第4話 千鯉さんと双子

 三月も半ば。桜が満開に近づこうとしている。千鯉さんの家の庭に小さな八重桜の木がある。控えめに咲くその花を目の前にして、緑茶を飲みながら千鯉さんは考えていた。茶道教室をしている先生から、今日、大先生の追悼のお茶会があるから来ないかと誘われていた。先生の茶道教室には何度か行った事があった。お作法を教わるというより、ただお菓子とお茶と雰囲気が好きなだけで参加していた。大先生は一月に亡くなったのだが、桜が好きだったという事で追悼の会が今日まで延期されていた。


 追悼のお茶会に何を着て行こうか、また一口緑茶を口に含めて考える。追悼のお茶会と言えば、色無地に黒帯だったり、地味な着物と地味な帯の取り合わせにするのが通常であろう。千鯉さんは桐ダンスをおもむろに開ける。そういえば灰桜の色で三つ紋の色無地があったはず。


 色無地とは、地紋(織り方や糸使いによって織り出された模様)がある物もあるが、基本的には柄のない一色染めの着物の事である。色無地は一つ紋を入れることによって、略礼装として着ることが出来るし、三つ紋であれば、訪問着や色留袖の一つ紋より格上である。それに黒の袋帯を合わせる事にした。帯には白と銀の極楽鳥が舞っていた。帯揚げと帯締めは薄い紫色にした。


 帯締めの房が下向きになっているのを姿見で確認して千鯉さんは家を後にした。家の庭にある八重桜が少し可哀そうに思えるほど、道中の桜は満開の時を今か今かと待っていた。歩いて、小一時間ほどで追悼のお茶会が行われるお寺に着いた。お寺の中で行われると思っていたら、外におおよそ八畳ほどの畳の上に赤い絨毯が敷いてあり、その上に茶釜が準備されていた。


 先生を見つけ千鯉さんは声をかける。

「本日はお招きいただいてありがとうございます。私の服装にご無礼はなかったでしょうか」千鯉さんがほほ笑んで問いかけると

「貴女みたいな笑顔の女性が桜の下でお茶を楽しんでくれるだけで大先生はお喜びだわ。今日は野点のだてだからお作法なんか気にしないで、お茶と桜を楽しんでね」元気な声で答えた先生に

「お作法を気にしていないのはいつもの事です」と千鯉さんは苦笑しながら答えた。


 畳の周りには、ベンチも数か所準備されており訪問者は野点傘の下に腰掛け、亡き大先生の笑い話などしながらお茶を嗜んだ。千鯉さんは最初ベンチに座っていた。大勢の人の着物姿を見ていたのだった。黒は意外に少なく、淡いイエローやピンク、薄いグリーンを着ている人が多かった。少しだけだが大先生の人柄がわかるような気がした。そんな千鯉さんの耳に人のざわめいた音が届いた。


 思わずそちらの方向を向くと、白地に桜柄の振袖、同じく白地に金糸で扇と毬(マリ)が描かれた袋帯で文庫系の帯結び、帯揚げと帯締めは真っ赤な装いをした、中学生くらいだと思える見た目の女の子がやって来た。しかも二人、全く同じ顔で。唯一違っていたのは髪型のみで、一人は大きなお団子一つ、もう一人はお団子二つであった。


 さすがにこれはどよめくなと千鯉さんは思った。千鯉さんが見ていると二人は先生に畳の方に行くように言われ、お団子一つの方が先に上がり、茶釜の前に座って、後から上がったお団子二つの方が客の方へと進み座った。髪型は違うものの同じ着物姿をした二人の光景がその場を圧倒してた。二人が礼をしたり少し動くだけで後ろの文庫の帯が揺れ、今にも毬が出てきて桜の中を転がっていくのではないかと思われた。


 皆の心を奪った二人は一通り終わると畳から降り、さっとお寺の奥の方に消えて行った。二人が消えた後はしばらく静かであったが、鳥のさえずりが全員の夢を覚ました。千鯉さんは二人が気になって後を追いかけてみた。お寺に上がり本堂の脇の廊下を抜けると、小さな庭があった。千鯉さんの庭とは打って変わって良く手入れがされており、測ったかのような曲線美の緑に満ち溢れていた。その庭の向かいに部屋が二つあった。


 一つ目は障子戸が開けてあって、中に誰もいなかった。千鯉さんは二つ目の部屋の障子戸をそっと開けてみた。すると先ほどの二人が先ほど赤い絨毯にいた時のままの姿で、正座をして両手を握り合ってキスをしていた。二人はゆっくりと千鯉さんを見た。お団子一つの方は少し睨んだ目つきをしていた。お団子二つの方は涙目で困ったような顔をしていた。


「貴方たち双子?」千鯉さんには二人の感情などどうでもよかった。

「そうよ」と短くお団子一つが答えた。

「そのお着物は誰が選んだの?」千鯉さんは質問を続ける。

「これは今日のためにおばあちゃん、あっ先生が選びました。曾おじいちゃんが喜ぶって」お団子二つが指で涙をぬぐいながら答えた。

「そうなんだ。ふーん。私ここに座ってるから、どうぞ続けて」


 千鯉さんは障子を閉めてその障子を背に座った。二人ともよもやの発言に答えもできず、気まずい様子を見せた。千鯉さんは二人を見ている。というより二人の着物姿を眺めている。白地に桜が舞っている。一点の曇りもないその振袖は初々しさがあるというよりは、他と己とを一本のまっすぐな線で分けるような凛々しさがあった。その一方で奔放に駆け巡る春の風のような温かさもあった。千鯉さんは思った。先生はこの子達の事を心底理解し、あえて同じ物を選んだのだろうと。


 千鯉さんが微動だにせず人の気配をさせていないせいか、二人は時間がもったいないとばかりにまた唇を重ねる。水を跳ねるような高い音が聴こえる。その跳ねた水しぶきの一つひとつが桜の花びらの上をまた跳ねて滑っていくようだった。跳ねた水しぶきは帯を揺らす。扇子が舞い落ちていく。毬も誰にも見つけらぬようにてんてんと転がっていく。水の音は次第に大きくなり、命の音と重なる。重なって響きあう。桜は咲き続け、その色は紅と白を大きく交差させるのであった。地を這っていた毬は扇を迎えた。扇と毬は出会うべくして出会ったのであって、そこに立ち入る隙間などないのだと、舞う桜が教えてくれた。水の音が消えた。


 千鯉さんは立ち上りそれはそれは丁重に振袖に触れ、二人に掛ける。障子を開け、そして背中で閉めて庭を見る。まだ日は落ちずに植木を照らしている。手入れの数はもう数えきれないであろうこの庭は、何よりも素直なのではないかと思いながら、千鯉さんは寺の本堂に行きお草履をはいて庭に出た。お茶会はまだにぎわい続けていた。千鯉さんは最後に、赤い絨毯の上でお茶を頂いて帰ろうと思った。千鯉さんは三番目に座った。すると亭主が先生に変わった。


 先生はにこやかに

「ただお茶を楽しんで頂戴」とそこにいた五人に声をかけた。


 千鯉さんの前にお茶が出された。お茶碗の絵柄だとかはよくわからない千鯉さんであったが、千鯉さんがお茶を飲み干したそのお茶碗に、二枚の桜の花びらが落ちてきた。これは偶然なんかではなく、約束であったのだと、千鯉さんは確信する。いつの間にか先生が目の前に来ていた。


「今日は来て下さってありがとう」また気さくな笑顔だった。

「あの桜達があまりに素敵で私のはしゃぎようったらありませんでした」と千鯉さんは目を細める。

「貴女らしいわ」と小声で先生は言い残して、他の客人のもてなしに向かった。


 千鯉さんはお草履をはいて、桜のお茶会を後にする。あんなに人が来て賑わって、すばらしい追悼のお茶会であったなと、そしてあの振袖が許すのなら自分の腕を通してみたかったなと、帰る道すがらに思う千鯉さんであった。

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