2 誕生日

 世間一般の大晦日など、璃家にとっては普段の日となんら変わりがない。

 年末年始は一年中で一番占術師が活躍する時期である。だから正月の忙しい時期が終わってから、ようやく璃家にも正月が訪れる。


 普段どおりに夕餉を済ませ、普段どおりに寝床についたものの、なかなか眠れそうになかった。

 蒼鷹は寝床から抜け出すと、椅子に掛けたままの上着を手に窓辺へ立った。力を込めて鎧戸を押し開くと、凍て付くような空気が頬をかすめる。


 高台にある自宅からは、港町が一望できる。普段は暗く静まり返っている街は、今日は星空よりも眩しく輝いていた。海辺を縁取るように暖かな灯りが連なり、耳を澄ますと街の喧騒が押しては引いてくる。まるで波音のようだと思いながら、蒼鷹はさらに遠くに広がる暗い海に視線を投げる。


 寒さを忘れてぼんやりと外の景色を眺めていると、扉を控えめに叩く音がした。


「蒼鷹、寝ちゃった?」


 慶花の声だ。予想もしなかった訪問者に慌てて跳ね起き上がるが、一体何を慌てているのか自分でもわからない。


「……起きてるよ」


 戸惑いながら、ぶっきら棒に返事を返す。すぐさま部屋に入ってくるかと思ったのに、彼女は一向に入ってこようとしない。


「寒いから中に……」

「あのね! 誕生日の贈り物のことを聞きにきたの!」


 蒼鷹を押し止めるように、慶花は口火を切った。


「ねえ。本当に欲しいもの、ないの?」


 適当にあしらえばいいと思ったが、彼女は真剣そのものだ。きちんと話さないと納得しないだろう。


「……昔みたいに誕生日にこだわってないからさ」


 幼い頃は誕生日だというのに、何にもない普通の日として過

ごすのが寂しくてたまらなかった。だがいつの間にか平気になっていた。


「だから、もういいんだ」

「…………ふうん、そっか」


 扉の向こうから少し寂しそうな声が届く。うるさく攻め立てられるよりも、この方がよっぽど堪える。


「あのさ。どうしてそこまで誕生日にこだわってるの?」

 最初は子供扱いの延長かと思っていたが、どうやら違うようだ。

「蒼鷹は、もう覚えてない?」


 ややあって、慶花がぽつりと呟いた。


「蒼鷹が言ったんだよ。大晦日じゃなくて今日は自分の誕生日だって。だから慶花は絶対忘れないでって」

「あ……」


 そうだ、思い出した。

 いつも蒼鷹の誕生日のお祝いは、正月が過ぎてからだった。誕生日の当日は年末の一番忙しい時期だから仕方がないのはわかっていたが、幼い蒼鷹はそれが寂しくて堪らなかった。


『お誕生日おめでとう。蒼鷹』


 贈り物よりも何よりも、そのひと言が一番嬉しかった。


「……あれか」


 あまりに幼稚な約束に恥ずかしくなる。赤らむ頬を自覚しながら、蒼鷹は額を押さえた。


「だからね。お祝いしたかったの。昔みたいに」

「ふうん……」

「なのに蒼鷹はすっかり忘れちゃってるんだもん」

「悪かったよ」

「そんな言い方じゃ駄目」

「……ごめん」

「はい。よろしい」


 彼女に再び主導権を握られ、途端に面白くない気分になる。


「……あのさ。こっち入れば?」


 この冬の最中だ。廊下は凍えるほど寒いに違いない。なのに敢えて顔を合わせようとしないのは、何か理由があるに違いない。


「え。いいよ、もう話終わったし」


 明らかに狼狽した彼女の声で、蒼鷹は確信する。


「俺はまだ終わってない」

「え、と……なに?」


 つい悪戯心が首をもたげて、そろりと扉の取っ手に触れる。


「あっ!」


 勢いよく扉を引くと、冷えた空気と共に慶花の驚いた顔が現れる。慶花は慌てて頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「やだっ! 髪下ろしてるんだから……見ないでよ」


 最後は泣きそうな声で訴える。


 薄紅色の飾り気のない長衣は、彼女の寝間着なのだろう。小さな背中を覆う長い黒髪は、濡れたように艶やかだ。恐らく湯浴みを終えたばかりなのだろう。

 ほんのり立ち昇る石鹸の匂い。肩を覆う黒髪がさらりと流れ落ち、白い首筋が薄闇の中浮かび上がる。


 見てはいけないものを目にしてしまったような後ろめたさと胸の高鳴りを覚え、蒼鷹は慌てて視線を引き剥がした。


「あ……えーと」


 羽織っていた上着を己の肩から落とすと、少々強引に慶花の肩を包み込んだ。


「風邪、ひくから」


 思った通り、彼女の身体はすっかり冷え切っていた。

 こいつって、こんなに小さかったっけ?


 自分の上着がやけに大きく感じるほど、慶花の背中は小さかった。そっと触れた冷たい肩は、驚くほど細く、少し力を入れたら壊してしまいそうなほどだ。


「……蒼鷹の匂いがする」


 暖を求めるように上着に頬を摺り寄せ、彼女は小さく呟いた。

 何故だかよくわからないが、急に頬が熱くなる。


「く、臭くて悪かったな」


 慌てて立ち上がろうとしたが、させるまいと彼女はしっかりと蒼鷹の袖を掴んでいた。


「贈り物、今すぐ決めて」

「……………………」

「蒼鷹はもういらないかもしれないけど……わたしはしたいの、お祝い。だから、ちゃんと考えて」


 まるで子供が駄々を捏ねているようだ。


「……ぶっ」


 駄目だと思いながら、とうとう吹き出してしまった。懸命に笑いを堪えるが、どうにも押さえ切れない。


「もう、笑ってないで……考えなさいよ!」


 やっぱり慶花だ。五年ぶりに再会したはいいものの、すっかり様子が違う従姉に戸惑いばかり感じていた。でも、目の前にいるのは、あの頃の彼女のままだ。


「わかった、考える。考えるから」


 自分が劣勢だとすぐに年上ぶろうとするのは昔とちっとも変わらない。些細なことだが、そのことが蒼鷹を安心させる。


「えーと、そうだな」


 薄っすらと滲んだ涙を拭いながら蒼鷹は考える。今更「いらない」とは言えないだろう。しかし特別欲しいものなどないから困ってしまう。

 その時、外から聞こえた大きな音に気がついた。まるで巨大な太鼓を叩いたような、砲弾で空に穴を開けたかのような。


「花火……?」

 確信するよりも先に呟いていた。


 新年を迎える夜、街の人々は花火を上げる。花火の意味は去り行く一年間の邪気を打ち払い、新しい年に福を呼び寄せるためのものだという。

 だが一番の見ものは海岸で上げる打ち上げ花火だ。この時のために職人が用意した巨大な花火は、それは見事なものだと聞く。だが「大晦日も正月も普通の日」として過ごしている蒼鷹は、敢えて観に行こうと考えたことがなかった。


 よし、決めた。


「花火がいい」

「花火?」

 慶花は驚いたように大きな目を瞬く。


「うん。海辺で上げる大きな花火。あれを近くで見たい」

「まさか、今から?」


 大きく頷くと、たちまち慶花は渋面になる。


「駄目だよ。風邪ひいちゃうじゃない」

「大丈夫だよ。あったかくしいけば問題ないだろ?」

「でも」

「本当に今は大丈夫だって」


 子供の頃、蒼鷹はひどい喘息もちだった。恐らくそのことを気にしているのだろう。


「伯母さまに怒られちゃうし……」

「慶花が内緒にしてくれれば大丈夫だよ」


 一瞬非難の目を向けるが、慶花が迷っているのは目を見ればわかる。


「蒼鷹がどうしてもって言うなら……」

 迷いに迷って、ようやく蒼鷹の願いを聞き入れることにしたようだ。


「ありがとう、慶花」

「仕方ないなあ。もう、ちゃんとあったかくしないと連れて行かないからね」

「……わかったよ」


 この期に及んでまた年上風を吹かせるが、今は目を瞑っておくことにする。

 これ以上「贈り物をきめろ」と迫られるのはご免だった。花火を間近で見たいという気持ちが半分、やっと考え付いた贈り物を撤回するのは真っ平だという気持ちが半分。そんなことはとても慶花には言えないが。


「じゃあ見に行こうか。花火」


 仕方がないと漏らしながらも、言葉の端々や表情に嬉しさを滲ませている。子供っぽい奴だと苦笑する蒼鷹に、笑顔の意味に気がつかないまま慶花も零れるような笑みを返す。


「……どうしたの?」


 突然背を向けた従弟に、彼女は不思議そうに訊ねる。


「別に……」


 不意打ちだった。慶花の笑顔ひとつでこんなにも胸の鼓動が早くなるなんて思わなかった。やっと熱が引いた頬が再び熱くなる。


 ここにいるのは自分が良く知る従姉のはずだった。だけど急に知らない少女の顔を見せる。寂しいのとは違う。戸惑いを感じるというだけでもない。


 蒼鷹は苛立ちにも似た胸を燻る感情を、無理やり胸の内に押し込めた。

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