ブルーテガルシュピーゲル BlutegelSpiegel
川口けいた
什么时候 Shénme shíhòu?
《ようこそ地獄へいらっしゃいました》
突然頭に響き渡った無線通信に、私の身は強張った=不穏な発言/声の主への心当たり。
それは同じトラックに乗る彼も同様のようだった。目を見開き、声に耳を傾けるように身体を傾かせている。
私にそんな経験はほとんどなかった――この都市へ降り立つまでは。オーストリア、ミリオポリス/人口約二千五百万人の大いに繁栄した国際的大都市/今や私が戦場とし、
規模こそ大きいものの、私にとってそんな場所はありふれていた。壊して乱して殺した街。そうしながら世界を渡り歩くのが私の/我々の仕事だった。祖国のために世界に騒乱をまき散らす害虫の群れ。だから私によって身を強張らせ、そのまま永遠に動かなくなる=死ぬ人間なら腐るほど、いくらでも見てきた。
しかしだからこそ、そんな私が獣に睨まれたかのように身体を固くし、来るべき脅威に備えている――そのことはまるで私自身が永遠に動けなくさせられる側だと示しているようで、心に冷たい風を吹かせた。同時にその程度では弱まることのない、闘争の意思の炎を感じた。
《あなた達は間もなくこの車両に乗っていた者たちの身代わりとなり追われるでしょう》
朗々と言葉を続ける、戦場には場違いな透き通った声=何かを成し遂げて得意げな子供のよう。
脳内チップを参照/空港での任務の際に本国から提供されていた資料にヒット/人格を持つ犠脳体〈
先ほどまでは他にも弱々しい声が聞こえていた。彼の弟=確か秋水という名だった――我々の攻撃の要たる電子ユニット〈カロン〉を搭載したトレーラー/それに捧げられた脳の元々の持ち主。
秋水は特甲児童特有の脳内チップに目を付けられ、死してなお重要な武器として扱われた。脳内チップを持つ者だけができるユニット化/特甲使用時の生体認証への適合/蓄積された戦闘経験の活用――生きているかのように思い込まされて。
ほんの少し前にはやかましく戦場をかき回していた=
同時にコントールしていたはずのトレーラーも、のろのろ等速で走るばかり+〈太公望〉の言葉=推測/きっと事実――どんな手を使われたか知れないが秋水は〈太公望〉に飲み込まれたのだ。
「逃げよったァ!サードアイもシャーリーンも乗っとらんわァ!わしらァ盾にされたんじゃァ~!」
弾かれたように立ち上がってトレーラーを覗き込んでいた彼=陸王が、荷台を激しく叩いて怒りを露わにする。すぐにせわしなく周りを見て、脅威が現れることを警戒している。
そこに弟を失った悲しみは感じられない。声が聞こえなくなったことにまだ気づいていないのか/弟の記憶自体が消えたのか。陸王の力=特甲レベル3の代償。
記憶は個人の自己を形作るものだと学んだ。それを失ったら、自分の一部が死んだとも言えるのだろうか。腕や脚が壊死してしまったとか、そのような感覚で。
中でも、大切な人間に関する記憶なら/そういった存在がそもそもいたということさえ認識できなくなるなら――それは一部どころか半身がもぎ取られるようなもので。もし彼がそうなってしまったのなら、それは大変に絶望的で悲劇的なことだろう。
彼にはもう一人、あわせて二人の弟がいたらしかったが、どちらも生きている姿を私は見たことがなかった。
初対面のずっと以前にもう一人の弟=剣は死んでいて、秋水もまさに直前に息絶えた生首の姿で彼の小脇に抱えられていた。後に陸王の手で首を刎ねられたと聞いた――レベル3に精神を汚染され、暴走した挙句兄に銃を向けて。
たとえ頭蓋を裂かれ/中身だけを犠脳体として蘇らせられ/人格を疑似再現されて秋水だけでなく剣までもが生者のように語りだしても、それが別の人間であるという実感は私には生まれなかった。なにせその身体、姿かたちは兄のものだったのだから。
多くを奪われ、頭をいじくりまわされ、精神の安定のために死んだ兄弟さえも使われた。そのことに怒りもなく/気づきもせず、ただ自分たちの国を得るための力を求める。
それでも構わなかった/それらすべてをひっくるめて陸王だった――私が愛した男だった。
そんな風に考える私の頭も、既にレベル3に溶かされているのかもしれないけれど。
自分も身体を動かす――身構えて周囲に目を配りながら、指示を出す。
声は出ない。
《女と義眼の男が裏切った。河岸に向かって船を探せ。奪い取るぞ》
《
端的かつ速やかな部下のいらえ=ほぼ同時にトラックが転進。
便利なものだ。自分一人だけの声を失った代わりに得た、多くの人間に一度に届く声。自然の音や他人の声にかき消されることもない。私はずっとそうやって生きてきた――何かを失う代わりに何かを得てきた。感慨らしきものが胸をよぎった。
戦場に場違いな内省/高速で走るトラックの上、周囲はかなりの騒音/少しも気にならない。長く続いた戦いで感覚が麻痺したか。あるいは血の流し過ぎでいよいよ意識が混濁しているのかもしれない。
深く、とめどなく続く思考が久しく脳裏をよぎることすらなかった考えを呼び覚ます=死の足音の予感/ここが自分の終着点かもしれないという思い。
しかし恐怖はなかった。むしろ愉快さのような気分さえ感じて、自分の真っ白い髪を弄んだ。
その手は白くない/あまつさえまともに滑らかな肌さえ備えていない=朱色に塗られた蛇腹の腕。私の瞳と同じ色。もちろん脚も。
その過程で同類の者たちと出会った=放り出され打ち捨てられてきた人々/力を得るために差し出せるものといったら自分の身体と心だけ/かつ実際に差し出してようやくここまで生きてきた、という持たざる者。
共感の念が湧いた/彼らが望む世界を創りたいと思った――社会に捨てられた廃棄物たちの築く頂=私が立つべき地平はそこだと思った。
彼らも同じ思いだったかは知らない。結果として同胞たちは私についてきてくれた。百人の営団を統べる長として、私を強者たちに認めさせる原動力となってくれた。
それも過去となり果てた/さらに上を目指し、彼らに報いようとした矢先――気づけば部下はこのトラックに同乗する5名のみだった。運良く生き残っただけの、元々の隊もばらばらな戦士達。
彼らを統率していた有能な副官たちは皆散った――異国の治安組織に打ち倒されて。そしてこの自分も。
腹部に手をやる。遮断された痛覚越しに残る違和感=分からないだけで、きっと骨か内臓がやられている。重機関銃でぶん殴られた箇所――敵の紫色の女の痛烈な一撃/印象に残る顔の大きな傷。
ふざけた女だった。当初は自分たちの奴隷となるはず/同時に自分たちを支えるユニットとなるはず/実際なっていたにも関わらず/振り払って牙を剥いた。
弾丸の雨/舞い上がる髪/そして傷越しに見た眼差し――幾重にも放った情報汚染をものともせず、敵を=私を撃滅するという思いに満ち満ちていた。その力に圧倒された。
我を忘れかけるほどの怒りに駆られ、脳が戦える状態でなくなっても良いとまで思ってレベル3を使った――それでも堕とされた。
ふざけているのは〈太公望〉も同じだった。元々我々の道具でしかないはずだったもの。初めてその存在について教えられ、自分達と同じような境遇の子供達の脳を繋ぎ合わせて生み出されたものと知っても、評価は変わらなかった。力ある者が名も無き弱い者を材料にして作り上げた、使いつぶすだけの便利な道具。それが味方だったはずの者たちを追い詰めた。我々を捨て駒にさせるほどに。
苦々しく思い知らされる=自分は完膚なきまでに敗北した。
今や私は狩りの獲物のように追われている。もうすぐ〈太公望〉に導かれ、敵である治安組織が大挙してやって来るだろう。その先陣を飛ぶのは、きっとあの傷の女だ。
トラクルどもの制御が甘かったのか、私に甘えがあったのか。否、理由など関係なく、そもそも私の力があいつらに――沈み込んでいくような思考に浸っていた私の意識と身体を、陸王が引き寄せた。
「やつらが来たら、ひと暴れじゃァ~」
抱擁/口づけ/唇に熱を感じた。陸王の生命の熱を。それが私の身体に移り、温める。
「別々に逃げなァあかんときはァ、迷ったりせんで逃げて船にのるんじゃァ。後で会えばえ~からのォ」
朗々と語る彼の目を見つめながら言葉を聞く。その奥の彼の心の一部はきっともう死んでいる。眼には暗い炎が爛々と燃え盛っている。
我に返った/目の覚めるような思い=たとえそうだとしても、私には関係ない――改めて確かめる。余分なものを切り捨てて、戦うための力と意志の塊となったような彼に対する、尽きせぬ共感の念を持って。
「もしそー出来んときはァ、まァ~あの世で会えるわァ。なぁ蛭雪よォ~」
そう言って歯を見せた、傷だらけの顔に笑みを返した。
全てを失いかけているこんな時に笑っている自分も、やはりきっと、もはや壊れている。
抱きしめた彼の背中越し、遠くに土煙が見えた。敵の軍用機体×三=トラックを上回る大きなシルエット/多脚の豊富な武装/どんどん迫ってくる。
反比例するように、義眼の男やプリンチップの一味が仕掛けた情報網の支配が後退していくのを感じる。復旧していく本来の都市ネットワーク/マスターサーバー/トラックの進路をガードレールのように囲っていた車両が勝手に動き出し、軍用機体に道を開く。
「もう来よったァ~」
陸王が身を離す。どちらともなくエメラルドの輝きに身体を包ませる――消えかけた転送経路/失われかけている/けれどまだ確かにそこにある自身の力。
より鋭利な刃を出現させる、私の朱の両脚と上腕+追加される銀の下腕。手足の先端も変化=全てに軽機関銃×六。左右二本ずつとなった腕を含め、あちこちを軽くうねらせる。転送するたび六肢はだんだん短くなっている/傷や刃こぼれが残っている部分もある/けれど違和感は無い。
隣に仁王立ちした陸王の身体にも黒鉄色の鎧/唸りをあげる鋸の腕――鈍く黒光りしている/もはや修繕が追いつかず、ところどころ歪んだりへこんだりしている。
寡黙に座っていた部下たちも、何も言わずともおのおの立ち上がり、腕を掲げた。私と同じ蛇腹の腕が、旗のように直線に並び立っている。その光景に、小気味良い気分がせりあがってくる。
壊れものでも構わない。
本国の連中は私たちを虫と嘲った――不格好な幼生から生まれ変わるようにして成る/そして往々にして一瞬の命を終える存在。
私が生きるべき時間をとうに超過しているというのなら。できるだけ華々しく散るだけだ。
軍用機体とは別の方向からも敵がやってくる=複数の装甲車/突き出される銃眼。
《やれ》
一言だけ無線通信で言うと、部下はアクセルを踏み込むことで答えた。加速/アドレナリンの放出/以心伝心の小気味良さ。
陸王が笑った/部下達が笑った/私が笑った。まともな笑い声も出せない私の喉が、ひゅうひゅう引き攣れたように鳴った。
装甲車から一斉に火線が放たれる。陸王は/同胞たちは/私は=
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