第7話 ヒロインの鉄拳をくらった弟を当然と思うあたり、やはり自分は悪役なのだと自覚しました

 手を組んだ悪役令嬢とヒロインが、まず手始めにした行動は。

 脳内が花畑状態の攻略対象者の目を覚ますことができるのか、という検証だった。

 とりあえずここは、一番波風が立たなそうなシルヴィアの弟、ルシウスに実験台になってもらうことにした。

 題して『ルース開眼計画』。

 正直、シルヴィアはとっても楽しく過ごしました。

 女性との会話がこんなに弾んだことなどなかったシルヴィアにとって、ハルカとの計画の打ち合わせは、それはそれは楽しい時間だった。

 これからも弟をからかう計画をちょくちょく立てたいとすら思ったくらいだ。

 そんなこんなでチャンスがめぐってきたのは、もちろんイベント時。

 寮から少し離れた美しい庭園のベンチに、ターゲット、もとい悩めるルシウスを発見。

「何か悩みでもあるんですか?」

 ハルカが声をかければ、はっとしたようにルシウスは立ち上がり、こちらをむいて思い切り怪訝そうに眉をひそめた。

「ハルカ様と……………姉上?」

 本来ならばありえない組合せ。それに彼は今、姉のシルヴィアに疑惑をむけている。

 その疑いに満ちた視線はシルヴィアには予測できていた。まあ、悲しくないわけではないのだが。

「悩みがあるんでしたら、相談にのりますよ」

 気遣うハルカにルシウスは困った顔をした。

 姉とヒロインとの間で板挟み状態になり―まったくの誤解で虚しい事この上ない悩みだが―彼は頭を悩ませている真っ最中だが、さすがに姉の前でそれを堂々と告白できないようだ。

「いえ、その」

 口ごもってしまうルシウスにハルカが頷いた。

「ルシウス様の悩みは分かっています。だからシルヴィア様をお呼びしたんですよ」

「えっ!?」

 疑惑があるならはっきりさせるべきだとハルカは促しているのだ。ルシウスは戸惑うようにシルヴィアを見つめた。

 それはそうだろう。シナリオにこんな流れはないし、いきなり悩みの根源と向き合え、などと言われたら。

 だからシルヴィアはあえてこちらから切り出した。

「ルース、貴方は私を疑っているのでしょう? ハルカ様への嫌がらせが、私の指示によるものではないかと。

 そして、そんな私からどうやってハルカ様を守ろうかと、そう悩んでいるのではなくて?」

 するとルシウスの瞳に仄暗い光が宿った。

 あ、これは、アレだわ。と、シルヴィアは悟った。

「…………………姉上がやったとしか、思えません」

 そう言うだろうと見当がついていたので、シルヴィアが事実を指摘してみる。

「証拠はあって?」

「姉上であればそんな物は残さない。なくても不思議じゃない」

「私の身辺調査をしても、疑いは晴れない?」

「完璧な姉上がボロを出すなど、ありえない」

 うーん、本当にシナリオとは恐ろしい。何を言ってもシルヴィアが犯人にされてしまう。

 さて、どうしましょう、とシルヴィアがハルカを見れば。

 あ、マズイ。と、シルヴィアは思った。

 ルシウスが言い募れば言い募るほどに、ハルカの顔が険しくなっていく。

 これは計画が次の段階に進んでしまうか。シルヴィアはそれを察したが、ルシウスは姉に注意をはらっている為かまったくハルカの様子に気付いていないようだ。

 ハルカは僅かに腰を落とし、腕を折り曲げて手の平を水平にし、すっとルシウスの懐に近づいた。

「ハ、ハルカ様!?」

 あまりに急な彼女の接近に慌てるルシウスは、しかし頬を赤らめている。そんな彼にハルカはにっこり笑うと。

「いい加減、目ェ覚ませッ!!!!」

 手の平を真上へ、それも腰を捻り上げつつ突き上げた!!

 同時にガチンッとルシウスの顎が、実に良い音をたてる。

 その様子にシルヴィアは、あ、これ、あれに似ているわ。格闘ゲームのしょーりゅー○ーん、ってやつよね、なんていう前世のどうでもいいことを思い出していた。

「な、何をッ!?」

 ルシウスが愕然とした。

 そりゃそうだろう。この展開でヒロインが鉄拳くらわしてくるなんて、普通は思わない。しかも悩みを打ち明けるイベントでまさかの寝首をかかれるパターンって。

 でもまあ、この状況では鉄拳の一つも当然かしら、なんて思うあたり、シルヴィアもやはり悪役令嬢ということか。

 しかし、そんな悪役令嬢を軽く上回る勢いで、ハルカがルシウスに追い討ちをかけている。

「何を? じゃ、なーーーーい!! 証拠がないなら、とことん調べなきゃダメでしょうがっ!!

 だいたい証拠もないのに犯人扱いって、普通逆でしょ!? どんなに疑わしくても証拠がなかったら犯人扱いできないでしょーが!!

 証拠がなくて犯人にできたら、警察も探偵もいらないでしょーーーーーー!!」

 一気にまくし立てられ、ルシウスは目を白黒させていた。

 いえね、ハルカ様、警察とか言っても、この世界にその役職はありませんから。分かってもらえませんよ。なーんてシルヴィアは他人事のように思う。

「ハ、ハルカ、様、何を?」

 衝撃と困惑と、それからシナリオに翻弄され、てルシウスの精神は混迷を極めているようだ。

 そんな弟にシルヴィアはそっと近寄った。

「ねえ、ルース、私は本当に何もしていないわ。公爵家の名誉に誓ってそれを言える。

 でも貴方はどうかしら? クリステラの名に恥じない行いをしている?」

 彼の瞳を覗き込んで、シルヴィアはゆっくり語りかけた。

「私はいつも、冷静で何事にも惑わされない貴方を誇りに思ってた。いいえ、今だって、貴方を信じてる。

 貴方はきっと真実にたどり着ける。その力があるわ」

「…………………姉上」

 もうルシウスの瞳に、あの仄暗い光はなかった。まあ、あんな衝撃的なことをされれば当然か。

 内心ほっとした時、ルシウスがぽつりと意外な事を言った。

「俺は…………いつだって、姉上が羨ましかった」

 シルヴィアがじっと見つめれば、彼はぽつぽつと本音を吐き出す。

「貴女はいつだって、俺にはできないことを、いとも簡単にしてしまう。それが俺には誇りで…………苦しかった。

 こんな感情は間違ってるって、分かってる。姉とはいえ、女性を妬むなんて」

 ルシウスの告白をシルヴィアはただ黙って聞いた。

「父上の跡を継ぐのは俺でいいのかって、そう思ったりするのも、嫌だった。姉上は、俺の数倍も優秀で―――――よほど相応しいのに、なんて」

 そこでシルヴィアはくしゃりと弟を撫でた。

「本当にお馬鹿さんね。クリステラを継ぐのは貴方しかいないのに。

 相応しいとか、相応しくないとか、そんなものは関係ないの。貴方しかいないわ。私の弟も、あの家を継ぐ息子も。

 ルース、自分がそれに見合わないと思うのなら、見合うようになりなさい」

 厳しい言葉の反面、シルヴィアの声は優しい。ルシウスを撫でる手も、また。

「貴方はそれに成る。きっとよ。

 そしてね、私にだって上手くできないことだってあるのよ?」

 ルシウスの瞳がどんどんとシルヴィアの見知ったものに戻っていく。沈着冷静な、愛しい弟に。

「自分の冤罪をはらすこととか、ね。人の気持ちを変えることって、こんなにも難しいものなのね」

 シルヴィアがくすりと笑いながら言えば、ルシウスは気まずそうにした。

「姉上、俺は」

 しかしシルヴィアはそれを遮った。

「いいの、ルース。私を疑っても。でも、冷静な貴方まで見失わないで」

 人の気持ちは、そう簡単に動かせるものではないのだから。

 たとえシナリオなどなくとも、一度芽生えた猜疑心を払拭することは難しい。いいや、十分にありえる事態なのだ。人の心はいつだって真実を信じるとは限らない。

 けれど、とシルヴィアはちらりとハルカを見た。

 清々しいまでに本気でぶつかっていく少女に、シルヴィアは改めて思うのだ。人の気持ちを変えることは難しい。が、諦めなければ想いが通じる日がくるはずだ、と。

 真摯であり続け、伝えようと努力し続ければ、いつかは――――きっと伝わる。

 微笑みあう姉と聖女を、ルシウスは呆然と、しかし澄んだ目で見つめていた。




 後日、ルシウスは嫌がらせの実行犯を割り出し、また姉の身辺調査を徹底的にして、彼女にかけられたそれが冤罪だと証明してみせた。

 もっともそれがエドワード殿下に認められることはなかったが。

 それでも味方は増えた。

 こうしてシルヴィアとハルカが目論んだ『ルース開眼計画』は見事に成功したのである。





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