第3話
(カフカの審判は長編だ。
今日のこの時間だけでは読み切れなかったかも知れないな)
本の持ち出し手続きは閉館30分前まで。
彼女が手続きをした様子はありませんでしたので、また次の雨の日には足を運んでくれるだろう期待を胸に、僕はソレとなく彼女を見やる。
「?」
どうしたのか、彼女は本を机上に置いたまま窓の外を見つめている。
背筋が伸びて凛とした姿が絵画のようだ。
そうして僕が見惚れている所に、倉田サンがやって来る。
「閉館まで後15分だって言うのに、返本してない人まだいたのねぇ。
18時には戸締りしときたいのにぃ。ちょっと声かけて来るわ」
国立と言う事もあってか、閉館時間は厳守するよう上から強く指導されています。
こうして利用者の方に声をかける瞬間は非常に恐縮させられます。
然し、倉田サンは箒を逆さに立てる勢いのある方ですから、彼女にも突慳貪な態度で退室を迫るに違いありません。
「倉田サン、僕が行きますよ。
今日は受け付け担当なんですから、こうゆう事は僕にさせて貰わないと」
「まぁ! やっぱり快晴クンは見た目だけじゃなく、中身からイイ男なのねぇ!」
「ハハハ。ありがとうございます」
株上げやご機嫌取りをしたい訳ではありませが、こうでも言わなければ倉田サンはアレコレ勘繰りますからね、丁重に丁重に。
ソレに、彼女には気持ち良く退室して頂いて、次の雨の日にも是非 足を運んで貰いたい。
「あの、宜しいですか?」
「!」
机の脇に立ち、声をかければ、彼女は息を飲むように我に返り、僕を見上げる。
大きな目が丸く見開かれ、長い睫毛が上下する様子がとても愛らしい。
察しの良い彼女は直ぐ様 壁にかけられた時計を見やり、時刻を確認する。
「ぁぁ、すみません。閉館の時間ですね、」
彼女は気を利かせ、慌てて手荷物を片付け出す。
決して急かしたい訳では無い。寧ろ、いつまででも彼女を見ていたい。
僕は閉じられた本に目を落とし、彼女を引き止める思いで問う。
「この本、如何でしたか?」
「ぇ?」
退室を迫られると思っていたのだろう彼女は、僕の質問に少し驚いた様子だ。
けれど、直ぐに表情を落ち着かせ、目を伏せる。
そして、僅かに、力なく首を傾げる。ゆっくりと、彼女の唇が動く。
「何故、信じてくれなかったのか……」
気だるそうな彼女の声は、小さな雨音と似ている。
「そう、思いました」
最後には静かに笑った彼女の言葉の儚さに、僕は息を飲まされました。
物語の主人公は、ある日 突然 身に覚えの無い裁判にかけられます。
必死に無実を訴え、アレコレ奮闘するのですが、虚しくも極刑。
死刑に処せられるのです。
そこに、カフカは何を記したかったのか…
真実とて、公に認められなければ事実に昇格しない事を哀れんだのか、
ソレが主人公の命の評価だとでも言いたかったのか、未完と言われるだけあって読み解くには難しい。
けれど、そんな事よりも、彼女の感想は率直だ。
小雨が降りしきる窓の景色にこの物語の顛末を投影していたのか、実に深奥な彼女の気持ち。
「僕も、改めて読んでみたいと思います」
「ぇ?」
「僕ならどう感じるのかな? と……」
彼女との会話には、繕いの1つも必要だとは思わない。コレが僕の素直な感情です。
そんな気持ちを察してくれたのか、彼女は穏やかな笑みを僕に向ける。
「その時は是非、感想を聞かせてください」
彼女からこんな言葉を返して貰えるとは思いもしない。
僕はきっと、柄にも無く照れ臭そうに笑っているに違いない。
彼女の背を見送り、僕は曇天の空を瞻仰する。
「雨のような人だ……」
シトシトと。
「明日は快晴……」
天気予報は晴れマークだった事を思い出せば、このまま止まずに降り続けてくれないだろうか? と願ってしまう。
シトシトと。
雨に恋して。雨に焦がれて。
雨のような彼女を、もう暫く身近に感じていたいので。
End
Writing by Kimi Sakato
雨に恋して。 坂戸樹水 @Kimi-Sakato
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