だがおれもこの年――体は高校生だが――になって、わざわざ褒めるのを躊躇うこともないだろう。
「葉桜、その浴衣、似合ってるな」
「そうです。似合ってるでしょう。私が夏祭りに行くと言ったら、お母さんが買ってくれたんです。ちゃんと褒めてくれたせんぱいには、わたしにりんご飴を奢ることを許可します」
「……強引におれに奢らせようとするな流れを作るな」
「当然でしょう? かわいい浴衣の女の子とお祭りを回れるんですから、むしろ出して然るべきです」
にっと笑う葉桜。普段彼女はなかなか笑うことがない。ふとした拍子か、おれを『ヴァーサス』で負かしたときくらい。
浴衣と、場の雰囲気も相まってだろう。葉桜相手につい、どきりとしてしまう。
「だいたい先輩はなんですかそのいつも通りな服装は」
「……別におれが浴衣着ても何もないだろ」
「はーそれだからせんぱいはだめなんですよ、TPOって知ってます? 周囲との協調が大事ってことですよね。でもそれ以上にその場にあった服装をすることで自分自身もより楽しむことができるんですよ」
「普段は葉桜だって制服星人だろうが」
「あれはいいんですよ。学生の時に着る制服は学生のときしか着れませんから」
「……なるほど?」
「つまりは、周りがどう見るかではなく当人が楽しめるかですね。わかりますか?」
「ああわかった、葉桜が夏祭りをすごく楽しみにしていたってこと十分にな」
「……まあ、冴えない先輩がいることでアキさんと私が映えると考えれば良しとしましょう」
よく回る口だと感心してしまう。それとも、夏祭りという特別感のあるイベントでこいつもテンションが上がっているのだろうか。
「お待たせ、二人とも!」
声の方へと目を向ける。金魚柄の白い浴衣が、目の前の彼女のすらりとした体に合うように真っ赤な帯で結ばれている。
普段は長く伸ばしたままの髪を、銀のかんざしで纏めた姿は普段よりもいっそう大人びていて、その女性が秋帆先輩だと認識することに、わずかばかりの時間を要した。
「秋帆先輩! めちゃくちゃ似合ってますね!」
「えへへ、ありがと、夏瀬くん。えいちゃんも、浴衣似合ってるね」
「は、はい。ありがとうございます」
照れたように受け答えする葉桜。その可愛げの一部でも日常生活で出せるのなら、学校の交友関係もマシになるのではないかと思ってしまう。
「みんな合流できたし行こうか。私、実は夏祭りって初めてなんだ」
「あ、おれもです」
「私もです」
「……じゃあ、そのぶん今日はみんなで楽しもうね!」
何とも言えない空気が一瞬流れたが、先輩が先導することでうやむやになった。
お祭りは神社の境内で行われている。人も多いが、境内も中々に広く窮屈さはない。人と屋台の波に飛び込む前に、秋帆先輩はくるりとまわった。
「私は調べたのです。夏祭りにはいろんなゲームがあると。なので今日は目につく勝負は全部やりましょう!」
「罰ゲームはどうしますか?」
「キャラもののお面でも買って、それを被るとかどうだ?」
「うーん、まあせんぱいを辱められると思えばいいでしょう」
「じゃあそれでいこっか!」
仰々しく提案する秋帆先輩に、喜々として秋帆先輩に続く葉桜。
どこに行っても何をしても、秋帆先輩はその度に勝負に結びつける。葉桜はそれに乗っかってリスクを課そうとしてくるし、おれが適当に着地点を挙げる。
当時の憧れの先輩であった秋帆先輩に、葉桜。その二人と夏祭りに行くというのは、ある意味で両手に花というやつだろう。
十年分の記憶がおれの中で積み重ねられたとはいえ、多少身構える気持ちはあった。しかし蓋を開けてみれば普段通りの『放課後ゲーム部』で安堵する。
「どうかした? 夏瀬くん」
「いや、『放課後ゲーム部』っぽいな、って」
「なに言ってるんですかせんぱいは。あたり前じゃないですか」
そうして始まった真剣勝負の連続。やったのは順に型抜き、輪投げ、射的をした。おれが最初に二連敗、後輩が一敗ときている。秋帆先輩は毎回やたらつよい。そういう点でも一目置かれているから、『放課後ゲーム部』の力関係は成り立っているところもある。
途中、秋帆先輩がかき氷を勢いよく食べて頭痛で死にそうな顔をしたり、葉桜がりんご飴が硬いからちょっと食えとおれに押し付けてきたりもしつつ、それなりに楽しんでいた。
花火の打ち上げも控え、最後の一戦として迎えた四度目の勝負、それは水ヨーヨー釣りであった。
M字の釣り針がつけられた、細い紙でできた紐。水風船につけられた輪ゴム。その先端の輪に引っかけて掬う遊び。
これまでは、どれも拮抗した戦いだった。しかし――
「えっ、一個も取れずに切れてしまったんですけど、これはノーカウントですよね?」
葉桜はおれと秋帆先輩の返答も待たずに、追加で二度三度金を払い繰り返し、その都度驚異的な速度で失敗していく。
水に浮かぶ水風船、それを呆然と眺める葉桜。そんな後輩を他所に、おれがひょいひょいと複数掏っていく。
「わ、夏瀬くんうまいねえ」
「……せんぱい、本当に人間ですか?」
「すまんさっき思い出したんだが、そういえばおれ小学生の頃に夏祭り行ったことあったわ」
「ずるじゃないですか!」
「ずるだーいっけないんだー」
「勝てばいいんですよ! 勝てば!」
わーわー横で言ってくる二人を無視して、釣り糸が切れてしまうまで釣りまくる。しかし大量に持っていても仕方がないので、一個だけもらって後は返した。
そしてもらったうちの一つを、葉桜にほれと差し出す。葉桜はおずおずと受け取った後、眉をしかめてこちらを見てくる。
「あの、くれるなら貰いますけど……なんです?」
「これを見るたびに、おれに負けたことを思い出すといいな、と」
「せんぱいも大概性格が悪いですね!」
そうは言いつつ、しっかりと水ヨーヨーでぺちぺちと遊ぶ葉桜。
屋台を回るのもあらかた終えて、あとは花火を待つのみ。打ち上げまで数分というところで、落ち着いて見物するための場所を確保する。
葉桜は「ちょっとお花を摘みに行ってきます」と言って、未だに帰ってきていない。そのため、今はおれと秋帆先輩の二人だけ。
「夏祭りって、こんなに楽しいんだね。みんなで来れてよかったよ」
ベンチで隣り合う秋帆先輩は、にこにこと笑顔を振りまく。
「おれも、来れてよかったです」
心からそう思う。おれはこの日を取り返す為にタイムリープしたような気がする。十中八九気のせいだけど、それくらいには、楽しかった。
花火の打ち上げ開始のアナウンスが流れる。それから、どん、と音が聞こえた。葉桜が戻ってくる前に、花火の打ち上げが始まってしまった。
秋帆先輩と一緒になって空を見上げる。
「わあ……綺麗……」
ちらりと、隣を見る。花火に見惚れている秋帆先輩。その横顔に、既視感があった。
『私に勝ったら、何でも言うことを聞いてあげる』
『前回』で、おれにそう言ったときの、遠くを見る目。
ここ二ヶ月、ずっと考えていた。そもそも、秋帆先輩は何者であるのか。
秋帆先輩の通う高校に、中学の同級生がいることがわかった。それを経由して秋穂先輩のことを聞いたが、予想していなかった返答を受けた。
秋帆みらいという生徒は存在しない。
念のため、他の学年も調べてもらったのだが、やはり見つからなかったという。
おかしな点と言えば、他にもある。そもそも、おれとの出会いからしておかしい。普通の開けたゲームセンターならともかく、『ヴァーサス』の特定の対戦相手を特定して出待ちするなんて、どだい無理なのだ。手あたり次第聞くなんてことをすれば、従業員に注意を受けていただろう。ストーカー的な執着を抱かれているわけでもないことは、『前回』でおれの前からいなくなったことを思えば明らかだ。
また、おれが秋穂先輩と『ヴァーサス』で戦うまで、秋穂先輩はおれのホームであるゲームセンターでは碌にプレイしていなかった。それどころか、地域単位のエリアにさえ外れていただろう。強いプレイヤーは非公式サイトで纏められていた。自慢ではないが、おれも載っていた。しかし、おれと互角以上の戦いをする彼女のユーザー名は、それまで一度も挙げられてなかった。
夏祭りが初めてだと、秋穂先輩は言った。一緒に回って、無邪気に楽しむ先輩を見て、それが嘘ではないと思った。
別に、夏祭りに行ったことのない人間なんていてもおかしくはない。
しかし、隣にいる秋帆先輩に限っては違う。
どこから来たのか。何をしに来たか。それまで何をしていたのか。
果たして、おれがタイムリープしたことと関係があるのか。
「夏瀬くん……?」
ぼうっと考え事にふけっていたおれに対して、首を傾げる秋帆先輩。
かつてのおれは、隠し事の多いミステリアスな彼女に惹かれていた。憧れていた。自分の気持ちで精いっぱいで、憧れに目を曇らせていた。彼女が何も語らないことに任せて、一緒に過ごした時間に対して、あまりにも知ることができなかった。
昔のような憧憬のままにしておくには、今のおれはできなかった。
「秋帆先輩、先輩は……何者なんですか?」
「……君は、知りたい?」
まっすぐな視線に見据えられる。
その瞳に相対して、おれが本当に立ち入ってもいいことなのかと、躊躇してしまう。
『前回』のおれが真っ当に生きていたのならば、真っ当な人間であれたのなら、向き合う覚悟を出せたのかもしれない。
しかし、そうはなれなかった。いくら歳を重ねたところで、思い描くような大人にはなれなかった。秋帆先輩に顔向けできるような人間では決してない。
言葉を出せずにいれば、着信音が鳴る。秋帆先輩の携帯だった。
ちらりとおれを見てから、秋帆先輩はその電話を取った。受話器の向こうと「はい」「わかりました」その二言だけ交わして、秋帆先輩は立ち上がる。
「ごめん、用事が入っちゃった。すっごく残念だけど、先に帰るね。えいちゃんにもごめんって伝えておいて」
「……さっきの質問の答えは?」
「秘密!」
先輩は笑顔で人ごみの中へと消えていく。おれは引き留めることもできずに、見送ってしまう。
どうするべきだったのか。引き留めるべきだったのか。頭の中で考えだけがぐるぐると回る。
「せんぱい、振られましたか?」
「……別に振られてねえよ。用事が出来て帰ったってだけだ。ごめんってお前にも言ってたよ」
背後から投げかけられる、生意気な後輩の声。
どうにか返事を返す。葉桜は反対側を向いたまま、秋帆先輩がさっきまでいた場所に座る。
「ふーん、振られてたらどんな風にからかおうかって楽しみにしてたんですけど」
「……戻るのが遅かったのは、ひょっとして気を使ってくれたのか?」
「せんぱい、秋帆先輩と仲良くしたいって言ってましたからね。いや半分はそういうわけじゃないんですけど……」
「どっちだよ」
二人で顔を合わせて笑う。先輩にはいま聞けなくても、あとでまた聞けばいいだろう。これから教えてもらえるようになればいいだろう。そう楽観的な考えが少しだけ浮かぶ程度には、元気が出た。
空を見上げる。夜空にいくつもの花火が咲いている。
「葉桜」
「はい、なんでしょう」
「……ありがとな」
「なんのことか皆目見当もつきませんが、どういたしましてと言っておきます」
元気づける方法も、その礼に対してもへその曲がった後輩だった。
「ところでせんぱい、下駄の鼻緒が切れてしまったので、ちょっと靴をお貸しいただけませんか」
「いやなんでだよ」
ここに来るのが遅かったのはそのせいかとツッコミをいれてから。
かつておれが得られなかったはずの夏祭りの思い出は、後輩を駅まで背負うことで締めくくられたのだった。
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