第4話 思いの外、シナリオ補正が凄まじいことが判明しました



 引きこもりを始めて一週間程たった頃、シルヴィアは違和感を覚えた。

 エドワード殿下が生徒会室にこない。

 もちろん、理由は分かっている。ヒロインである少女、ハルカ・トキワ嬢をかまっているのだ。

 しかし、疑問がある。

 エドワード殿下は、シルヴィアの嫌がらせからヒロインを庇う為に、彼女の傍にいるのではなかったか?

 皇子のルートでは、シルヴィアは最初から敵意むき出しで、ヒロインのハルカに散々嫌がらせをする。それをみかねた皇子がヒロインを庇うイベントで好感度が上がっていくはずなのだが。

 シルヴィアが嫌がらせをおこなっていない今となっては、イベントが起こりようはずがない。だがエドワード殿下は生徒会室に現れない。

 嫌がらせのイベントが発生しなくても好感度が上がっている、ということなんだろうか?

 その疑問の答えは、意外な人物からもたらされることになる。

「姉上、貴女はまさか、あの聖女様に嫌がらせなどしていませんよね?」

 久しぶりに仕事を片付けにきたかと思えば、そんな事を口にした弟、ルシウスにシルヴィアは内心動揺した。

 ハルカ・トキワ嬢が嫌がらせをうけている? しかし、シルヴィアは動揺を表情に出すことなく、ルシウスに首を傾げてみせた。

「嫌がらせ? 彼女はそんなことをされているの?」

 ルシウスがじっとこちらを見てくる。猜疑心の宿った目で。

「………………少し、問題になっていまして」

「まあ、それはいけませんわ。ルース、力になっておあげなさいね」

 シルヴィアが優しく諭すように言えば、ひどく冷たい声音が返ってきた。

「姉上に言われるまでもありません」

 まるで、貴女がやっているんだろうに、とでも言いたいような口ぶりだ。

 どういうこと? と、シルヴィアは訝しんだ。

 誓ってもいいが、ルシウスは証拠も確認せずにこんな風に疑いをぶつけるような人物ではない。さらにいえば、姉弟として築いてきた信頼がこんなに脆いとも思えない。

 けれどルシウスは、もう用はないというように生徒会室を出ていってしまった。いったい何が起こっているんだろう?

 シルヴィアはぞわぞわと嫌な予感を感じた。自分は何かを見落としていないか?

 あいにくシルヴィアはそうした疑惑から目を反らすようにはできていなかった。疑いがあるのなら、徹底的に調べるまでだ。

 そうして調べた現実は、シルヴィアを絶望に叩き込んだ。

 なんと、シルヴィアが引きこもっている間にもハルカ・トキワ嬢にはしっかりと嫌がらせがおこなわれており、尚且つその犯人にシルヴィアは仕立てあげられていたのである。

 誰かが自分を謀ろうとしている? それとも………まさか! シナリオ補正というやつ? 思い当たった可能性にシルヴィアの血の気がひいた。

 そんなことありえるだろうか? 世界の全てが、シルヴィアが悪役令嬢であるよう動いているだなんて。

 確かまだ、裏庭でヒロインを直接なじるイベントは発生していないはず! シルヴィアは必死でそれを思い出した。

 誰かの謀り事なのか、それとも本当に得体のしれない力が働いているのか。シルヴィアは確かめずにはいられなかった。

 




 こっそり張り込んでいた裏庭で、シルヴィアは嫌がらせの現場を確認することができた。

「聖女だか何だか知りませんけれど、貴女、エドワード様に馴れ馴れし過ぎるんじゃありません? あの方にはシルヴィア様がいらしてよ。

 まさか、売春婦にでもなるおつもりかしら。でしたら消えてくださる? 汚らわしくて周りは耐えられませんもの」

 その声にシルヴィアは聞き覚えがあった。彼女は取り巻きの一人、侯爵令嬢のアルメリアだ。

 なにかとシルヴィアにすり寄ってきて、あわよくば威光を掠め取ろう必死な様がありありと出ていた、いってしまえば小物の女子生徒。

 何故、彼女がこんな真似を?

「シルヴィア様は貴女に我慢ならないらしくてよ? 私に『泥水でも浴びせてきてちょうだい』だなんて、よほど目障りなんでしょうねぇ」

 思わずシルヴィアは「そんな事、言っておりません!」と叫びかけた。だが怪しく光るアルメリアの瞳に、すんでのところで自制した。

 野心と嗜虐心に満ちた、底知れない光が彼女の瞳にはあった。

 どうなっているの? けれどシルヴィアが考えをまとめる前に、事が起きてしまった。

 バシャッという音と共にハルカに大量の泥水が被せられたのだ。それも魔法を使っての不意打ちで。

 本来ならばそれはシルヴィアがしでかす行為だったのだが、こうして客観的に目撃すれば、それがいかに愚かなものか分かってしまう。

 こんなことをすれば己の心証も下がるだろうに、そんなことにも気が付かないなんて。

 いや、ゲーム上では自分だって愚かな行いをしていたのだ。他人のことなど言えないと分かっている。

 けれど、ゲームのなかのシルヴィアはそこにいる小物と違って、他人にその咎をなすりつけたりはしなかった。

 己が犯した罪から逃れようなどと、こざかしい真似は。

「お待ちなさい」

 シルヴィアは覚悟を決めて争いの渦中へ進み出た。

 引きこもっているはずのシルヴィアの登場に、アルメリアは判りやすく青ざめた。

「これはどういうことです?」

 威圧感をもってアルメリアを見れば、彼女はたじたじと後ろへ下がった。

「わ、私はただ、シルヴィア様の為を思って」

「私はこのようなこと、望んでおりません」

 シルヴィアがはっきり告げると、彼女はわなわなと震えだした。やはり小物だ。

「ハルカ様、大丈夫ですか?」

「はい」

 思いの外、しっかりとした声が返ってきた。

 ハルカを見れば、泥水をかけられたというのに怯える様子もなく、シルヴィアとアルメリアのやり取りをじっと観察さえしているようだった。

 アルメリアはほとんど逃げ出す勢いで踵を返して去っていく。

 シルヴィアは内心、ほっと息を吐いた。アルメリアの態度に疑念はあるが、ともかくヒロインに自分が敵ではないと示すことができたのだ。

 これで誤解を解くことができたかしら、と思ったシルヴィアに、しかしとんでもない展開が待っていた。

「シルヴィア、そこで何をしている?」

 低いその声はエドワード殿下のものだ。

「ハルカ様のお召し物が汚れてしまいましたので、お手伝いを、と」

 まさか令嬢達の修羅場を殿下に知られるわけにもいかない。そう思っての言葉だったのだが。

「貴様、ハルカに何をした⁉」

 まさかの、殿下からの糾弾です。

「いえ、ですから、お手伝いを」

 しかしそんなシルヴィアの話しなど聞かず、エドワード殿下は庇うようにシルヴィアとハルカの間に割り込んできた。

「大丈夫か? ハルカ」

「はい、大丈夫です。あの、シルヴィア様は本当に私を助けてくれて」

「いや、それ以上は言わなくていい。お前は私が守ってやるから」

「いえ、ですから」

「私がきたからには大丈夫だ。あんな嫌がらせをする者に怯える必要はないんだ」

 なんてこと。殿下の誤解は全然、解けてくれなさそうだ。

 得体がしれない、なんてものではない。いったい全体、何が起こっているというのか。呆然としたシルヴィアに、ハルカが小さく言った。

「あの、ありがとうございました」

 見れば殿下が急かすようにハルカの腕を引いている。そして彼女は引きずられるようにしていってしまった。その場に残されたのはシルヴィアだけだった。

 状況は分からないことだらけだ。が、収穫がないわけではない。

 シルヴィアは自室にもどり、あの現場で起きたことをよく考えてみた。疑問点は幾つかある。

 まず、アルメリアが何故、あんな行動をしたのか。シルヴィアへの好意からではないだろう。おそらく、シルヴィアとハルカ、両方を貶める為というのが濃厚だが、それにしてもあの目は異常だった。

 異常は他にもある。エドワード殿下の態度だ。

 前々から直情的な傾向ではあったが、度が過ぎているなんてものではない。心を傾けている『聖女』の言葉にすら耳をかさないなんて。

 そして、『聖女』であるハルカ。あの状況下で落ち着き過ぎているような気がするのは気のせいか。なにより、自分へむけられた彼女の瞳。

 シルヴィアは幼い頃からの教育により、瞳から人の思考を読み取ることができるまでになっていた。

 そしてあの時の彼女から読み取れたのは、真っ直ぐにシルヴィアを信じようとする、そんなものだったのだ。

 もしや、彼女は。と、ある可能性にシルヴィアは思い当たった。

 けれどそれはシルヴィアにとって賭けにも近い、いや圧倒的に不利な闘いだった。

 どう動くべきか。判断がつかないままに時間が過ぎた。

 しかし、その闘いはこれまたシルヴィアの予想外からの方向でもたらされることになるのだった。





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