第78話 氷室雹河の流儀

 雹河は幻影の悪魔ブロッケン・スペクトルに向けてダッシュをかける。

 野生の獣の持つ俊敏さ。ジグザグの動きで敵の銃撃の照準を逸らし、コクピットのフロントガラスに強烈な蹴りを放つ。が、傷一つ付かない。


『無駄だよ。それは複層の厚い防弾ガラスで出来ている。ロケットランチャーでもないとビクともしないよ』


 機械とは思えぬ滑らかかつ、素早い動きで雹河に迫り、ブロッケンは黄色い拳を繰り出す。

 雹河は黒いコートを翻しながら横に転がって避け、元いた地面に穴を穿たれた。


 ブラザーズはクラウドのリュックからポットを取り出し、湯飲みにお茶を注ぎ、ずずーっとお茶を飲む。


「ブラザーズくん達、いいの? 手伝わなくて」

「ハードボイルドに手出しは無用だ。やりたい様にやらせておこうぜー」


 ブロッケンの足からローラースケートが飛び出し、四輪駆動の猛スピードでの連続攻撃。

 雹河はそれをかわし続ける。その姿はさながらマタドールと闘牛の戦いの様に見える。

 雹河はブロッケンの側面に飛び前蹴りを加え、スライディングで反対側に回り込む。

 ボディに足形の凹みをつけるが、一撃だけではビクともしない。


「チッ、これも無駄か」


 雹河はブロッケンのパンチを飛んで避け、その腕に飛び乗ると、頭部に向かって走る。

 コクピットのガラス越しに霧崎を見下ろし、軽く挑発すると、ブロッケンの反対側の腕が雹河を狙う!

 雹河は、ギリギリまで引き付けてそれをかわしたが、その拳はフロントガラスの手前でピタリと止まった。


『そんな手に僕が引っ掛かると思ったか!』


 チッと舌打ちをして、間合いを離す雹河。


「雨森さん、アレをお願いします」

「ちょっと待っててなー」

「雪姫、アレって何?」

「ほれ、雪姫ちゃん。準備できたぞー」


 ブラザーズは、ノートパソコンを中庭にあったベンチに据え置く。


「ありがとうございます。はい、あの黄色いロボットの弱点を調べようと思いまして、霧崎さんのコンピュータを覗き見する所ですわ」


 言いながら、雪姫はノートパソコンのキーボードを叩く。

 パスワードもセキュリティもなんのその、次々にウインドウを開いていく雪姫。

 ついに、ブロッケン・スペクトルの設計図を弾き出した。


「氷室さん! そのロボットの弱点が分かりました。正面のお腹の部分に燃料タンクの入口がありますが、そこだけは装甲が薄いみたいですわ」

「余計な事をするな……で、強度はどれくらいだ?」

「あなたの攻撃力なら、五撃程度かと」

「なら、四撃で終わらせてやるぜ……」


 雹河は、素早くアドバイスを聞くと、再びブロッケンに向かって走り出す。

 素早く右サイドに回り込み、と見せかけて、正面から現れた雹河はブロッケンの腹部に一撃目を加えた。


「雪姫ちゃんはすごいなー」

「雪姫はスワン・コンツェルンの後継者で、天才少女よ。これくらいは楽勝よ」


 晴海の褒め言葉に、白い頬をほんのり染める雪姫。

 その可憐な姿に、男たちは心をズキュンと撃ち抜かれる。


『くそっ!』


 ブロッケンが豪腕で雹河を横殴りにするが、雹河は影さえ残さぬスピードで逆サイドに滑る。


「なるほど、あれは中国拳法の動きでござるな」

「何っ!」

「知っているのか、雷電!」

「某!男塾でござるか。たしか、中国拳法の『せんしっ』という名前の歩法で、特殊な踏み込みから、爆発的な加速で相手に接近する技だったと思うでござる。機会があれば、氷室殿とも手合わせ願いたいでござるなあ」


 雪姫は雷也のケガに気づき、爆発的な加速で接近すると。


「服部さん、ひどいケガをされてるようですわ。わたしがお手当てをしましょうか?」

「……拙者にも、春が来そうでござる」

「?」


 雷也の解説どおり、雹河は持ち前のスピードに中国拳法の歩法。

 それに加えて、敵の呼吸、瞬きの瞬間、集中力が切れる瞬間を読みつつ、不規則な速度により錯覚を引き起こし、目の前から消えた様に見せかけている。


 背後から接近し、二撃目を狙う雹河。

 しかし、ブロッケンの胴体が180度回転し、雹河の動きを捉える。


 ゴバキッ!


「ぐっ!」


 鋭く重いパンチを受け、転がる雹河。口の端に血が滲み、鉄の味を噛みしめた。


『全方位熱感応装置付きのこのメカが、その程度の動きに対応出来ないと思うのか?』

「雹河くん!」


 コートの袖で血をぬぐう雹河。晴海の心配をよそに、何事も無かったのようにブロッケンに突っ込んで行く。

 ホッと一息つく晴海。ふと、仲間たちの方を見ると。


「うわ! 何やってんの!?」

「野生のファラオが出たぞー!」

「もがーっでござる、もがーっでござる!」

「あ、あら? 頑張って巻きすぎちゃいましたわ……」


 雪姫に包帯ぐるぐる巻きにされた雷也は、エジプトのミイラのようになっていた。


「もう、何やってんの! ちゃんと雹河くんの応援をしなさい!」

『ごめんなさい』


 おかんむりの晴海に謝る4人。ミイラもペコリとお辞儀する。

 そんな中、ブロッケンの胸ハッチが開き、卑怯にも晴海たちをミサイルが襲う!


「くだらねえ真似を……!」


 雹河はミサイルの側面を蹴り飛ばし、彼らへの直撃を防いだ。

 だが、胴体部分に込められていた大量の液体が、雹河を中心に広範囲に降り注ぐ。


「ガソリン……だと?」


 シャコッとブロッケンの左腕から、火炎放射器が現れた。


『取引をしようか。お前が僕に降伏するなら、命だけは助けてやる。そのかわり、これから僕が行う殺戮行為と、僕とオーロラの愛の逃避行を見逃してもらおうか』

「断る」


 取引とは名ばかりの脅迫に、雹河は地面に血の混じった唾を吐く。


「てめえ、やり口が幼稚過ぎるんだよ。現実逃避してるだけの男が……」


 そのセリフに霧崎の表情が凍りついた。


『お前、命が惜しくないのか……?』

「さあな。だが、ボクは楽しんでるぜ、この状況。何しろトラブルでメシ食ってる……」


 雹河は、最高に不敵な笑みを見せる。


「探偵なんでな」

『なら、その誇りを抱いて死ねっ!』


 霧崎は指を伸ばして、スイッチに怒りを込める。

 放射口から一条の炎の矢がはしる。

 酸素を食って爆炎と化し、赤い牙が雹河を噛み砕かんと迫る!

 雹河は中指を弾き、左手の蒼いグローブを地面へと叩きつける。

 氷点下200度の冷気で炎が凍り、灼熱地獄が一瞬で消えた。


 このグローブは、雹河が以前手掛けた依頼でスワン・コンツェルンの子会社、白鳥重工から手に入れた物である。

 超伝導の実験から生まれた産物で、液体窒素を放出する事ができる。


『何っ!』


 驚愕に我を忘れる霧崎。その瞬間には燃料タンクの入口に、すでに拳が叩き込まれていた。


「熱いのは、嫌いなんだよ……」


 雹河はポケットからボトルを取り出し、蒸留水を左腕に注ぐ。

 ツララの要領で鋭利なナイフを作り、中距離で投擲。ブロッケンに三撃目を加えた。


 あと二撃、もしくは一撃。


 雹河は網膜の死角盲点を突いたスライディングで、正面からブロッケンの股を滑り抜けて行き、残像による分身を見せる。

 霧崎にスキが見えた瞬間、更なる一撃を打ち込もうとするが。


「氷室、離れろ……」

「クラウドくん?」


 気絶しながらも無意識の内に、クラウドが警鐘を促す。

 だが、雹河は止まらない。

 その瞬間。


 バリバリバリバリッ! と、爆音と目も眩む閃光が雹河を弾き、凄まじい衝撃が肉体を貫いた!

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