第2話

 悪い夢を見た。

 倒壊した街で、ロボットと怪獣が戦う。そんな夢を見た。

 昨夜見た荒唐無稽な夢を、暖かい布団の中で思い出していた。


「……ん?」


 ふと、違和感。そして、自身が公園のベンチで眠ったはずのことに思い至る。それとも覚えていないだけで、自力でいつのまにか家に帰ったのだろうか。記憶をなくすほど酒癖が悪くはなかったはずなのだが。

 それにしても、身体が軽い。疲れがすっかり抜けてしまったみたいだ。

 ピリリ、ピリリ、と音が聞こえた。どこか懐かしいそれは、数年前に実家で使っていた目覚まし時計のアラーム音。

 枕元にある筈の時計を、目を瞑ったまま手探りで掴み、停止させる。

 停止させてから、新たに違和感。

 起き上がる。

 部屋を見渡す。

 使われている形跡のない学習机。漫画しか置いていない本棚。

 見覚えしかない部屋。実家のおれの部屋だった。まさか酔いに任せて実家まで帰ってきてしまったのか。

 しかし、枕元にある筈のないものが視界に入る。

 数世代前のゲーム機であるヘッドギア。かつて脚光を浴びたそのゲーム機は、とっくの昔に廃れていた。場所ばかりとって邪魔だったそれは、高校三年生に上がると共に捨てたはずだった。

 それなのに、何故ここにあるというのか。

 ピロン、と音が聞こえた。携帯電話の通知音だと分かった。

 画面には『遅刻!遅い!今日はゲームセンターって言ったでしょ!早く来て!』とメールの中身が表示されている。

 その差出人は――十年連絡を絶っていたはずの先輩のものだった。

 まさか、と思いながら、おれは携帯電話のカレンダーを確認した。


「おいおい、嘘だろ……」


 カレンダーが示していたのは、十年前の六月の最初の日曜日。まだおれが、高校二年生だった頃。

 学習机の引き出し。そこを定位置にしていたはずの手鏡を取り出して、自分の顔を確認する。

 鏡の中には、まだ年若い――高校生の頃のおれが映っていた。



 ◆



 今の状況が一体どういうことであるのはともかく、まずは約束したはずの場所に向かうことにした。

 最後に見たときより、ずいぶんと若い母親がかけてくる声を無視して家を飛び出す。ひとり暮らしを始めるとともに捨てた、懐かしの自転車にまたがってペダルをこぐ。

 記憶の中の前日とは打って変わって、朗らかな陽光。羽織った上着は早々にカバンに詰め直してしまった。

 潰れてコンビニが建っているはずのカフェ、駐車場になっていたはずの一軒家、まだ建設途中のマンション――それらを通り過ぎて、目的の場所に辿り着く。

 無骨な――あるいは、無駄な一切をそぎ落とされた、近代的な黒いビル。装飾のないそれは、街に空から突然降ってきた石板のようで、周囲の風景から浮いている。

 その付近にある駐輪場に自転車を留めて、今度は足で走り出す。

 角を回ってビルの玄関前。そこで、一人の女性が仁王立ちして待っている。

 その人物が着ているブレザーは、県内で一番の進学校の制服のもの。それに身を包む彼女は、記憶のままの姿だった。

 秋帆みらい。

『放課後ゲーム部』の部長。

 胸の中に、郷愁の想いが深く沈み込む。遅刻を咎められているのに、頭が真っ白になって、何と言い返すべきかわからない。

 立ち止まっていたおれに対し、秋帆先輩は黒くて長くて綺麗な髪を豪勢に揺らしながらずんずんと近づいてくる。


「もう! 遅い!」


 その声さえも、懐かしかった。気を抜けば、涙が出てもおかしくなかった。

 そういえば、と思い出す。確か、十年前のおれも遅刻したはずだった。その時の言葉を、うろ覚えで返す。


「すんません、その……寝坊して」

「まあ、キミはそういうところがあるとはわかってるからね。でも、今日は、だめ!」


 おおげさに両腕でバッテンを作り、それからおれの腕をとって引く。

 腕を引かれるがまま、ビルの自動ドアを抜ける。受付で会員証であるカードキーを共に見せる。ついでにその場で千円分入金してもらう。

 再び腕を引かれる。こんな強引な人だったなあ、と思っていれば、掴まれていた手を離された。

 エレベーター前の広い空間、そこに、既に一人の少女が立っている。

 見覚えのある白いセーラー服――俺が通っていた高校のもの。

 彼女の背の低さもあって、見下ろす形で目が合う。


「新入部員の、葉桜えいりちゃんです!」


 じゃーん、と効果音を口で慣らして、先輩が紹介したのは小柄な少女。

 胡乱な目で見てくる――おれの主観では昨日、酒を共に飲んだはずの――後輩。

 あの記憶の中にある、十年後のような明るさはない。抜身の剣のような鋭い雰囲気。もしくは、誰にも懐かない捨て犬の如き剣幕。


「アキさん、ほんとにこの人なんですか? 弱そうですよ?」


 そいつは、開口一番これだった。

 その眠たげな目付きといい、攻撃的な発言といい、なおさら懐かしさを感じる。葉桜は本来、こんな目でおれのことを見てきていた。懐いていたのは秋帆先輩相手で、俺とは口を開くたびに小競り合いをして、その度に秋帆先輩が仲裁したものだった。

 かつて、おれはなんと返したのか。思い出す必要さえ感じない。頭に浮かぶままに言葉を返す。


「弱い犬ほどよく吠えるって言葉、知ってるか?」

「知ってるに決まってるじゃないですか馬鹿にしないでください。それともそんなことも知らないと思ってるんですか? 喧嘩打ってるんですか? 買いますよ喧嘩。ほら、来てくださいよ。か弱い私が傷害罪で訴えてあげます」

「そっちから吹っ掛け来た時点で決闘罪で両成敗だろ」

「はー?」

「ああん?」


 おれと葉桜はガンを飛ばしあう。葉桜は無駄に喧嘩っ早いので、いけないと思いながらもこちらも楽しくなってつい乗ってしまう。


「もー、喧嘩しないの! せっかくの部員同士なんだから!」

「でも、アキさん……この人」

「はいはい、口で言ってても仕方ないでしょ。こんなとき親睦を深めて、ついでに白黒つけるには……そう! 一回対戦しないと!」


 おれと葉桜がじゃれていると、秋帆先輩は喜々として提案しだした。

 葉桜はなるほどと納得したようなそぶりを見せたのち、おれを真正面から見据えてくる。

 先ほどのまっさらな表情とは反対の、まるで闘争心の塊のような目。

 懐かしい、目。

 彼女は小さい口を開いて、おれが聞いたことのある言葉を、一語一句違わずに言うのだ。


「ぼこぼこにしてあげます、せんぱい」

「ぬかせ、後輩」



 ◆



 先輩と初めて会ったのは、高校の最寄り駅、その近くのビルの一角。分類としてはゲームセンターだけれど、やや趣が異なる。

 コンシューマーゲーム、ソーシャルゲーム、VRヴァーチャルリアリティゲームと、この時代には部屋の中で済ませられるゲームは幾つもある。

 そうした中、あえてゲームセンターでやる必要のあるゲームがあった。

『ヴァーサス』。

 それがかつて熱中していたゲームの名前。

 プレイヤーがロボットを操縦し、一対一で戦うゲーム。

 装備等のカスタム性、フィールドを自由に壊したり、利用できる自由度、それを綿密に描写するグラフィック等、それまでのゲームと比べて逸脱といっていいほどに優れていた。

 しかし、それらは葉枝に過ぎない。なによりも重要だったのが、そのゲームが一線を画していた――神経接続型のVRゲームだったことだ。

 従来のVRは視覚以外のコントロールは、現実の身体も動かす必要があった。けれども『ヴァーサス』は違う。専用の機器内で現実の身体は横たわったまま、ゲーム内で身体を動かすことができる。

 単なる視覚的情報だけでは得られない、圧倒的没入感。戦闘時の衝撃も、操縦する器具を握る感触も、戦いの白熱も、何もかもがリアルだった。

 公開と同時に、専用のゲームセンターができる、という話題性もあった。ビル一つ、そのゲーム機器を稼働させるためにある。それを始めたのが無名の会社だったというのも、話題性の一つだった。

 一躍テレビで取り上げられ、人が列を為していたのもひと時のこと。

 野次馬感覚で来ていた一般人やライトゲーマーもたまに来る程度で、残ったのは重度のゲーマーたち。

 高校一年生の頃には、おれはこの街では無双していた。県内のローカルネットワーク内の順位で、おれはこのゲームセンターでは一番上に名を連ねていた。おれは最初期からプレイし続け、更には学生の余りある時間をつぎ込んでいた。ある種の自負みたいなものさえ芽生えていたと言えよう。

 そんな天狗だったおれを、彗星の如く現れた先輩に負けた。次は勝ちたいと、強く思った。

 先輩がゲームセンターに現れるたびに挑戦した。それでも勝てたのは一割程度だったか。そんな日々を二週間ほど続けたある日。

 対戦が終わったあと、おれがゲームセンターから出るのを、先輩は待ち構えていた。


「ねえ、キミだよね。いつも私と――『ヴァルキリー』と戦っている子は」


 そうであると、カードキーを見せる。カードキーの表面には使用している機体の画像と、それから個人のIDが刻印されている。

 カードキーを確認してから、安心したとばかりに頷く彼女。そして、おれに一つの提案をしてきた。


「よかったら私と一緒に部活動をしない?」


 実を言えば、おれも相手のことは気になっていた。

 対戦相手のプレイヤーが、どのゲームセンターを拠点にしているのかは表示される設計だった。そのため、自分が戦っている相手が同じ場所でプレイしていることも知っていた。

 おれからその相手と会おうとはしなかっただろう。別にゲームとリアルを分ける古からの暗黙の了解とか、そういうわけでもない。むしろ相手がどんな人物であるのか、興味津々であった。偶然顔が会わせられるなら万々歳だっただろう。

 対等に戦える相手への気恥ずかしさというか、実際に顔を合わせてもなんと言えばわからなくなることが目に見えていたというか、まあそんなところだったのだ。

 そしてシャイだった少年は、年上の美少女の笑顔に、あえなく一発K・Oされてしまったのだ。

 それはそれはもう、ぐうの音も出ないほど、完膚なきまでに。



 ◆



 更衣室でジャージに着替えてから、カードキーを通してゲームコーナーの部屋へと入る。ハチの巣めいた、カプセルホテルのような空間。

 空いている一か所へと入る。そして、備え付けの専用の機器――頭を目元まで覆うヘッドギア――を頭に被る。

 目を瞑る。

 眠りと目覚めの狭間のような、一瞬の浮遊感。

 そののち、おれの目の前の世界はがらりと変わった。

 格納庫のような白い空間。そこに直立している人型の巨人と、見上げるおれ。

『ヴァーサス』にはストーリーモードはない。だが、おれたちの使用する機体の総称は、開発側によってアルターと設定されていた。

 Alter。変更する、改造するなどの意味の英単語。

『ヴァーサス』は対戦ゲームだが、前提として一定の容量以内で、自分好みに機体をカスタマイズするゲームでもある。なるほど、その通りの名であろう。

 外見はロボットのようであるが、現実にはこんなものは未だ作られてはいない。このゲームは驚くほど機体の動きをシミュレートしているが、細かい部分は自動で作成してくれるブラックボックス。未だ人類には、巨大ロボットを実用化するには至っていない。もしくは、そんな未来は来ない方がいいのかもしれない。

 開始地点ともいえるこの場所からはアルターのカスタマイズができる。外側から確認しながらの調整も可能であるが、おれはすぐにアルターの中へと移動する。

 アルターの内部にはごちゃごちゃとレバーやらボタンやらがついている。おれはそれらを一切無視して――リアルでもつけているのでおかしなことだが――ヘッドギアを装着する。

 視覚が移り変わる。

 両手へと目を向けてみれば、そこにあるのはヒトのものではない。掌の中心に穴の開いた、白い手。自身が操作するロボットの視界だった。

 このゲームを操作する上で、二つのモードがある。機体内でスイッチなどをコントロールして操縦する方法。そして、脳波とリンクさせて動かす方法。プレイヤーの間では前者をマニュアル、後者をリンカーと呼ばれている。

 神経接続型という技術があればこその、後者だ。しかし脳波での操作は、無駄な挙動をしてしまったり、あるいは使用するアルターにとって稼働不能な動きをすると自爆の原因となることもある。

 一部のコアなロボットマニアはもっぱら前者を使うらしいが、おれは後者が性に合った。

 意識を向ければ、半透明の長方形のウィンドウが視界に現れる。その画面には、おれがこれから操縦する機体が表示されている。

 ヒト型の、灰色の機体。関節は球状であり、各部位がそれを覆うようにしているため、外からは薄く見え隠れする程度。

 目元は青いバイザーを一周させてつけた形であり、視覚情報はそこから得ている。一本角が額に類する位置にあり、どこが正面か判別できるようにしている。

 そして最たる特徴として、両方の前腕に、半円状の盾が対になって装備されている。

 これがおれの機体――『ウォリアー』だった。


「……久しぶりだな」


 最後に先輩に負けてから、おれは言いつけ通りに、このゲームをすることはなかった。

 体感では、十年ぶり。

 それでも、身体は動かし方を覚えている。スタート地点で軽く動作を慣らしてから、新たに視界にウィンドウを表示する。

 対戦モード。対戦相手を選択。フレンドから――はまだ登録していないから、ユーザー名を入力……しようとしたが思い出せない。オンラインユーザーを探せば発見。ユーザー名hazakura0316へと対戦申請。

 申請後、即座に受諾されたメッセージが表示される。

 再び場所が切り替わる。

 ロボット越しに視界に見下ろす風景は、ミニチュアサイズのような住宅。ランダムで選ばれる戦場のうちの、フィールド名『市街地(昼)』。

 高層マンションと肩を並べる大きさ。スタート地点である白い空間では実感が湧かないが、この機体はやはり大きい。

 まるで、あの悪夢のような怪獣と戦っていた、巨人のように。

 なにか、重要なことに気付いた気がした。しかし物思いにふけっている時間はない。

 視界にカウントが表示される。

 3。

 2。

 1。

 開始――と同時に走る。敵は目前。即座に盾で体を覆えるように、身をかがめて動く。

 こちらから動くのは操作を慣らしたいという理由もあったが、何より彼女の機体は遠距離攻撃を主としていたのもある。

『ウォリアー』の装備は近接戦特化。というのも、脳波で操作する――いわゆるリンカーには、やむを得ない制限があった。

 ヒトであること。ヒトではない感覚を後天的に得るのに難しいということ。

 たとえば、ヒトに突然翼や耳やしっぽが生えたとしよう。それを自在に動かすようになるためには、いったいどれほどの時間をかける必要があるだろうか。あるいは仮に動かせるようになってしまえば、現実の生活に異常を及ぼしてしまう。

 故に、リンカーの機体はヒト型を模すことを強いられる。遠距離武器も、外付けで取り外しが容易なライフルなど、使い切りのものくらい。

 一方、目の前に鎮座する後輩のアルター――『アラクネー』は、迷彩柄も相まって虫のような機体だ。短い八角柱から生えた下部に四つの脚、上部に四つの腕。

『アラクネー』は、こちらを視認するや否や、二つの腕に備え付けの機関銃を、躊躇なく放ってくる。

 バックステップで下がりながら、左右に立つ高層ビル、その根本に盾を叩きつけて崩し、それを壁とする。

 当然、葉桜はおれの動きを読んでいただろう。上から曲射で放たれたミサイルが近づいている。避けられないものを両腕の盾で凌ぐ。肩に断続的にのしかかる重い爆発の衝撃。

 ミサイルの爆発を縫って、両脇から現れた二対のマシンガンを直撃させられる。

 これこそが手動派の利点。人体に存在しない部位、ありえない動きでも、容易にかつ無理なく操作できる。こうも自在というほどに動かせるのはアルターを操っているプレイヤー――葉桜の技量あってこそだが。

 葉桜は詰将棋のような、的確な動きで攻撃している。初めて会ったときの印象違わず、常にこうだった。そして戦法が分かっていても、対処が難しい。

『アラクネー』は機関銃を放つ前側の二つ腕、ミサイルを放つ後ろ側の二つ腕の遠距離武器がメインなように見える。だが、うかつに近づけば鋭い下部の脚で一突きにされてしまう。銃撃と爆撃を凌ぎつつ、気を伺いつづける。

 このゲームにはHPが存在しない。敗北条件は四つ。

 敵機体の八割の破壊。

 核――プレイヤーの搭乗部位の破壊。

 互いに二分損傷状態が変化していない場合の機械判定。

 そして、降参。

 こちらも近づけないが、葉桜も銃撃だけでは決定打には欠けている。


「この陰湿マニュアル野郎め……!」

『先輩こそ、その無茶な動きはリンカーですね』


 相手の嫌なところをつく動きに、思わず漏らせば、思わぬところから返答が来た。

 ゲームのアップデートに伴い、様々な機能も追加された。対戦相手同士で言葉を交わせるのもその一つだった。ミュートすることもできるのだが、オンに設定していたままだったらしい。


『動きが鈍いですね……拍子抜けです。そんな動きで、私に勝てるとでも?』


 ゲームの中でも相変わらず煽ってくる葉桜。煽り返す余力は、正直なかった。

 無言への返答とばかりに、素早く『アラクネー』が高速で近づいてくる。多脚による動きは縦横無尽でヒト型と比べ読み辛い。容易に近づかれてしまう。

 振り降ろされる一本の脚。盾で逸らすことも、避けることもできず――左肘を壊される。小さい関節に狙って攻撃できる技量故の、的確な一撃だった。

 咄嗟に、こちらも足蹴りを放つ。だが後方に跳躍され、距離を取られてしまう。

 葉桜が続けざまに追撃してこないのは、余裕の表れか。


『まずは腕を一本、です。このままダルマにしてあげましょう』


 彼女の言葉が聴覚に響く。しかし、それどころではなかった。

 先程の攻撃は、目が覚めるような一撃だった。文字通り、目が覚めた。


「――思い出した」


 十年の月日は、思った以上におれの記憶を摩耗させてしまっていたらしい。

 この機体のとっておきも忘れてしまうくらいには。


「なあ、葉桜」

『なんですか? 降参ですか? 諦めが早いのはよいことですね。時間は貴重で有限ですので』

「ちげえよ……この戦い、勝たせてもらうからな」

『じゃあ――やってみてください!』


 再び接近してくる『アラクネー』。ミサイルを放ってくるが、直接ではなく足元を狙ってきている。こちらの足場を崩すつもりだろう。フィールドの損傷まで再現している設計は、利用できれば楽しいが相手に使われると憎いことこの上ない。

『アラクネー』は更に機関銃を撒き散らし、おれを一か所に縫い留めながら、周囲を円を描くように回る。片腕を失くした不安定な機体では、咄嗟の向きの転換は命取りだ。仮に万全の状態であっても、視覚情報が追い付けるかわかるまい。

 そう、おれの機体でなければ。

 棒立ちしているおれに対して、『ウォリアー』の背後を取った『アラクネー』は、機は熟したとばかりに近接戦闘の距離まで詰めてくる。


「言ってなかったがな」


 振り降ろされる『アラクネー』の二本の前腕。


「おれの『ウォリアー』は、360度見ることができるんだ」


 左を半身となって躱し、右を振り下ろしに合わせて、盾で逸らす。我ながら完璧な受け流しだった。

 逃げられるよりも先に、距離を詰める。盾で縫い留めるように中心部の八角柱の頭を殴りつける。盾の先端は掌部よりわずかに先が出ている。しかし『アラクネー』の装甲は軽くゆがんだ程度。

 だが、殴打の衝撃によって、『アラクネー』自身が崩した不安定な足場に伝わり、機体がよろめく。

 その僅かな時間だけでよかった。

『ウォリアー』の掌を敵の機体に接触させる。肘の部位を伸ばして、肩から先を直線に伸ばす。

 意識する。それがキーになって放たれる。そして、掌から『それ』を放つ。

 合金の杭。パイルバンカー。

 前腕に仕込んでいるそれを、二の腕に詰めた火薬で射出するとっておき。

 肩が弾けるような衝撃が伝わるのは一瞬のこと、『アラクネー』に射出された杭が八角柱を容易に貫通し、中に仕込まれたミサイルなど一切合切まとめて爆発する。おれも爆風でその場から吹き飛ばされる。

 背中を打ち付ける。立ち上がろうとするも、両腕が既になくなって手間取る。あまりにも大きな隙は、勝敗がついた後でなければ命取りになっただろう。

 腰だけで起き上がる。映る視界には、大きく舞い上がる土煙と炎。

 戦場の中心に残ったのは跡形もない鉄屑たちと、墓標のように地面に突き刺さった銀の杭。

 そして、『You Win!』と表示されたウィンドウがおれの目の前に現れたのだった。


 ◆


 一戦終えて、勝利の余韻も抜けてから筐体から出る。筐体が敷き詰められた部屋を出て、視聴ホールにカードキーを通して入る。戦闘中の画面が幾つも映し出されている場所で、観戦していたのであろう秋帆先輩と、それから既に来ていた葉桜が待っていた。



「おつかれ! 夏瀬くん!」

「ありがとうございます。先輩としての格の差を無事見せてやりましたよ」


 秋穂先輩にどや顔で答えれば、葉桜はぎろりと目を向けてくる。


「……なんですか、リンカーのくせにあれは! 360度ってなんですか! 最後のあの攻撃ってなんなんですか!」

「気になるか? 教えてほしいか!」

「…………お、教えてほしいです!」

「うーん……教えない!」

「むきゃーっ!」


 360度は誇張であって、常に見えているわけではない。首を回して周囲を見渡す――のを、カメラを頭部に複数つけて機体を動かさずにできるようにしただけ。

 パイルバンカーは、片腕につき一度きりの必殺技。使用後は腕を使えなくなる諸刃の剣だし、火薬を爆発させる起動を除き、身体の延長線上として動かしているわけではないのでリンカーでも可能な仕組みだ。

 種が割れてしまえばなんてことのないものだが、あえて言ってやる必要もない。これから何度も戦うのだ、いやでもそのうち気付くだろう。

 自力でこの後輩が気づくまでは、精々勝たせてもらうとしよう。


「アキさん、私この人嫌いです」

「あっれえ、おっかしいなあ。二人なら仲良くできると思ったんだけど……」

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